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この映画の原作マンガが子どもに人気があるのは読んでみればすぐわかる。正体不明の宇宙人らしい先生が学校の特別クラスにやってきて、政府公認で先生を暗殺していいと生徒たちは銃を与えられる、という着想が、なんといっても新鮮だった。マンガの先生をそのまま見事に実写化できていて、いくら射たれても瞬間移動の分身の術でよけるそのおかしさもマンガそのままだ。それが成功しているので、生徒や他の人間たちの役割は、どうにでもできるところが「寄生獣」とは別にマンガ的。
原作者のマンガ家いがらしみきお氏に、二月に初めてお会いした。彼が私の文章を読まれていたのは意外だったし、私が自分の作品の愛読者だと知って彼も驚いていた。彼のマンガでは、なにげない場面にどきっとする恐ろしい気配が生まれるし、風景の描きかたや時間のとらえかたも独特で、それを映画でどうあつかうかは難しいところだが、原作とかかわりなく楽しめるように出来ており、松田龍平のうすい存在感もいい。もう少し切り詰めてもよかったという気もするのだけれど。
なにしろ歌舞伎でも大江戸ゾンビ騒動が宮藤官九郎の脚本で上演されるほど(私はシネマ歌舞伎で見た)なのだから、インドにゾンビ映画が生まれても不思議はないが(「インドにゾンビ?」「グローバリゼイションだからな」というセリフがこの映画に出てくる)ムンバイからゴアの離島に行くとロシア人のパーティがあって……なぜロシア人が登場するかはゴアの現実を反映しているようだ。恐くない陽気なゾンビ・コメディなので私にも楽しめた。映画の色調が全体にポップなのが悪くない。
「ヨーロッパでは詩人の地位は日本よりはるかに高いよ」と私に嘆くのは、しばしば国際的な詩のイベントに招かれる知人の詩人だ。ジプシーの少女が読み書きを学び、詩を書いたことで注目した男が、彼女を一般の文学界に紹介しようとする実話にもとづくこの映画は、いまでは逆にぜいたくなモノクロ映像であることで、まさしく詩的なふくらみを持つ。幌馬車隊のようにジプシー一族が移動する場面など、一九一〇年から八〇年代までの時間を前後して欧州の都市風景の変化が描かれる。
マンガだと気にならないことも、実写映画だといちいちツッコみたくなるのはなぜか。また、「殺せんせー」の動きが速すぎて描写できない以上、映画としては活劇的要素以外で勝負せざるをえないのだが、構成がぶつ切り状態なのが致命的で、俳優たちの魅力が積み上げられていかない(とりわけ、菅田将暉の圧倒的カリスマがもったいなさすぎる)。俳優の魅力は続篇でたっぷり見せます、ということなのかもしれないが。まっとうな教育的メッセージがあるので、その意味では中高生に推薦。
お金アレルギーの主人公の言動よりも、阿部サダヲ村長の怪演に目を奪われていると、やがてサダヲのほうへと話の中心がシフトしはじめるので、この破綻具合は面白くなってきたぞとわくわくしていたら、稽古と並行して書いてるうちに初日が迫ってきて無理矢理書き上げた舞台台本みたいに、終盤バタバタのあっさり味になってしまった。この際徹底的に破綻してほしかったし、松尾スズキにはもっと粘り強い映画を期待したいのだが。松たか子と二階堂ふみのエロティックさはちょっといい。
ゾンビ映画とコメディはそもそも相性がいいわけで、真っ昼間にゾンビがうろうろしているのを引きで撮ったらテッパンなはずなのだが、貧乏な学生映画でも工夫でもう少し何とかするだろうと言いたくなるくらい、ゆるすぎのチープなシーンが続くのはどうしたものか。でも、立て籠った家が襲撃されるくだりからラストまでは、コメディ要素もアクション要素も歯車がかみ合いはじめるので、そこまでの時間をどうにかしてほしかったと思う。元ネタはアパトー・ギャングのあのへんの映画か。
「ジプシー共同体の頑迷さこそが結局すべての元凶なのだ」という印象を観客が抱きかねないのは、この映画にとって決してよいことではないだろう。先入観を回避するため、人物の内面には踏みこまないようにし、客観的に観察しているようである作り手の視点自体が、実は西洋近代の視点でしかないのがたぶん原因だと思う。なかなか難しいところだなあ。ロングショット主体の画面はどれも非常に美しい構図だが、先述した「観察」の姿勢のせいか、躍動感と生命感の追求は放棄されてる感じ。
暗殺という暗く重い題材を扱いながらも、それを通じて勉学、友愛精神、協調性の尊さをしっかと訴える。極めて反道徳的のようで、極めて道徳的な語り口がユニークで、原作コミックが受けているのもわかる。美元との修羅場をくぐり抜けたからこそ出せるのであろうブチ切れまくった表情で魅せる高嶋政伸、可愛すぎて作り物っぽい容姿を活かして人工知能を演じる橋本環奈と、配役も素晴らしい。なかでも、こども暗殺者として登場する元こども店長・加藤清史郎の姿はかなりのインパクト。
劇中で西田敏行が「おもしれぇな人間は」と呟くが、このセリフがまんま本作を表している。銭に頼らず生きていけるかというテーマや物語よりも、次から次へと飛び出してくるキャラクターと彼らが右往左往するさまを眺めているだけで楽しく、幸せになってくる。上下レザーでハーレーに跨る片桐はいり女史は、さすがにズルすぎ。「恋の門」でもベロチュウをネットリベットリと撮っていた松尾スズキだが、本作でも接吻する松田龍平と二階堂ふみの吸い付き感と響き渡るネチャ音は淫靡だ。
監督を務めたコンビは、インド人ではあるがアメリカ在住とのこと。だからなのか、主人公の男たちはマリファナをブカブカと吹かしまくっていて、女と見れば突っ込みたくなるという、アメリカン・コメディではお馴染みだがインド映画では見かけぬキャラ設定となっている。で、それがまた新鮮。だが、アメリカンな風味を強目にしたがゆえに、歌や踊りといったマサラ的要素は皆無に近い。しかし、ヒロインから脇役、ゾンビにいたるまで出てくる女性がことごとく美女なのは参った。
さまよい続けるジプシーたちと時代に翻弄されてきたポーランドの歴史を重ねて描くは巧みといえば巧みだし、陰影を利かせた水墨画みたいなモノクロの映像も美しいといえば美しい。ただ、俺のような〝岩波ホール的なものから遠く離れけり〟な者にとっては、なにかと苦痛の131分。こうノレてこないと、ジプシーもただの粗野な一団にしか見えず。とはいえ、ジプシーたちが襲撃され、そのうちのひとりが火だるまで野原を疾走するさまを引きで捉えたシーンだけはゾッとしてグー。