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原作は百五十万部売れたそうで、読者はわざわざもう一回だまされに見に来るのかと余計な心配。私は白紙で見て満足です。ただこの仕掛け、映画の語りの約束事を約束事と意識することなくすんなり見られる能力を持った人にしか通じない。と思う。現に試写室に一人よく分かってないおじさんがいて、ラストの意味を隣の人に聞いていた。本来映画化不可能な設定だもんね、無理もない。冗談みたいな演出でキーポイントもエア・ジョーダン(懐かしい)、でも彼女一体どこで入手したんだろ。
映画を見た後しばらく立ち直れなかった。真面目に生きて他人の分まで仕事をして、それがそんなに人様からあざけられ、さげすまれなきゃいけないことなのか、と思ったら。特にOLと区役所職員には今でも腹が立っている。私もつくづく人間が小さい。中年レンジャーっていうアイデアは悪くない、どころか大いに可能性はあった。弱者だってヒーローになれる、そういう話で良かったはずだが監督はそれじゃ嫌だったみたいで、ヘンなひねり方をした。私立エビ中の女の子だけが救いとは。
半世紀を隔てての飴玉の受け渡し、というコンセプトには素直に泣けた。老女には歳月はダンスをするつかの間に過ぎたのかも、と思わせて秀逸。この監督は女流詩人だね。お寺の奥の池の実写風景も凄い。カラー(現在)とモノクロ(過去)で撮影技巧を変えていると思う。池というのはめぐり合う場か、或いは別れの場所なのか、それは見る人の解釈に任せるとして、問題は話に無駄があること。息子さんとのすれ違いの度が過ぎて時間稼ぎみたいであった。田村奈巳をもっと見たかったかも。
こういう「手に職」映画は大好き。訪問美容という題材も面白い。ただ物語の設定が甘い。傲慢な天才イケメン美容師とマジメがとりえのドジっ子美容師の対立と仲直りという大テーマは納得だが、対立の構図は腰が引けてるな、ドジっ子はもっとイケメンに食ってかからなきゃ。そのせいで彼が人間性を取り戻していく過程がおざなりに。まあもともと悪人じゃない。彼なりの職業的プライドの為せる業であり、そうなりゃこの際、彼の神の手テクニックを前面に押し出した方が良かったかも。
合コンで出会った〝美女と野獣(ゴメン)〟のカップルの、顔よりハートふうのラブ・ストーリーだとタカをくくって観ていたら、おやおや、実は美女役の前田敦子はとんでもないトリック・スターだった。そういえば彼女は、「苦役列車」でも主人公をその気にさせていたが、手が届きそうなカワイイ娘という役どころを自然に演じられる前田敦子はそれなりに大したもので、女優として油断できない。とは言え〝見た目〟も伏線の一つにして観る側を誘導するっていうのは、非モテ男子がカワイソー。
確かに〝騒音〟映画である。顔を出しているだけの有名タレントをはじめ、賑やかしふうな人物が多すぎるのもうるさいし、エピソード未満の小ネタの連発も、笑えないだけにやかましい。家族や世間から疎んじられているオヤジたちにしても、愚痴と自虐性ばかりが目立って見苦しいったら。加えて開発工事というリアルな騒音。しかもこれだけでなく、もっとも重要なメッセンジャーである〝地底人〟まで妙な雑音まみれ。映画に100のオマージュを盛り込んだそうだが、欲張りすぎて空っぽに。
八千草薫には老女ということばは似合わない。もちろん若くはないけれども、透明な柔かさがあって、年齢を超えた女性としての豊かさ、美しさがある。中みね子監督が八千草薫に託したこの作品が、静かで慎ましいのに、さりげなく大胆なのも、自分の人生を自分なりに生きてきた女性の肩ヒジを張らない強さを描きたかったからに違いない。軽井沢を追憶的に歩き回る彼女が、店や地元の人々と交わす些細な会話からも、それぞれの生き方を肯定する善意が伝わってきて、実に心地良い。
どんな仕事にも通じる自分の居場所さがしの元カリスマ美容師版で、そういう意味では普遍的だが、ただ話がいかにもの段取り通りで、始まってすぐに先が読めたり。そういえば、施設で暮らすミッキー・カーチスが、「若いっていいよね。気が付いて直せば、それですむんだものね」と主人公に言っていたが、ホント、この主人公、訪問美容師への転身が早い。根は素直なのね。近年、小ギレイな老女役が多い松原智恵子が、ウィッグを取っ替え引っ替えして登場、あ、ご自分の髪だったらお許しを。
映像化に無理のある設定だけにSIDE-Bに移ると同時に仕掛けが分かってしまい、意図的なステレオタイプの恋愛描写が本当にパターンをなぞっているだけに見えてしまう。画面と台詞を気にしない〈ながら視聴〉をすれば愉しめるのかも。となると映画よりTVがふさわしかったのでは? 終盤のバカ丁寧なネタばらしには屋上屋根を重ねる鬱陶しさのみ。観客のレベルをどこまで低く見積もっているのだろう。若い人には観た後に『男女7人秋物語』の特に1話目を見ることを薦める。
20年以上前に本誌で関根監督が連載していた「サブミッション映画館」の愛読者としては、もっと早く「悪魔の毒々モンスター」風の映画が観られるだろうと予想していただけに、核廃棄物でモンスターになる本家とは一線を画した地底人設定を用いつつ、舞台となる町が棄民地区となって政府が無責任な安全宣言を出す本作を感慨深く観る。芸人の顔出しも煩く感じる直前に次に移るので冗漫にならない。関根の怪演が語りぐさの「毒々モンスター 東京へ行く」なみに暴走する続篇を期待。
喜八監督が遺した企画『幻燈辻馬車』は、みね子プロデューサーが監督すればいいと思ったことがあったが〈中みね子〉の名はそんな声への回答に思えた。老人的な老人役への異議申立てのように等身大の女性を機嫌よく演じる八千草薫は表情も若々しく実に可愛い。その姿の影に、自分が撮りたいものだけを凝縮して撮ることができる新人監督の喜びが見え隠れする多幸感。盛り込みすぎることも説教臭くなることもなく、戦争の影は見せても〈戦中派の感慨〉は出さないバランス感覚も絶妙。
ナルシスト美容師が客の有名モデルからの交際を断ると店を不当解雇され、家に帰ると火事になっていたという「裸足のピクニック」に匹敵する爆笑不運映画なのにやたらと深刻な作りと、演技と思えない主人公の覇気の無さに戦慄。実家に戻って高齢者の訪問美容をやるのはいいが、雪が降り積もる中で温度の下がる日没直前に施設の松原智恵子を無理矢理連れだしたことが彼女の急逝理由にしか見えないのは如何なものか。不和だった母親との関係修復に髪を切ってあげる場面を欠くのも不満。