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直線光ファイバーを引き、アクセス時間を17ミリ秒から16ミリ秒に短縮し巨大な収益を上げることに命をかける男たちの物語だが、ヴィンセント扮するJ・アイゼンバーグはフェイスブック創始者M・ザッカーバーグ役の奇人ぶりが記憶に残る。ベンチャービジネスの鬼子はどれも人間的で魅力的だ。速度に取り憑かれた男と「速度に意味はない。金は争いを生む」と言うアーミッシュの人々との対比が心に残る。M・ヴィリリオの「速度」「技術」「人間」に関する考察が可視化された作品。
バットシェバ舞踊団の通称チェアーダンスが冒頭に挿入され、ハイジャックと舞台上のイデア的な空間が並走。根本はパレスチナ/イスラエル問題だが、実情はさらに複雑。ドイツ赤軍派やイスラエルに収監中のテロリストの解放が目的。主役の女性テロリストのブリギッテは、獄死したウルリケに感情を寄せる。顔のある個人たちの感情に寄り添いながら、テロリストや国家といった集団にまで広域に焦準する。大義や正義といったものが焦点位置によってどう変化するかパジーリャ監督の手腕だ。
年齢も性別も顔さえ知られていない虚の中心「イ先生」に多くの人間が成りすます。そして、最大の見どころは犯罪組織現場を再現したおとり捜査のシーン。劇中ではオリジナルとコピーが何度も変奏される。混沌としたシミュラークルの世界像で揺るぎ悲鳴をあげつつ貫通しているものが「信頼」と「必要」の哲学。作品全体の脊椎的な追う者と追われる者という職業・社会的な構造は、人間本能の問題へと昇華。コカインと同様に人間の情念も質量保存的に形を変えていく。犯罪映画今年暫定一位。
映画の尺が、主人公が喪失された過去を取り戻す時間よりわずかに長い。その時間が再生・希望へと変化する。擬似記憶喪失の回復もしくはSF探偵小説の趣。主人公は「他人の自分」になりすますことで、徐々に「私とは誰か」・「自分探し」の旅に出る。「私は誰?」=「私は誰を追っている?」=「私は誰が好き?」という図式は、フランス語の「Qui suis-je?」という意味に込められている。そんなことを思い出した。原作は日本の小説とのことだが、さらに瑞々しいタッチと世界観に到達した。
株の超高速取引は題材として新鮮。ただ描写の多くは土地買収と土木作業だ。また実質的原作マイケル・ルイス著「フラッシュ・ボーイズ」の接点のない二つのエピソードをひとつの物語に統合したため説明不足が多く、脚本にほころびを感じる。たとえば主人公は直線敷設された光ケーブルの使用権販売だけで利益を出せるからアルゴリズム改良と両立させる必要はない、とか。1か0かのデジタル世界を投影された主人公が中間値のあるアナログ文化へ辿り着くのも安易で説教くさい。
“サンダーボルト作戦の60分”ではなく、題名どおり主眼は人質たちのウダウダした空港滞在7日間。「エリート・スクワッド」の監督だからと派手な突入作戦や銃撃戦を期待すると寂しい思いを。同事件についてこれまで作られたアメリカ資本イスラエル視点映画の勧善懲悪調とは違い、被害者・加害者双方に人間味と社会的理由を付す中立的作劇。とくに演出はドイツ人犯人男女に心情加担するが、なぜ彼らなのか根拠が不明瞭で(甘チャンだから?)フラストレーションがつのる。
ジョニー・トーのオリジナル「ドラッグ・ウォー 毒戦」を踏襲、肉付けした中盤まではケレン味の強いドンパチが連続し血湧き肉躍る。オリジナルは舞台が中国本土で、一党独裁国家を背景にした強権捜査や即死刑執行が物語を推進する強力な説得力になった。しかし民主的な現代韓国を舞台に同じ設定は無理。その補完のためリメイクチームが独創した要素がサイコスリラー風に変貌してゆく終盤、疾走感が極端に減速。そこで観客の好き嫌いが分かれるだろう。私は★ひとつ減とした。
原作者の生地、日本では実写とアニメで2回も映画化。有名な生き直しジュブナイルのタイ版はさらに甘口なアレンジで初恋気分やら思春期の孤独やら、んな感情はとうにしなびたオッサンには不向きな味つけ。プラス志向に切り替えあえて良かった部分を探すと、原作が日本の小説という以上に雰囲気が邦画的で、タイにおける日本の芸能文化の影響力が分かること。また大人になれば皆自分勝手に生きて良し(浮気も可)とするタイの神様の尊い教えが感じられ、心のよりどころになる。
当方が証券取引にうといという事情もあって、理解しづらいセリフが立て板に水の如く羅列されて困惑。光ファイバーを敷設するという計画は一応わかるけれど、映像として具体性が演出されていないので、主人公たちのやろうとしている仕事への認識がついていかない。言葉で聞いただけでも十分疲労感は味わえるけれども。ジェシー・アイゼンバーグの躁的でスピード感のある演技は、いかにも十八番で板についている。ドラマチックな実話とはいえ、視覚的に映画向きではないのでは。
実話創作問わず、ハイジャックものでは人質か、犯人か、交渉される側に焦点があてられるものだ。本作はその中で一番変化に乏しいハイジャック犯を主人公にしているため、物語の抑揚が少ない作品になっている。映画はエンテベ空港に降り立った期間以外にも過去へと遡るが、思想犯のドラマというのはよほどダイナミックなダイアローグを用意しないと盛り上がりに欠けてしまう。政治信条を映像的に面白く見せることの難しさが如実に出た映画だ。R・パイクの公衆電話シーンは秀逸。
どうしても傑作だったジョニー・トーのオリジナル版と比べてしまうのだが、本作は設定を付加しすぎたとりとめのなさを感じる。特に説明もなく次々と登場する人物たちの使い捨て加減や、奇抜な道具立ては設けながらも演出が追いついておらず、弾け切らない未消化な印象が残る。チョ・ジヌンの演技力を持ってしたらこなせるはずという期待を、映画の上滑りする展開が水を差していく。謎めいた黒幕の正体も意外性や説得力が足りない。聾啞者兄弟のキャラ設定はトー版の圧倒的勝利!
原作は未読。ファンタジースリラーとして、序盤から意外性のある雰囲気は保っている。自殺を図った高校生ミンの持つ陰惨な暗さが、彼の身体に逗留することになった“ボク”の瑞々しい青春模様と陰陽を織りなす。ただ大人の目線で観ると、ミンの抱えた苦悩も「十代とはそういうものだろう」というありきたりな悩みに思えて新鮮味はない。スリラーとして謎が次々と現れる展開は悪くないが、青春劇としては決して突出しておらず、オチに意外性がなくて逆にビックリ。