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幕府の気まぐれで、国内をあちこち引っ越しさせられる藩。その引っ越しプロジェクトを、藩主に押し付けられた引きこもりの書庫番。この悲哀のマトリョーシカは他人事ではないからか、四百年前の騒動に一喜一憂し、晴れやかな結末に救われる。身体性の強さを発揮して、豪放磊落なキャラクターを演じる高橋一生が新鮮。彼と、巻き込まれ型の主人公の星野源のやりとりを柔軟に連結する、濱田岳がグッジョブ。必然性のある歌唱シーンにより、チャーミングな仕上がりに。
映画にするにはすでに手垢の付きまくった有名すぎる実験を、人気Vチューバーがコンテンツ配信するという設定で現代風にアップデート。せっかくの非日常的な舞台なのに、囚人役VS看守役の揉め事や、実験により変貌する人間性の描写、密室でのパニック劇、Vチューバーの正体探しなど、すべてにおいて振り切ることなく、おとなしくまとまってしまった。密室に設置した監視カメラや被験者が装着した小型カメラ、配信画面などの映像も活かしきれず。ジャンル映画として物足りない。
テーマに触れるだけでネタバレになるのでここでの言及は避けるが、真相が明らかになったときに「……で?」と思ってしまった自分は、この青春ファンタジーにカタルシスを感じるには大人になりすぎてしまったのだろう。それはさておき、白昼夢のように美しい映像のなかに、タクシー運転手に至るまで美形だらけのキャラクターを配置し、意味深で演劇的なセリフを放たせることで、閉ざされた異世界を作り上げた監督の力量は確か。まったく違う題材の監督作品を見てみたい。
日本社会が抱える数多の問題を、劇映画だからできる方法で告発する、見るなら今でなくてはいけない作品。社会から見捨てられた3人の若者が主人公という点で、同監督の「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」と重なるが、社会規範という枠の外や、生きることに向かう矢印が、より大胆に、力強く示されている。技術面は経験により洗練されても、映画作家として丸まらず、より先鋭化する気骨。タロウを演じたYOSHIの、動物のように予測不可能な動きをつい目で追ってしまう。
土橋章宏という作家を尊敬する。「超高速!参勤交代」『幕末まらそん侍』等、やり尽くしたと思われていた時代劇にこんなに豊かな鉱脈を掘り起こしてくれた。類まれな発想力の賜物! それだけに、惜しいし、悔しくもある。映画というよりバラエティのような作りだ。色々なエピソードを笑いをまぶした団子のようにつなげている。引っ越しに立ちはだかる大きな問題であるリストラ、百姓落ち。それにまつわるドラマに何故集中してくれなかったのか。題材が素晴らしいのに、とても悔しい。
新聞広告で集めた被験者たちを実際の刑務所に近い設備に入れて、看守役と囚人役に分け、それぞれの役割を演じさせたというスタンフォード大学の心理実験。結果、看守役は看守らしい、囚人役は囚人らしい行動を取ったという。実験するまでもない。人はそういうものなのだ。それをユーチューブで再実験をしようとした試みを描いている。何か新しい発見があるのかと期待しながら見たが、やっぱりこうなるんですね。何故人はこうも話を作りたがるんだろう。
捨てられた人たちが連れて来られた〈階段島〉という小さな島で少年少女たちが高校生活を送る。その生活はどこにでもあるごく当たり前のもの、そういう島だからこその生活でもない。彼らはなぜ連れて来られたのか、いやそもそも何に誰に捨てられたのかわからない。彼らがどんな人間なのかよくわからないから、悩んで眉間に皺を寄せたり、泣きながら話したりしても単なる顔面の筋肉の動きにしか見えないし、台詞は空虚な言葉の羅列にしか聞こえない。何を狙った映画なんだろう。
はみ出した若者たちの刹那的な生き方を追っている。タロウがシングルマザーの子だけに、四年前の川崎中学生殺人事件に想を得たのかと思ったが、そうではなく、「ゲルマニウムの夜」(05)以前の90年代にデビュー作として書いていた脚本を映画にしたのだという。時代を先取りしたかのようだ。あの被害者の川崎の少年が銃を手にしていたら、どうなっていただろうと思わせた。薄っぺらで嘘っぽくて恥ずかしくなるような若者映画が蔓延する中、掃き溜めの少年たちが鶴のように光っている。
大役を仰せ付けられる引きこもり、サラリーマンめいて見える侍たち等、現代に引き付けすぎで(主演の選択しかり)時代劇にする意味なし。困難を創意工夫で乗り切る、のかと思いきや、手引書が既にありますという脱力。国の存亡の危機に立ち向かう政治劇としての深みは無論なく、そもそも殿が幕府の偉い人の男色の誘いを断ったのが引っ越し命令の原因というこの設定は、喜劇と受け止めるべきなのか、こんなことに翻弄される一国の悲劇と受け止めるべきなのか、これまた中途半端。
人気Vチューバーによる、一週間の監禁実験配信。この設定である程度の展開は想像できる。問題なのは、ネット配信という設定が持つ、現場と外という二重性を物語に生かせていない点。そもそも同時中継でなく編集なのは有意味なものとして生かされねばならないはずだし、Vチューバーが内部にいるのではという疑問をもっと早くから明らかにすれば、また彼らをネットで見ている者たちが外で動くことがもっと緊密に物語に絡めば、内と外の関係性の揺らぎが物語を活性化したはず。
気づくと大人のいない島にいた中高生たち。彼らの正体は、そして何故ここに。ネタばれだから言えないが、その発想自体が中二病なのだ。中二病を扱うに、自虐のユーモアがないとこうも痛々しい。出てくる人物皆典型(委員長女子、熱血少年、トラウマ音楽少女、ヒネた文学少年)で、それに意味はないわけではないが、学芸会でも見せられている気分だ。原作は「心にくさびを打つような美しい文章」だそうだが、カッコつけすぎて(それも中二)日本語としてどうかと思う台詞も多々。
社会から落ちこぼれ、「意味がない」とされた少年たちが、銃=力を手にしてしまったら何が起こるのか。デビュー作用のシナリオのシンプルな初期設定に、障害者虐待・搾取やネグレクトなど、弱者に一層厳しくなった現在への怒りを載せてアップデート。ただ、その接合は性急な気がしなくもない。それぞれの人物の、どこに行くか分からない不安定さ、揺れ幅が、ただの社会派ドラマに回収させず、タロウが公園のおばさんに「母」を見て話しかけ、豹変してゆく長回しもスリリング。