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今から22年前。「フル・モンティ」の味わい深さは、自分にはわからないものだと諦めた。その後「高齢者映画」に関する雑誌連載をつづけ、自身も年をとって中年になり、身体は飲んだアルコールの分だけ生成変化を遂げた。主人公を演じるアマルリックは無職でうつ病持ち。他の登場人物たちも家庭や仕事場に居場所がなく、美しいとはいえない体型のおじさんばかり。そんな彼らが、なぜかシンクロチームに夢中になる悲喜劇に、ついにこの私もじんわりと感動してしまう日がきたのか……。
★★★★★★星6つ。今年の洋画第1位で決定。人類発祥後、モンゴロイドはシベリア、アラスカ、パタゴニアへ、スカンジナビア、グリーンランド、北極圏まで偉大な移動の旅を続けた。トナカイ遊牧はグローバルに広がり、樺太のウィルタにもそれがあった。語学教師がグリーンランドのイヌイットにデンマーク語を教えにいくコロニアルな題材とはいえ、先住民の姿を劇映画に描いたことは画期的。しかも彼らに自分自身を演じてもらう「ナヌーク」のエスノフィクションの手法。最高!
本欄を担当するのも後少しなので所見を述べておきたい。筆者は生まれてきたすべての作品は尊いと考える。多少だが映像表現の世界に関わってきて、監督や俳優やスタッフの労力は痛いほどわかっているつもりだ。本作は、台湾ニューウェーヴや香港映画へのオマージュをこめた映像設計が特徴だ。主演俳優ふたりの演技は重厚で、坂本龍一の音楽は映像を活かしている。それでも、目に見えない何かが少しだけ嚙み合わないときもある。その秘密を知りたくて1年半続けてきたのかもしれない。
「ビッグ・ウェンズデー」的なサーフィン映画を予想したが、原作のテイストなのか、ずっと純文学よりの物語。10代半ばの時間と体力を持て余した少年2人が、かつてのプロサーファーと出会い、波乗りと性の世界にのめり込む。つい自分の少年期と照らし合わせてしまう、映画のつくりが憎い。ひとりの少年が巨大な波を求めてインドネシア旅行に出るのも、なんだかオーストラリア的。高所恐怖症の私にはサーフィンとダイビングは不可能だが、輪廻でもう一度人間になれたら挑戦したい。
仕事に家庭に将来に等々。悩ましきこれらは、程度の差こそあれ、おそらく世界中の多くのオジサンたちに共通するのでは? それにつけてもM・アマルリック、G・カネ、J=H・アングラードらのダンディーたちが、実年齢も体型も、どこから見てもオジサンなのが面白い。シチュエーションはコーチにしごかれながら世界選手権を目指すのだが、特訓しても彼らの胴回りはひき締まらなかったのが、映画の残念さをも凝縮。体型も選手権出場に相応しく変化すれば、拍手喝采したのに……。
日本からは遠いグリーンランドではあるが、53年までデンマークの植民地であり、現在は自治政府が置かれていることを知れば、このドキュフィクションの見え方が違ってくる。主人公は旧宗主国からデンマーク語を教えるために来た教師なのだから。「現地の言葉を覚える必要はない」と言う引き継ぎをする前任者の言葉、主人公のナイーブすぎるまでの現地の人々の文化・伝統・暮らしへの溶け込み方に、同化政策に対する疑問がちらり。現地と外来の人間の、両者の眼差しが全篇に注がれている。
だんまりな男に、ミョウに軽いおしゃべりな男。何が始まるのだろうと思わせながら始まったこの逃避行は、ストーリーはやや平板なものの、画面には湿度、街の匂い、人々の熱気に活気などが満ちている。豚肉をトラックに積み込むシーンにはオエッときたが。展開からして登場人物は強面ばかりだが、そんな中にあってトレードマークの屈託のない笑顔に、寄る辺ない虚ろさがにじむ妻夫木聡の演技が際立つ。罪から逃れられない二人に楽園はあるのか……と思うと、生きる哀しさも覚える。
子供から大人への成長は、時に死をも恐れぬ無謀な行為を含めた未知との出会いとして、しばしば映画でも描かれるが、70年代の青春をいま映画化したことに意味がある。ドラマの軸足が、意気地なしと謗られても、生きることに自分を見出す方にあるのだから。決め手は主人公の少年のキャラクター。受け身のパイクレットに対して向こう見ずのルーニー。常にルーニーに主導されていたパイクレットがそれを拒否し始めるのがターニングポイント。初監督のS・ベイカー、目配りがうまい。
見て見ぬふりをしようと努力はしてきたが、いつの間にか紛れもない中年になっていたマチュー・アマルリックの、すっかりお腹の出たオヤジ体型。あのナイーヴなインテリ青年だったマチューが……といささかの郷愁がないわけではないが、その悲哀こそドラマのテーマであるし、一方ではそれがコメディとして機能しているのだからさすがだ。「オジサンを愛でる」というフォーマットでは消費しきれない肉体のリアリティ。フランス映画ならではのポップな色づかいも大いに一役買っている。
グリーンランドの村人たちの顔がとにかくいい。顔が彼らの生きてきた土地の力を雄弁に物語る。中でもまだ年齢の浅いイヌイットの少年アサーの顔は、その血を確かに受け継ぎながら、何者にもなれる未来を宿している。時に動物のように無邪気なアサーと赴任教師アンダースとの交流には神聖ささえ感じる。どこまでも続く白銀、雪原を走る犬ぞり、雪に囲まれ流氷の浮かぶ氷河を進むボート。圧倒的なロケーションが言葉を凌駕する。雪の中に不意に現れた白熊の親子は息を飲むほど美しい。
それぞれの事情から台湾に逃れてきた男たち。帰る場所を持たない二人にとってそこは幻想の楽園でありこの世の果てでもある。このドラマにおける台湾のロケーションはそのようなものとして機能するべきだが、どうしても既存の記号以上の絵力を獲得していないように見えてしまう。謎めいたヒロインの存在は曖昧で、彼女を介した島と牧野の関係性が読み取りづらいため、お互いの心情描写が上手く交差しない。ロマンと表現の距離感は難しい。とはいえ妻夫木聡の泣き顔はやはりテッパンだ。
サーフィン映画というジャンルイメージにとらわれることなかれ。そこに写っているのは青い海や輝く太陽ではなく、くすんだ色調の大自然と少年たちの前に立ちはだかる荒波だ。70年代という時代設定はノスタルジーを刺激し、美少年サムソン・コールターの瑞々しくも苦い青春の肖像にはそこはかとないサブカル臭が漂う。ヒロインを演じたエリザベス・デビッキのフェアリー感あふれる佇まいも「ピクニック at ハンギングロック」などを生み出したオーストラリア映画の系譜にぴったり。