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桜の季節に始まり桜の季節に終るこの映画は、自然の風景とそこにざわめく音の描写が見事で、目と耳に浸みてくる。そのなかで展開されるドラマは、人間は自然の一部であり、朝の音や夜の音、季節のさまざまな光、たい焼きのあずきの輝き、それが煮えていく音などを感じることが生きるということだと伝えてくる。「毎日かあさん」「KANO」に続く永瀬正敏の演技はすばらしく、樹木希林は静かに持ち味を最高に生かし、撮影録音など全スタッフの意気を感じる。河瀨直美監督の秀作。
マンガ家、横山隆一氏の鎌倉の家で恒例の花見の会が催されていた頃、そうめん流しが行われたことがあり、それは賑やかで楽しい騒ぎだった。この映画での和歌山の男の実家でのそうめん流しの場面は、そうめんの流れる距離が長いのがゆかいだが、ややさびしそうなのがいい。カップルの男のほうは、私にはとても〈お坊っちゃん〉には見えないし、ふたりも〈平行線〉ほど違ってもいない。だが彼らも周囲の連中も、みな性欲だけはしっかりありそうで、全体のつじつまがあっているようだ。
確かに映画の前半は、映画化もされたウィリアム・ゴールディングの小説『蝿の王』を思わせる。だがここは無人島ではないし、少年たちだけでなく女性も加わってくるし、メイズ(迷宮)は密室的ではなく空が開かれた巨大なスケールであることが意表をつく。なにかの実験状況を描くSFだとはすぐに想像がつくが、これは序曲なので、続篇がどうひろがっていくのか待つほかない。ここでは映像的な尺度の示しかたに工夫があって圧倒される。今後の展開が、どうかありきたりでないことを!
映画の原題はvice(悪徳)で、悪徳の限りをつくしても罪に問われない金持ちのおとなのための遊園地のような場所の設定は、70年代のアメリカ映画「ウエストワールド」をちょっと連想したが、この近未来活劇はそんなにのんきではなく、着想は非常に優れている。ハードボイルドな正義派刑事が救出する少女には、もっと多くの能力が秘められていてもおかしくはないはずで、さらに内容を深め拡げれば、アクションと知的刺激に満ちた本格的なSF映画大作になったのでは、と惜しまれる。
ハンセン病を経験した老女と、どら焼き屋の雇われ店長の深く静かな交流が心に染み入る。住宅街の外れに佇む小さな店の清涼感。粒あんを作るゆったりとした時間。屋外の風景に溢れる穏やかな光。河瀨直美の映像世界のひとつひとつに吸い込まれる。でも、彼女の映画の中心にあるのは、やはり人間だ。差別と闘い地道に、かつ毅然と生きてきた老女の年輪を、樹木希林が存在で感じさせる。また、店長役の永瀬正敏がとてもよかった。私は彼に涙した。彼の代表作のひとつになるのでは?
30代の女性監督には、ハッとするような面白い人がいる。女子の感性を映像に緻密に組み込んで、自由に映画の可能性を広げているのだ。PFF出身の岨手由貴子も、そんなひとり。アラサーの文化系女子と優柔不断なおぼっちゃま。交際4年のまんねりカップルとなったふたりが、予想外の妊娠をきっかけに、互いの家族と知り合いながら、結婚するまでの覚悟をユーモラスに綴る。鋭い人間観察とブレない映像センス。16ミリで撮ったと思しきフィルムの質感が粋。主役のふたりも魅力的だ。
巨大な壁が取り囲む謎の広場に放り込まれた、自分の名前以外の記憶のない少年たち。壁の向こうの迷路に飛び込み、決死の脱出を試みる。ある空間に閉じ込められた少年集団の、友情と争い、秩序の無秩序が、正攻法な演出によってスケール感たっぷりに描かれていく。少年たちを演じるのは、未来のスター候補だろうか。いずれも強烈な個性は感じないが、フラットに共生志向で聡明さの漂う辺り、新世代っぽい気も。続篇が決まっているようなので、彼ら+彼女の成長に注目していきたい。
危険な空想を実体験できるリゾート都市が、娯楽として運営されている近未来。という発想は、興味をそそる。毎日犠牲となって命を落とす美しいレプリカントが、記憶の誤作動をするようになってから、物語は大きく動いていくのだけど、いろいろ惜しい、この映画。各キャラクター=俳優はかなりいいのに、結局、生かされてない。刑事役のトーマス・ジェーン、もっと活躍してほしかったぞ。物語も演出も中途半端。アンビル・チルダーズのB級チックな個性が、いい意味で気になった。
これまでずっとオリジナル脚本にこだわってきた河瀨映画が、とても自然にこの原作と出会った感じがする。樹木希林は何を演じても「樹木希林」なのだが、自身の養母をドキュメンタリーに収めつづけてきた河瀨直美が撮ると、なんだかとてもしっくりきた。展開に性急さが否めないものの、「老い」と「和」をめぐる寓話はみごとにこれまでの作品を継承している。希林の実孫(!)の内田伽羅も原石の感あり。「あん」が煮詰められる過程は、近年の和食ドキュメンタリーを見る思いもして。
女と男のいまふうの微温的な関係はとてもよく描けている(何気ない会話の途中で切る編集もいまっぽい)けれど、彼らより上の世代の人物描写がびっくりするくらい硬い(杏子とうじきつよしの登場場面にはちょっとした衝撃をうけた)。亀にパグ犬、日本人形等々、「かわいいもの」ばかりを配置する趣味的画面もそれ以上のものではなく、某結婚情報誌の壮大なコマーシャルにしか見えなかったのが正直なところ。主演のふたりはよかったけれど、和歌山のコンビニ店員は標準語を話さないと思う。
日本でいうと原作はラノベにあたるのかしら。ソーシャルゲームに「ランゲーム」というジャンルがあるのだけど、まさにその映画化という感じ。原始共同体的日々の生活感もなければ、男子校(工業高校)的なノリも、美少女が送り込まれたときのハアハア感も皆無の草食系的空間は、まさにオンラインゲームの世界。それはさておくとしても、もっと走ってほしい。ひたすら走って走ってナゾが解けてゆく、それこそがゲーム的=映画的な快楽だと思われてならなくて。三部作は正直しんどい。
フィリップ・K・ディック感まる出しを制作陣がおそらく百も承知のオリジナル脚本で勝負してくる潔さ! いや無謀さ! よくぞDVDスルーにならなかった! とはいえ使役されているアンドロイドの叛乱という古典的物語(それは機械に対する人間のおそれの裏返しである)を焼直しながら、たとえば「ブレードランナー」の中心にあったレプリカントの実存的な問い(わたしは何者か?)をまるきり欠落させていることが映画を致命的に平たくしている。ここ! という見せ場がなくて。