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普通に考えたら褒めたりしちゃいけない映画なのかもしれないが、病みつきになる人たちが間違いなくいるだろう妙な味があるのは確か。「冒険物」の雰囲気がある、アナログ風味を残したメカデザインも楽しい部分だが、何よりも、あれやこれやの有名人をおちょくりながらのさまざまなおふざけを楽しむ映画。アップル社のスマホと、フィンランドが誇るノキアの携帯電話が対決する図式が愉快。アスリート体型のヒロイン、ララ・ロッシは、歩く姿と走る姿に力強い魅力があって目を奪われる。
冒頭から全ショット、あまりにも〈映画〉すぎて震える。レッドフォードと、TV画面のなかのC・アフレックの目が合う(!)瞬間、感激のあまり動揺する。過去を語る部分が見たこともないよどみなさで現在のなかに取りこまれ、パンニングと反復が心地よく、跳躍を交えた素晴らしい編集のリズムに、ダニエル・ハートの音楽が完璧にシンクロする。「セインツ」で一躍脚光を浴びて以来、傑作しか発表していないD・ロウリーだが、これはもはや偉業の域。この先どこまで行ってくれるのか!
シリーズを続けて観てきた人なら感激はなおさらだろうが、そうでなくとも、キャラクターの動き、彼らが自然に溶けこむ美術など、すべてが豊かな情感を醸し出す。ウッディとボーが再会する瞬間の見事な演出。そのうえキアヌ・リーヴスが声を当てるスタントマンおもちゃ、凶暴なぬいぐるみコンビ(うち一体の声はジョーダン・ピール)など、新顔キャラが全員可笑しい。とあるフィギュアがウッディとのハイタッチにさりげなく失敗していたことに、ちゃんとオチがつくのもお見逃しなく。
大衆的想像力における写真と心霊現象との連結を、これだけ中心に据えているのはかつてのJホラー以来か。凄惨な事態が起こるまでのひっぱり具合が、近年のアメリカ映画の基準を超えている感じ(ただし後半はスピードアップするけれど)なのが興味深く、事態そのものよりも、ひっぱり方で怖がらせる趣向。辛い記憶を抱えたベビーフェイスの内気な少女が勇敢に闘うという構図は、「恐怖の根源と向き合わなければ物事は解決しない」という、ホラー映画の普遍的テーマをさらに際立たせる。
ある雑誌でポカーン映画のベストテンを選んで、楽しんでいたことがあるのだけれど、この作品は確実にその仲間に入り、笑いながら、語る対象になったはず。作者たちは地球空洞説や、歴史上危険な人物はみな、ヒト型爬虫類だというカルトな説を物語にしていく。月面の基地にいた危険な一味のヒトラーが恐竜を従えて未来の人類を襲うのだ。ジョブス教会をはじめ、ビンラディンからマーガレット・サッチャーまでヒト型爬虫類として登場してくるにおよび、ここまでやっていいのかと心配にも。
人を絶対に傷つけないという実在した銀行強盗の晩年をロバート・レッドフォードが俳優の引退作品として、しわの多くなった顔の、紳士然とした風貌で淡々と演じる。「明日に向って撃て!」の昔日を思い出して感無量。共演のケイシー・アフレックやシシー・スペイセクも渋い。ハリウッド大作なら、派手な脱獄の場面やカーアクションもできたはずなのに、サンダンス映画祭で育てたデイヴィッド・ロウリー監督による、自主映画タッチの作品で静かに引退とは。感情移入して、星を加点。
おもちゃの動きが速いので、話がぎっしり詰まっている。今回の見せ場としては子どもが使い捨て先割れスプーンで作ったおもちゃのフォーキーに大役を振っていることで、自分はなぜこの世に存在するのだろうという呟きは、まるで日本の若者の物語。保安官のカウボーイ人形ウッディがフォーキーを手作りした女の子に会わせようとする過程でのアンティークショップや大観覧車のある移動遊園地の舞台が緻密な仕上がり。久しぶりに会えた羊飼い人形のボーもたくましく魅力的になっていた。
40年以上のヴィンテージ品のポラロイドの外観がよく、カメラ好きの孤独な女子高生バードが事件に引き込まれていく発端は映像的に説得力がある。暗く雪の舞う静かな街の撮影など、クレヴバーグ監督がノルウェー出身だということを思い出させる。配役もキメ細かくて、低予算ながら、サウンドと音楽のセンスもあり、面白いホラーを作ろうという新人らしい意欲は感じられた。だがポラロイド写真に影が映ることから殺人が始まるというパターンの繰り返しは、物語としていささか単調だ。
ヒロインは前作のナチス美女と黒人モデルの間に出来た娘、話の核となっているのはナチスが解明に執心したといわれる地球空洞説。というわけでまさに続篇なのだが、持ち味であった毒ある笑いがなんとも薄味に。前作ではサラ・ペイリン風大統領を引っ張り出して恐ろしくも痛々しいアメリカの覇権主義を笑い飛ばしたわけで、ならば今回はトランプを出してとことんやるべきだと思うのだが……。正直なところユルいアドベンチャー・コメディという仕上がりだが、VFXはなかなか見せる。
その状況も物語も違うが、銀行での幕開けは「ホット・ロック」、刑務所内での姿は「ブルレイカー」といった具合に“俺(私)にとってのレッドフォード映画”を彷彿させる場面がアチコチに。狙っているかどうかはともかく、それだけ我々のなかにレッドフォード御大が染み込んでいるのは確か。小悪党のようでなんだか大物という否応なく支持してしまう主人公の造形を筆頭に、大スターであった御大自らが製作も務めているだけにその輝度が一瞬でも下がらない作りになっているのもお見事。
もはや磁器人形のボー・ピープが主人公と言っていい。数あるキャラクターのなかでも淑女を極めていた彼女がスカートをパンツに穿き替えて、ウッディをガンガンと引っ張り、誰の所有物にもならないという姿勢を貫く姿は痛快至極だし、まさに当世風でもある。だが、主従とは違った玩具と持ち主となる子供との絆がシリーズの笑いとスリルと涙を生んできたはず。ボーを通して掲げられる“自由”というテーマが大事なのは重々承知しているが、前3作をひっくり返されたようで切なくなった。
恐怖を喚起する装置にポラロイド・カメラを、しかもSX−70(復刻品もあるし中古品も溢れていて、もはやレアではない)を選ぶあたりはセンスが良い。ただし、ノリに関してはJホラーっぽくもあるし、「ファイナル・デスティネーション」っぽくもあり、真新しさは感じず。本国でのレーティングがPG−13なのでゴア描写も皆無、“人間縦割り”シーンもあるが直接的には見せない。リブート版「チャイルド・プレイ」を任されたラース・クレヴバーグ監督ということで期待したが……。