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雨上がりの路面に映る、母子の後ろ姿。儚いファーストシーンに魅せられる。アダム・シコラのカメラワークは抒情的だ(一家で出かけた遊園地のシーンも素晴らしい)。冒頭で気になった少年の唇の傷は、心の傷の表層に過ぎぬ。澄んだ瞳で見つめ続けた、母親の裏切りや大人のずるさに絶望し、目を背けていく様が淡々と、しかし切々と描かれていく。ラストシーンの少年の眼差し、彼が出した確固たる結論に、胸を衝かれる。石切場の池やアンナ・ヤンタルの流行歌等も作品世界を豊かに彩る。
ふわふわの長い髪を風になびかせながら、しかめっ面で街を歩くレオニー。ファッションを含め、観ているだけで幸福を感じさせるパーフェクトなヒロインだ。退屈な場面から抜け出す、少女のささやかな抵抗や、蛍のモチーフなどきれいに整えられた物語で唯一違和感を残すのは、レオニーが惹かれるスティーヴの存在。しかし葬儀から帰宅後のレオニーとの一連の描写(亡母の愛犬との小ネタも秀逸)を観ていたら泣いた。彼は論ずることのできない幸福、あるいは愛を象徴していたのかもしれぬ。
大岡昇平と親交が深かったという原作者のヴァイニョ・リンナ。なるほど、自身の戦争体験を踏まえた、兵士目線で描かれる戦争描写には、大岡の非戦への祈りに通じるところがある。「早くソ連兵を殺したい」と粋がる、冬戦争を知らない19歳の新人や、無線でしか状況を知らぬくせに、前線から撤退する歩兵隊に銃を向ける上司に対して、実際に戦う兵士たちは、迷い込んできた鼠にも親切だ。指に止まる蝶々にも優しい兵士の手が、嵌めたばかりの結婚指輪を外す悲しみに、胸が痛くなる。
夫の写真を抱きしめて、ソファで泣き寝入りした夜をやり過ごしても、新しい朝が来れば、エレベーターの金銀きらめく輝きにも負けず着飾り、職場に向かうジェイド。何て知的!と感心したのは束の間……。ジェイドに追い打ちをかけるべく突如現れた前妻マリアの長閑な暮らしぶりに、すわ真打ち登場か!? と思うも……。それぞれの弱点を突くイタい展開からの大団円を爽快とはとても思えず。マリアの「彼が変わると思った?」という問いに、率直にジェイドが答える、夕食のシーンが好きだった。
幼年期の終わり、ママとの揺籃的関係の終わりをこれほど馬鹿正直に撮った例を知らない。日本では寺山修司、木下惠介あたりが思い浮かぶが、本作ほど率直ではなかった。揺籃的、口唇的を通り越し、近親相姦愛からの裏切りと嫉妬なのだ。共産主義体制真っ只中の七〇年代ポーランド。暑さを感じさせない冷感症的で乾いた夏のありようが物悲しい。ママに棄てられた少年は、幻滅・汚穢の共有を通じてママと同一的存在たらんとする。冒頭の踏切シーンがすでにそれを直截に物語る。
不機嫌な女子高生である主人公はこの映画の中で二度消え去る。一度目は母と継父との気の進まない会食から。二度目は大事な止まり木から。ピロット監督は「これは青春映画ではない」と明言する。「今日のケベックのポートレイトを撮ったのだ」と。そしてそのポートレイトにはすでに「消失」が織り込まれている。私はいつでも消えられる。私を連れ去るバスはきょうも私の前で停車してくれた。取り巻くすべてが耐えがたい。だからいつも消失態勢の再点検をしておきたいの、と。
ヒューマニズムの衣を被ってはいるが、本作が煽る生臭いフィンランド愛国主義を見落としてはならない。家族を守るため、大切な農場を取り戻すためと純朴な大義を掲げ、観客を慰撫してくるが、要するにカレリア地方をめぐる領土争奪戦だ。日本でも北方領土を武力で奪回しようなどと口走る政治家が出てくるご時世。北欧の優等生が愛国映画を作るのも仕方ないのか。だが兵士たちの顔つきよし、火薬の量は圧倒的で、豪快な活劇を見たという手応え。このジレンマは難しい問題だ。
米国で活躍したドイツ人のコメディ映画作家というと、E・ルビッチやB・ワイルダーなど錚々たる偉人の名前が浮かぶ。ユダヤ側に立ってホロコースト再総括を試みた「ハンナ・アーレント」で健在ぶりを示したM・フォン・トロッタが、偉大な先達に倣ってNY流喜劇に挑んだものの、最高度の熟達と洗練が必要とされるこの分野に手を出すには、この監督は生真面目に過ぎる。映画は時間を追うごとに手詰まり感を露呈し、苦しくなっていった。やはり彼女にはシリアスな映画を求めたい。
母が母でなくなり女となった。それを止めようとしても、どうしていいかわからない。12才男子のもがきがひりひり胸を打って。ポーランドの夏、田舎町。あふれかえる緑のみずみずしさがかえって母と子の孤独と哀しみを際立たせる。北欧の夏は短い。それが少年期のはかなさと、母が女であることにしがみついた、その一瞬の炎の燃え尽きを匂わせる。佳品。だけどもう一歩踏み込んで、早すぎる通過儀礼を経た主人公が、この先女性に対してどう向き合うか。その絶望の果ての夢想が見たかった。
最近の日本の青春映画は大人が出てこない。けど、あちらのヤツはどんな大人を登場させるかが決め手で。理想と思う父親、嫌悪する継父。彼らとは全く違う男と出会って、少女は家族ではない他者の存在を知っていく。世間と歩調が合わず、淡々と我が道を行く男。この二人の、恋とか性とか超越した関係が良くて。スネたり怒ったりツッパったりの彼女の感情の動き。その繊細な描写が、井手俊郎脚本の少女映画を思わせ、「ゴーストワールド」の影を匂わせる。主演女優がちと美人すぎる気が。
第2次大戦中、フィンランドはソ連に侵略された領土奪還のためにドイツと共闘。この解放の戦争を描いて、悲壮感とか愛国精神がないのが助かる。塹壕を駆け回り、トーチカを攻撃しと、これまで何度見たかという戦闘場面が展開され。インテリ風の小隊長とかタフな伍長とか人物描写もお約束で。安定した戦場映画の印象。だけど全体に疲労感が漂う。結局ソ連に(自分たちも)侵略し、逆襲されて敗退する。苦い。国民映画の趣きも感じるが、底にあるのは厭戦だ。独軍が出ないのはなぜ?
マンハッタンの高級マンションに元妻と愛人が同居して。おまけに性格も正反対。当然、波乱も騒動も。このコメディ、ただちにルビッチ、ワイルダー、N・サイモンの名が浮かぶ。これを「ハンナ・アーレント」の監督が手がけた。やはり少し重い。だけどソフィスティケイテッド料理に、丸ごとごろんとじゃが芋や人参が入った不思議な味わいがあって。金儲けとか名声とか成功とか、そんなアメリカの夢に釘を刺し、それがどうしたというトロッタ監督の心意気が丸ごとごろんじゃないのかと。