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殺処分を免れた牛の世話をし、猫や犬と共に原発のマスコットだった駝鳥に餌をやる松村直登は、海外メディアでは有名人だが、日本のメディアでは、ほとんど報じられることがない。というのも、彼は、出入りは限られた時間内のみ、居住は不可とされている福島県富岡町に動物たちと暮らしているからだ。中村真夕は、そんなナオトを一年近く撮り続けた。そこから、危険地域を囲い込み、社会から隔離すれば事足れりとした国家に対して、淡々と居続けることで抗う男の姿が見えてくる。
原作の愛読者からは、新一とミギーの関係が親和的過ぎる(ミギーが人間的になっている)と批判されるかもしれないが、映画は映画としてよく出来ている。前編からの展開次第では、寄生獣摘発・駆逐=異分子排除に向かう可能性もあると思ったが、それとは逆の方向に進めた点に、作り手の思想を感じた。これには、深津絵里の存在が貢献していよう。まったく無表情の彼女が笑うところ、そして赤ん坊を抱いて語る場面での表現。見終わって、ふと三島由紀夫の『美しい星』を思い浮かべた。
物語の横糸は、巷に雨と共に降り注ぐセシウム、縦糸は、阿佐ヶ谷の地誌と歴史、両糸を紡ぐのは十七歳の少女と地に落ちた神々。というと、なにやら難しそうなお話と思われるかもしれないが、そんなことはない。というより、それを織り上げていく、実写にCGにアニメに北斎漫画ふう図像といった多彩な映像が眼を奪うと同時に、そこにかぶる、これまた多彩な音楽が耳を喜ばせる。そして既存の物語が、最後の結び目に向かって閉じていくのに対して、これは、逆に開いていくのが新鮮である。
原作の広告を、新聞などで見ていると、結末はわかっているような気がして、やや引き気味になるが、実際に見始めると、話に引き込まれる。それは、まず脚本(橋本裕志)が、主人公と塾の教師だけでなく、ひたすら娘を信じる母と、息子に夢を託す父との関係を通して、物語の主線である「夢を持つことの大切さ」に、それと裏腹な、夢を持つ危うさという陰影をつけているからだ。その結果、オールドファンからすれば、たかが大学受験のお話ながら、ちゃんと青春映画になっているのである。
主人公が淡々と被災地に留まる様子が面白く、その次元では是非見ていただきたい。ただ映画としてどうなの、と問うてみると評価はまた別。真面目に撮影している、という以上ではないな。真面目さを否定しているのではない。ディテイルに乏しい感じがするのだ。とはいえ、白骨化した家畜の死骸とか、餌に含まれた放射能の影響と考えられる放牧馬の皮膚の変異した色合いとか、見るべき画面も少々。一本の作品に仕上げるには素材不足なのか、オムニバスの一部分という雰囲気になっている。
辛口な人は「羊頭狗肉」と言うであろう。北村市長、ドン浅野、新井暴行魔といった男たちの不気味さとそれぞれの存在理由や基盤がそれほど映像化されていないからね。むしろ橋本愛と深津絵里という二人のマドンナ(前作の余も含めれば三人か)と主人公の関わりに物語は絞られていて、その件が説得力あり乗せられる。その分、映画の世界観が小さくなってしまったが。あんなことがあっても世の中は……、と実に奇妙な感じがするのであった。私はこれを「大山鳴動ケモノ一匹」と言いたい。
現今の社会情勢への反骨精神が作らせた映画、とはいえアート・アニメーションも実写部分も遊び心満載なので気楽に見てね。特に主人公と、彼女の祖母の少女時代、この二人が太平洋戦争下、阿佐ヶ谷の銭湯で歌い踊る小ミュージカルのシーンが抜群。これが初演出とは思えぬ監督の手際良さ、画面の切れ味に感服した。故・岡本喜八の弟子だとか。そう言えば「近頃なぜかチャールストン」を思わせる設定も。星取り関係者が二人(このページではないが)出てきて、それが結構ハマっていた。
架純さんのパツキンコギャル姿は見ごたえあり。ついでに言うとクラスメイトも可愛い。ところが物語がありがちで語り口もありがち。この手の美談は好きなんだが、そのまま撮っても映画にゃならんよ。学校がいつでも、主人公とお母さんにとっての悪者にされているのもちょっと気になる。だって元々「悪い」のはこの子でしょ。ただしエンドクレジットの先生(学校のね)が明るいので救われたかな。このセンスで全篇いってもらいたかった。合格祈願コーヒーで下痢するギャグのみ可笑しい。
原発事故により、全町避難で無人地帯となった福島の富岡町。そこにひとり残り、放置された動物たちと淡々と生活を送り続ける55歳の男性。その暮らしぶりは、海外メディアにも取り上げられたことがあり、彼はヒーローのように紹介されていたらしい。このドキュメンタリーはそんな報道の解釈をやんわり否定しているが、同時に、こうして題材に取り上げられるほどなのか? と、少々複雑な気持ちになってしまった。もちろん、福島のその後の姿を映し出した貴重なレポートではあるのだけど。
第1部の前作に続き、原作をほぼ忠実に映像化。クールかつパワフルな演出で最後まで魅せる。20年以上前の青年漫画らしいクラシカルな匂いは漂うけれど、テーマは極めてアップトゥデイトなものを押し出している。命について、どう生きるかについての壮大な問いに主人公が辿り着く先は、「ソロモンの偽証」の着地点と通じるところがあり、東宝、松竹の2部作、案外、同時期に生まれるべくして生まれたのかも。そして俳優たちが素晴らしい。映画に命を吹き込む強烈なアンサンブルだ。
東京・阿佐ヶ谷に住む17歳の少女が、七人の神様たちと駆ける冒険ファンタジー。カラフルな映像と、想像力豊かなアニメーションを自由に交錯させながら、時空を超える物語が展開していく。タイトルの通り、東京のセシウムへの着目が映画の基軸としてあるが、それよりも東京再発見というテーマの方が色濃く、この地の過去、現在、未来を見据える目線のすがすがしさに打たれた。劇場の暗闇の中で観ると心地よく、素敵な映画体験ができる作品。主人公の少女の知的な雰囲気もよかった。
なるほどよくできたサクセス・ストーリーだが、何かが引っかかってしまう。主人公のさやかは高2まで金髪のビリギャルだけど、もともと素直で、友だちにも恵まれ、塾に行くや勉強好きになる。母親も凛として娘を信じ、最初からよくできた人。そんな母娘の美談を映画でわざわざ観たいかな。むしろ、一家のサブストーリー、野球選手になりたかった自分の夢を息子に押しつけてきた父親、この父子の衝突と和解の方が興味深かった。高校生役が似合う有村架純。この映画でもハマッていた。