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すごいものを観たというのが感想のすべてである。一人の芸術家が十五年の歳月をかけて作りあげた巨大にして細密な絵画のような作品の前にただただ圧倒される。圧政の行なわれている中世以前の惑星、降りしきる雨と泥濘の中でグロテスクな異形の者たちが繰広げる愚行蛮行、奇妙なアングルで切り取られるモノクロ映像は決して美しくはないが異様な迫力に満ち、息を呑んで凝視することを強いる。様々なアレゴリーが読み取れだろうが、これが映画だろうかと溜息が出る。すごい。
併走していた大勢のランナーが一瞬にして消え去り、主人公がただ一人観客の拍手の待つ競技場へ戻ってくる感動のラストシーンは明らかに嘘なのだが、映画の鉄則に従い、大きな嘘には眼をつむろう。監督の狙いが功を奏している。印象が爽やかなのは、スポーツを描いているからでもあるが、家族関係が情緒的にならず個人主義的であるからだろう。妻の死も愁嘆場にならない。ドイツ人的な理性と言っていいのかもしれない。「終活」と言う言葉を最近よく聞くが、見事な「終活」映画だ。
主演のスコット・アドキンスの武闘シーンは迫力がある。手慣れたスタッフが集結して作っているので、同類の映画より一歩抜きんでたものになっている。楽しめる活劇映画だった。ただ、残念ながら役者としてハナがない。演技力以前に、イメージが暗くユーモアに欠けるのが致命的だ。これは妻を殺された男という設定のためではなく、本来持っているキャラクターに由来しているようだ。彼の芝居は妻の生前も死後もほとんど変っていないから。ヒール役の方が似合うのかもしれない。
倦怠期の人妻は、アヴァンチュールを期待して、パリへ行くが、結局は長年連れ添った愛する夫の許へ。さながら城戸四郎が作る昔の松竹映画のような話だが、深刻なドラマが多い中でかえって新鮮に見えてくる。こんな役をあのイザベル・ユペールがと思ったが、一寸わがままで、天真爛漫で、可愛い人妻が実にチャーミング。夫役のJ=P・ダルッサンをはじめ、相手の青年、デンマーク紳士、息子など配役が的確で、点景人物の演出が丁寧で優れているのもこの映画の魅力だ。
ゲルマンの想像力に脱帽するほかない。時間軸に身を委ねられる初期の引き締まったゲルマン映画を好む者としては、この卑小で巨大な世界の前で立ちつくし、その世界をくまなく味わい尽くすことなど不可能に思える。ただ、かつて本誌の取材(93年6月上旬)で目のあたりにしたゲルマン本人のラブレー的な印象に近いのは本作である。撮影が奥行を出そうと位置取りするのを遮るように、近距離に人物が立ち騒ぐ。それでいて、隙間から覗ける奥にはまた異形の出来事が起こっている。
これは脚本の予定調和が撮影で増幅されている。老人ホームで、主人公に対立する人たちが最後どうなるかが簡単に予測できてしまう。つまりショットが脚本の説明でしかないのだ。表情重視の切り返し。特に駄目なのは、死んだ妻が夫の前に現れるシーンで、夫の肩ナメで撮っていること。しかもあの照明じゃ、単に俳優がいるだけ。マラソンも主観移動のスピードが全然合っていないし、トラックに入ってから正面の後退移動で受けたら駄目でしょう。虚構だと教えているようなもの。
これは面白い! 日本軍のビルマ侵攻のニュース映画から始まるなんて。それをぬけぬけとアメリカ兵を暗殺する忍者につないでしまう。それで現代の甲賀屋敷での主人公の修行。国辱映画の残像が残る日本描写が効果的。アクションのヴァリエーションが豊富で、それを捉えるアングルもよい。ショット内で、速さを伸縮させるのもうまくいっている。ビルマからミャンマーに到るロケ地もよし。主役自体があまり魅力的でなく、忍者姿が様にならないのには目を瞑ろう。ニンジャだし。
このキャスティング。畜産農家の夫婦を演じるユペール(胸の湿疹が似合う)とダルッサンもよければ、北欧からの誘惑者を演じるニクヴィストも光る。地味に伏線を張る田舎から、舞台がパリに移れば、弾ける、弾ける! 妻に気づかれないよう尾行する夫の可笑しさ。離れたり接近したり、妻と誘惑者の醸し出す駆け引きの空気。妻を取り戻そうと駅に迎えた夫が、誘ったレストランで職業的怒りが爆発するシーンは、妻の反応も含め、肉の味覚まで視覚化されたような味わいが絶品です。