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偉大な創造をなしとげた人間の実人生はえてして平凡で地味なものだが、このトールキンの若き日を描いた伝記映画は、そこで妙な無理をせず、平凡に見えるものの中に非凡な細部を見つけていくような語り口で全体を描き切った。そんな中で一つの重し、というか目玉となるのが第一次大戦の塹壕戦の体験で、戦場の凄惨な光景とトールキンの創造した神話世界とが、同じ力で拮抗しつつ一つに重なり合う。充実した映画の時間が流れるが、いまいち「読破感」のようなものに欠ける。
渋い。暗い。一人の女との交情が切なすぎる。追いつめられた男の不動の立ち姿がかっこ良すぎる。宝石商のキアヌ・リーヴスがマフィアとのダイヤ取引のためにサンクトペテルブルクへ、東シベリアの寒村へ飛ぶ。ロシアならではのどんよりとした灰色の空の下、組織犯罪の闇と、生命と愛をやりとりする孤独な戦いが、硬質なハードボイルド・タッチで描かれる。たいして凄味はないヤクザのボスがいつのまにかこちらの首根っこをつかんで、のっぴきならなくなっていく感じがリアル。
まるでジョン・フォードの「捜索者」のように始まり、だが娘は拉致されずに殺される。美しく成長した娘の帰郷で終わる「捜索者」に対し、この映画は最後に生き残った三人の擬似家族の旅立ちを描いて終わる。その間に西部劇のエッセンスの全てがゆっくりとした移動の織りなすこのジャンルならではのリズムで展開する。最後にインディアンと和解する主人公の成長は、異人種への差別、憎悪を少しずつ克服していった西部劇の歴史そのものの縮図のようだ。慟哭すべき傑作。
チャン・イーモウは徹底的にやる。土砂降りの雨はついに降り止まず、墨絵の背景はあくまでも黒と白を重ねて一切の色彩のほころびを封じ、太極図はぐるぐると舞うような武術と傘の形の武具となって苛烈な美の波動を貫く。ここまで突き抜けた美学で統一されると、こちらは息苦しくもなるが、それを最後まで貫徹するから舞台が一種抽象化され、人間の感情(影武者をめぐる愛と禁止の葛藤)が言葉となって迸るシェイクスピア劇となった。音楽が時としてライ・クーダーに聞こえる。
「トム・オブ・フィンランド」で、伝説のアーティストの漂泊感をふしぎな味わいで表現したドメ・カルコスキ監督の腕が冴えわたる。第一次世界大戦下、親友を探して彷徨う主人公トールキンの姿から始まる物語は、おのずと「指輪物語」を想起させる。「ホビット」族とおなじ、未熟な人間として、青年時代のトールキンの素顔に光をあてた構成にも、奥行きがある。バロウ書店をはじめ、舞台美術も重厚だ。リリー・コリンズが魅力的なだけに、エディスとの関係にもう少し光を注いでほしかった。
ブルーのシャツ&ネクタイにキャメルのコートでの登場時は、くたびれた中年男風の主人公ルーカスだが、黒いジャケットを羽織れば一転、陰のある色気を醸し出す。さすがはキアヌ・リーヴスだ。ダンガリーシャツの似合う、田舎のおばさん(アナ・ウラル)も恋に落ちれば、セクシーな女性に大変身! 特にサンクトペテルブルク以降の艶やかさは圧巻。ストーリーが進むにつれて、アナのブルー・アイズが印象的になっていく。衣裳、美術を含めスリリング&緻密な色彩設計がお見事。
冒頭の「音楽が静かに流れる」という言葉の余韻。作中、マックス・リヒターの音楽は、哀しみに襲われる登場人物たちに、静かに寄り添っていた。音楽だけでなく、行き届いた音の調整が、激しい戦いが繰り広げられる荒野の荒涼感を演出する。ブロッカー大尉のうめき声は、雷の音にかき消されるも、家族を埋葬し、子供のように号泣するロザリーの泣き声は、広野に響きわたる。抑制されたラストシーンも好みだ。死の確実性に惹かれても、人はいくつになっても、慣れない人生を生きていく。
冒頭から、張り巡らされた緊張感がすこぶる心地よい。高揚感を刺激するのは、マー・コンウィン美術監督による、美しい世界観だ。水墨画のようなグレーを基調とした世界で、白と黒の対比(主人と影武者、光と影、明と暗、陽と陰など、様々なメタファーでもある)が際立つ。モノトーンのスクリーンに、生々しい血の赤、そして、影武者の体に生気が戻る瞬間が印象的だった。傘を使った、やわらかな戦い方も秀逸(傘のデザインも含め)。スン・リーの優雅な舞は、時間を止める魔力を持つ。
多くのファンタジー好きと同様、私も少年時代に数年かけて『指輪物語』を読破した(その難解な文章を読み進める過程はまさに「冒険」だった)。本作はトールキンが第一次大戦時の戦場で親友を探す旅、そして彼の幼少時代からその戦場に赴くまでの回想を同時進行で描いているのだが、どちらにも後に執筆する「物語」を構築する要素、その誕生の瞬間がちりばめられている。そこに「友情」や「恋愛」を盛り込むのでややダイジェストな憾もあったが、ファンとしては楽しめた。
ロシアを訪れた宝石商の主人公は、見た目ほぼジョン・ウィックの髭面で憂いのある表情のキアヌ。ロシアンマフィアとの取引直前にダイヤを所持した相棒が謎の失踪し、期限以内にその行方を追う異国での緊迫したサスペンス、と思いきや、その渦中で偶然知り合った現地美女との不倫愛に燃え始める謎の展開に。主要な登場人物は魅力的に描かれているのだが、なぜか全員行き当たりばったりの行動しかしないので緊張感に欠け、クライマックスの銃撃戦さえも空回りに終わってしまった。
インディアンとの抗争が収束しつつある1892年のアメリカを舞台に、その「負の歴史」を「現在の断絶」と重ねた視点から描く西部劇。相変わらずのベールの仏頂面が荒野に映えるのだが、シャラメやプレモンス、フォスターなど若手売れっ子たちが短い出番にも拘らず参加しており、この視点、アプローチへの関心の高さが窺える。こうした「負の歴史」を認め、エンタテインメントとして真っ向から描き、観客に考えを促す映画が公開できるのもまた“アメリカ”だな、とあらためて思った。
チャン・イーモウが撮る武俠映画は総じて美意識が高いが、今作は群を抜いていた。映像の光と影、濃淡を絶妙に濁らせたカラーグレーディング、全カット完璧な構図が素晴らしく、ほとんど水墨画だ。三国志の「荊州争奪戦」を基にはしているが、陽と陰の二項対立を中心としたそのミニマムな物語、展開は、CGで水増しされた大量の兵士が入り乱れるような大仰な戦記ものと違い、対峙する人間関係を真摯に捉え、剛柔併せ持ったアクションによって昇華し、最後まで息を抜けない。