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剛速球で勝負を挑んでくるような硬派のメロドラマである。自由に対する希求とそれを蹂躙するものへの怒りがストレートに謳われていて涙を誘う。チャン・イーモウが積年胸に抱いていたテーマだという。観客を泣かせるために腐心している凡百のメロドラマと大きく違う所だ。今や中国を代表する監督であるにもかかわらず、本国では未だ非公開の作品があり、実現不可能な企画もあるという談話が胸に痛い。イーモウ、コン・リー、チェン・ダオミンは考えられうる最高のトリオだ。
冤罪で追われる身となった主人公は明朝時代から現代香港にタイムスリップ。活劇、SF、喜劇、ロマンスと様々な要素が詰め込まれているものの、アクションは空回り気味、セックスとスカトロジーがらみのギャグも笑えないまま我慢して観ること一時間数十分、やっとハイライトの青馬大橋上のクライマックスにたどり着く。洗練されているとは言いがたいが、カーチェイス、大クラッシュ、銃撃戦、格闘、剣劇、馬上の疾走、空撮、水中撮影とてんこ盛り大サービス。奇妙な満腹感。
天才的頭脳を持ちながらも不器用にしか生きられない男の生涯が巧みなドラマに組まれている。ノスタルジックに回想されるパブリックスクール時代の同性への憧憬からすべてが始まる。大戦下の暗号解読そして悲劇的結末。ユーモアと哀感を交えての語り口はきわめてイギリス小説的、それもグリーンやル・カレのスリラーではなくイヴリン・ウォーの世界を思わせる。役を得たカンバーバッチ快演。恋愛とも友情とも名状しがたい微妙な男女の関係を演じるキーラ・ナイトレイがいい。
プロデューサーにも名を連ねているアン・ハサウェイの設定はモロッコで遊牧民の調査をしている学究で、弟の事故のため急遽帰国したことになっているが、そんな知的女性の生活感は全くないので、その恋愛に共感は持ちにくい。恋するヒロインはひたすら美しく、音楽は心地よい。しかし、基本となるシナリオがあまりにもご都合主義で他愛なさすぎる。弟の事故もストーリーのための設定に過ぎないから心を打つドラマにはならない。映画と言うよりはミュージック・クリップ。
雨と雨上がりも灰色に覆われる。3年後、文革が終わっても、青空が見えるわけではない。帰って来た夫が認知できないコン・リー。その演技はあまりに真に迫っている。それがあまりに物語に寄り添い過ぎることが、この映画の唯一の弱点かもしれない。つまり狙いが見えすぎる。チェン・ダオミンはピアノを弾き、彼女の記憶を呼び覚まそうとする。そこでの接近劇が彼の下向きの姿につながれ、そのときは場所と時間が経過しているという、さりげないがとても見事な場面の移行がある。
明の時代に冷凍保存されていて、現代で目覚めた剣士。これほど滅茶苦茶なシナリオも珍しい。よくこれに巨費を投じたものだが、それが映画というものか。忠義に生きる愚直な男の筈が、タブレット端末をいつの間にか使いこなすことのギャップ。これは何が狙いか。香港映画では、企画を盗まれないため、スタッフがシナリオ全体を渡されず、その日撮る分しか知らされないことがあるが、これは監督自身もそうかもしれないと思わす程の一貫性のなさ。せめて結末だけはつけてほしい。
これは映画的なストーリーではない。コンピューター(という呼び名はまだないが)の装置自体を画にはしているが、実際それに視覚的なドラマはない。つまり装置や開発チーム内の葛藤(変人集団)に、戦場の実景をカット・バックさせることで、人命が失われることとの時間の競争を拙く見せることしかできない。したがって、脚本はドイツの暗号コードを発見するきっかけと、解読した情報を敵味方を問わず隠すことに狙いが集約される。そこで個人の命と国家が秤にかけられるわけだ。
どうも、アン・ハサウェイは苦手だ。なにも男女の出会いに、交通事故で植物人間状態になったミュージシャン志望の若者を使わなくてもいいのではないか。彼がアン・ハサウェイの弟で、その崇拝する歌手がギターを弾きながら病室の枕元で歌うことになるが、意識が回復しても、しなくても居心地の悪いシーンだ。劇映画の虚構性が顕わになるからである。音楽が人生を救うことがあり得るにしても。ここでは音楽は男女の距離を縮める役割に終始する。もちろんそれが悪いわけではない。