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運転手兼雑用係だったエミリオが、長年の雇用関係のなかで信頼関係を築いたからこそ知り得るキューブリックの一面を垣間見ることのできる作品ではあるが、エミリオ自身は映画自体にほとんど興味がないので、彼が参加していたはずの製作の裏事情の部分については食い足りないし、能動的な部分がそれほど見られないため、エミリオの一代記としても薄味な印象が残ってしまった。映画づくり以外の部分にまで興味を持つような、キューブリックのディープなファンなら楽しめそうだが……。
「バリー・リンドン」に出演していた、あの青年が裏方にまわり、キューブリック後期作品製作における最重要人物になっていたとは……! その大小にこだわらぬ八面六臂の仕事ぶりにくわえ、キューブリックの死からの、見返りをも求めぬ映画の殉教者としての振る舞いには後光すら差して見えるほど。よくぞここにスポットライトを当ててくれた。キューブリックのファンは必見の一作だが、取材対象が素晴らしい反面、発言の内容と映画の映像をかけ合わせるような演出には工夫がない。
結ばれ得ない二人が、喪失感や孤独感にさいなまれている瞬間に、ほんの一瞬交差し共鳴する姿が切なく美しい。スケールが小さく、あまりにあっさりとしていてロードムービーとも呼びにくい小品だが、そのつつましさが作品にリアリティと愛らしさを与えているのも事実。リリー・レーブが見事に実在感をもって演じる主人公、スティーヴンス先生ならずとも、ティモシー・シャラメが演じる少年に象徴される、われわれが日々失いゆく“純粋さとパッション”には心動かされるだろう。
タル・ベーラに師事した監督らしく、少ないカットで構成される長尺によって人々を描くスタイルが堂に入っていて、20代の長篇デビュー作と聞くと感心してしまう。さらに、寒々とした中国の田舎町を切り取った映像や、演出のあちこちに繊細な感覚や現代的要素が息づいているところが素晴らしく、動的なカメラはエドワード・ヤンとは違った雰囲気を作り上げている。本作の監督なら、間違いなく師を継承する傑作をものにしていたのだろうと思えるだけに、急逝が悔やまれる。
「時計じかけのオレンジ」でキャットレディを殺す場面の凶器になった男性性器のオブジェ。映画は、それをスタジオに運び、私設運転手になった男の思い出語り。一般人というのがポイントで、天才監督の人間性が横溢。人情劇の味わいがある。なかでも遺作「アイズ ワイド シャット」にまつわるエピソードには、二人の温情がたっぷり。「アイズ〜」のカフェ・エミリオはキューブリックの感謝の気持ちだったのね。それにしても天才との30年間、作品を一本も見ていなかったとは、愉快。
「この監督と仕事がしたい」。魅せられた男、L・ヴィターリは「時計じかけのオレンジ」を見終わって開口一番そう言ったそうだが、俳優というキラキラのキャリアを捨て、キューブリックの現場助手になったのだから、常人からすればやはりこの男も尋常ではない。天才監督に重用され、ヴィターリ自身も様々なことに関与するその様子は、「〜愛された男」とは好対照。この作品は胸が苦しくなるほど。まさに火に魅入られて自ら羽根を燃やす蛾だ。2作品のカップリング上映はお値打ちもの。
ドラマチックなことが起きるではなく、特別な仕掛けもない普通の話に、ごく当たり前に気持ちが反応し、共感できる。各人のキャラクターの根っこになっているものをきちんと押さえているのがその要因。引率教師の情緒不安定は母親を亡くした喪失感。リーダー的な女子は才気が空回り気味。ブレイク前のシャラメが演じる生徒には行動障害が。ゲイであることを表明している生徒は実際の恋愛に奥手。学校から離れた3日間で各人が抱える事情が露わになるが、その見せ方が◯。てらいがない。
大所高所に立ち、生きづらい世を懸命に生きる人を描くのとは対照的に、地面から生き場所を探す人間をとらえたこの映画は、感動と怖れが終始交錯する。憂鬱、不信、怒りに支配された人物の絶望を象徴するどんよりとした灰色の映像。その人物の表情に焦点を合わせ、背景をぼかすセンス。人はどこにでも行けるが、どこも同じで、一番良いのはここにいて向こう側を見ることかもしれない。でも遠くから聞こえる象の鳴き声を希望と思いたい。秀逸なラストシーンは監督の意図の凝結と見た。
「時計じかけのオレンジ」の巨大ペニスの運搬をきっかけに30年にわたってキューブリックの世話係として仕えたこの男、映画監督としてのキューブリックには全く興味を持っておらず「尺が長いから」という理由で晩年まで作品を観ていなかったという話には驚くが、翻って考えると、だからこそ続いた関係なのかもしれない。彼を通してキューブリックの知られざる私生活と愛らしい横顔を覗けるのは楽しいし、名状しがたい不思議な絆で結ばれた二人を見ているとなんだか涙が止まらない。
「~愛された男」と対照的に、こちらは監督キューブリックの才能と神秘性に惚れ込み、地獄の映画製作を陰で支え続けた男の話。彼の功績はこの映画で少なからず世間に知られることにもなるのだろうが、当の本人はそれすら望んでおらず、ただ天才と一緒に映画を作りたいという一念で自身の全てを捧げたその情熱にはキューブリックに劣ることのない狂気を感じる。二人の男を媒介にキューブリックのアンビバレントな人間性に肉迫せんとする映画なので、ぜひとも二本セットで観てほしい。
今やみんなのアイドル、シャラメ君が大ブレイクする以前に製作された小品で、悪い映画とは思わないし、ハマる人にはハマりそうなムードはあるのだけれど、個人的には殆ど響かない内容だった。心に闇を抱えた高校生と女教師の物語という時点でドキドキしてしまうのは自分のポルノ脳ゆえで、そっちの期待に応えてくれないのは仕方がないが、キャラクターに力がなく、演出も間違っているとは思わないものの、カット割り等に監督の意思が感じられず、90分に満たない尺が長く感じた。
人物の動きを緻密に計算し、その計算があざとい形で表出しないよう更に幾重にも計算を重ねて成立させている超絶ショットの連続には舌を巻くばかりで、これが20代の新人監督の手によるものだというのはにわかには信じ難いが、深刻にすぎる厭世観に貫かれた物語は若さ故なのかもしれない。この天才監督が今後どう成熟していくのか、このスタイルを通すのか、あるいは涼しい顔で切り返しも撮るようになるのか、などと思いを馳せても彼はもうこの世にはいない。自殺なんて悲しすぎる。