パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
2時間11分という上映時間には、時代の先端を行く今いちばん面白い映画という自負がにじんでいるが、私は1時間50分にはできると思う。正確無比なゲーム感覚で無数のエキストラ兵の頭をぶち抜いていく中盤に少々げんなりしたが、ラストはやはり弾が尽きて肉体と刃物が砕け散るガラスと共にぶつかり合い、まぎれもない映画の顔つきになってゆく。大団円の取引が行われる部屋が朝になるとビルの屋上になっている空間マジックが素晴らしい。総じて悪役に迫力がない。
見ればそこそこ楽しませてくれる毎度ウェルメイドなフランス艶笑喜劇――と正確に予測して見始めたはずが、途中からどんどん先が読めなくなり、あれよあれよという間に逢着したラストカットの後に深々とした満足感が残った。ブルゴーニュの館の前にコサック兵が侵入し、お話の中だけだった戦争が不意にそこに現出する荒唐無稽さに快哉を叫ぶ。ヒーローが浮浪者となって駅馬車から現われ、ヒロインが二階から水を捨てた所へでんぐり返る辺りにジョン・フォードが匂う。
オリーヴ油とトマトの香りが鼻をくすぐる。合格。アスペルガー症候群で神の味覚をもった少年が、出所したてで社会復帰をめざす元三ツ星シェフの指導で、トスカーナの館を舞台に若手料理人コンテストに挑む。これ以上ないシンプルな設定。シェフは少年の才能を開花させ、その人間としての成長も手ほどきしながら(「ほどほどが大事」)、大都会のナイトライフではなく、田舎のスローライフに自分の身の置き場所を見出してゆく。見終わってから絶対うまいもんを食いたくなる。
人間ばなれした嗅覚をもつ主人公、ティーナの顔をアップでじっと撮り続ける。どうしても連想してしまうのはネアンデルタール人。我々のDNAに彼らとの交雑の証拠が見つかったと聞いた時の概念を揺すぶられる感じが蘇る。イラン系の監督が撮ったスウェーデン映画と聞くと、なんだかアーリア民族の優生思想を反対側から見つめ直しているようにも感じる。タイトルは人間と人間ではないものとを分ける境界のこと。凝り固まった常識を直撃する「危険なヴィジョン」のSFだ。
愛犬家だけに、大事な相棒犬をコンチネンタルホテルに預けて、ジョン・ウィックはニューヨークの街を颯爽と馬で駆け抜ける。ニューヨーク公共図書館の利用方法も素敵だ。猫やラクダも登場するが、何と言っても、カサブランカでジョンの助太刀をさせられることになるソフィア(ハリー・べリー)のドッグ・フーは見事。ハリーの背中を使ってジャンプするなど、撮影方法が知りたい。「私の犬を撃った」という理由なら、ボスを撃つことも躊躇しないシンプルな女性を、ハリーが潑剌と好演する。
本作のために誂えられた、映画オリジナルの衣裳がエレガント。ヌヴィル大尉の赤い騎兵服と、エリザベットのエキゾチックなグリーンのドレス。フリルのブラウスが似合う、胡散臭い色男ヌヴィルに対するエリザベットの気持ちの変化を、赤とグリーンを入れ替えた二人の衣裳でさりげなく表現。ラストの紅白まで細やかにデザインされている。エリザベット役で、初のコメディに挑戦したメラニー・ロラン。知的な姉から、率直な長女、ウブな乙女と、ふくよかな女性像をチャーミングに演じる。
出所後、自宅に帰ったアルトゥーロが、自分のために完璧なトマトソースを作り、食べるパスタのおいしそうな描写にときめいた。ヴィニーチョ・マルキオーニのちょい悪イタリア伊達男の渋い魅力が満載。苛められていることに気づかぬグイド青年への返しなど、ちょっとしたシーンがさっぱりしていて格好良い。そんな師匠の影響か、好きな女の子に抜け目なく絶品ティンバッロを届けたグイドが「仲直りした?」と聞かれた時の返事も気が利いている。巧みに設計された、さわやかな佳作だ。
生きづらい人間社会で、孤独に生きてきたティーナの背景に、スウェーデンの静謐な空気感がよく似合う。北欧やファンタジーの歴史に裏打ちされたモチーフも、物語に深淵な彩りをもたらす。ヴォーレと出合えた歓びや、自分のアイデンティティを知った安堵感が鮮やかに映し出されるだけに、本能と理性でせめぎあう彼女の切なさ(人間味とは言いづらい)からの転調、ラストシーンの彼女の表情をどう捉えるべきか悩ましい。伝家の宝刀を抜かれたような、否、そう感じるのは人生経験不足か。
1作目を観た時、世界観が鈴木清順監督「殺しの烙印」にインスパイアされていてニヤリとしたが、シリーズが回を追うごとにそれが色濃くなっている。キアヌ本人の仕事に対するストイックでプロフェッショナルな姿勢がジョン・ウィックと同化しすぎているのも本作の魅力だ。アクション映画ファンにはおなじみのマーク・ダカスコスやヤヤン・ルヒアン率いる「ザ・レイド」組らがジョンに憧れる敵役として出演、それはまんまキアヌへのリスペクトとして捉えられグッとくる。
気の強い女とトボけた男の恋愛コメディは、古今東西、どの国、どの時代設定でも楽しい。ダイアン・キートンとウディ・アレン然り、リリーと寅さん然りだが、本作のロランとデュジャルダンの組み合わせは、それらと並ぶくらい小気味良い。物語は、嘘から派生して広がった“事実”とどう折り合いをつけるか、ということを描いているのだが、本作自体、19世紀初頭実際にあった戦争、巨額詐欺事件を背景にしたフィクションであり、その「虚実皮膜」の醍醐味を全篇通して堪能できる。
登場する料理を食べたくなる映画に良作は多い。本作は“人間性に問題がある天才シェフが神の舌を持つアスペルガーの青年を指導し「若手料理コンクール」優勝を共に目指す”ということで期待した。しかし調理のシーンはもちろん何度もあるのだが基本最初と仕上げだけ、肝心の料理のクローズアップもほぼ皆無、一体何を、どんな“レシピ”で作って食べているのかほとんどわからない。人間ドラマを際立たせるため敢えて外しているのか? いや、それにしてもあまりに不自然で、消化不良。
冒頭3カットを観ただけで心摑まれた。一見なんでもないそのシーンは構図、カメラワーク共に絶妙で、本作のスタイルをはっきり明示している。監督のアッバシは、異なる要素をまとめてバランスを取るのが自分の仕事、と語っているが、確かに本作は児童ポルノを扱ったミステリーであり、出生についてのファンタジー、そして「境界線」をめぐる恋愛ドラマで、そのすべての要素、テーマがそれぞれに作用している。似た映画はちょっと思いつかないし、見事すぎて、久々に劇場で震えた。