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およそ10年ぶりのパリ滞在を満喫した直後にこの映画を観ることになり、一層生々しくその空間や‘44年という歴史上の出来事を体感した。二人の名優による戯曲の緊張感をそのまま映像に移し、一瞬たりとも眼の離せない演技の力。美しいもの、魅惑的なものが持ち得る力。しかし何故ヨーロッパ戦線終了後も尚一年間に渡り日本は戦いを続けたのだろう? そして現代、土地も建物もお金が神様で入手も破壊も自由な怖さ……優れた歴史劇は現代を想わせてやまない。
クライマックスで、注目するエミリー・ブラントの唄が期待以上だと安心したら、続くメリル・ストリープの唄に魔女のドラマが膨れ上がり「余計なお世話ですが他との差をなんとかしなくちゃ演出家……」という独壇場に。参りました。まさに名優。「唐山大地震」と同じく、家族と信頼についての大エンタテインメント。アメリカらしく父と息子の関係という芯も通り、おとぎ話を裏切らないゴージャスな衣裳とキャストとセットでキラキラする2時間。お菓子の家もみたかった。
監督フレデリック・チェン、只者ではない。老舗中の老舗ディオールが、オートクチュール体験のないデザイナーを抜擢。厳しい条件下で彼は最初のコレクションを成功させられるか? そのスリリングな題材の扱いが、フェアで繊細で温かく、かつ好奇心を満足させる映画に仕上がる手腕。全ての仕事が魅力的に輝く。一方、不況をかこつファッション業界は巨大コングロマリット化により未知の新人のチャレンジを許せる構造になったのか? 映画ビジネスにも適用可? という別方面の興味も湧く。
唐山市の要請で始まったという‘76?年の未曾有の大地震被害を記録する為の映画。‘08年までの32年間を「ソフィーの選択」で始まるある家族の物語に託し、台湾、中国、香港の映画人が協力し、中国映画史上最大のヒットを記録した大エンタテインメントに。32年間の中国の変化も丁寧にみせ、時代の風俗をあらわす美術や衣裳に眼が釘付けに! 映画は歴史の記録としての役割をどう果たすか? 原発事故の加わった日本は30年後、震災記録映画をどう描くか?大きな課題を改めて認識。
ヒトラーがベルリンを空爆された報復に、愛するパリの街を破壊することをコルティッツ将軍に命じる。その屈折した心理がサスペンスを生む。それを阻止しようとするスウェーデン総領事ノルドリンク。舞台劇がもとになっているだけに、二人の駆け引きは心理的で、セリフのやりとりも巧妙だ。ノルドリンクをオーソン・ウェルズにして、同時期を描いたルネ・クレマンの「パリは燃えているか」はオールスター・キャストの大作だったが、こちらは小品の味わいで、パリの街が一段と美しい。
ソンドハイムの音楽と森のなかの撮影は終始みごとだった。メリル・ストリープの魔女とシンデレラを楽しげにいじめる女たちにも笑ったが、ディズニー映画は大人も子どもも鑑賞するという伝統をもっているから、かなりの時間を使って、おなじみの物語をなぞってしまう。そして突如、地震の場面が入ってきて、現代とクロスする物語だと観客があらためて自覚したときは、もはや手遅れだという気がしないでもない。「アナと雪の女王」を絶賛していた小学生の孫娘の意見を聞きたいと思う。
ディオールのアトリエにラフ・シモンズがオートクチュールの監督として登場するときの様子があまりに緊張しているので、思わず「しっかりやれよ」と感情移入する。お針子さんたちを管轄するウルサ型の先輩女子たちなど、集団で物を作る世界におなじみの厳しい人間関係が展開し、アイデア一つがすべて時間と金につながっていく。同時進行のドキュメンタリーの迫力満載で、ピーター・ミリューというやさしい助手を連れてきてよかったと思いながら、花々に包まれてハッピーエンド。
疎開児童のころ、2度も大地震を経験しているので、それが見せ場になっていなければいいがと思っていると、まず無気味なトンボの群れが舞い、特撮ファンをうならせるような大地震が画面いっぱいに展開した。大災害後の人間の変転を描くのは、わが国の『赤い運命』と同じく大河ドラマの常套だけれど、建物の下敷きになった姉と弟の、いずれの生命を救うべきか、母親に選択を迫る発端はあざとすぎて、むしろ、片腕切断の弟が中国でいかにして金持ちになり得たかを知りたいと思う。
戦後70年、そしてヴァイツゼッカーが生涯を閉じた年にこの映画を見ることの意義をかみしめた。戦争は人間を殺傷するばかりではない。都市を、その記憶を、破壊するものでもある。シャンゼリゼ、ルーヴル、モンパルナス……、老練の極みをみせる対話劇のさなかにこぼれる地名の星座に、かつてそこで撮られたいくつものフィルムに想いを馳せたのはわたしだけではないはずだ。あの日パリが燃えていたなら、たとえばジーン・セバーグはこうつぶやくこともなかった、「最低って何?」。
シンデレラに赤ずきんにラプンツェル、その他大勢出演のディズニー版「アベンジャーズ」で行け行けどんどんめでたしめでたし、かと思いきや、後半終了間際のアディショナルタイムでやおら多文化主義を説きはじめ、「テロとの戦い」を推進してついに森に後光が差してしまうアメリカン・プロパガンダ・ファンタジーの超絶的怪作! PKなし! 巨人描写は松本人志の「大日本人」や「巨人殺人」をあたかも参照するかのごときカルトぶりでカップルや子どもたちの午後はさてどうなる!
コレクションまであと8週間、待ちかまえるは経験ゆたかなお針子たち。「ディオール」という名前がもつはかり知れない重圧と人物の関係性を軸に、ドラマツルギーをみごとに引き出すオーソドックスな作劇は、ワイズマン以外が撮ればおそらくこうなる、というお手本のようなドキュメンタリー。モードの世界はどこを切り取ってもエレガント(ミシンを踏む黒のハイヒール!)。ここには創業者への敬意とよろこばしい協働がある。明日はジル・サンダーを着よう、と思ったけど持っていない。
復興はときに物語を必要とし、そして物語はときに災厄を必要とする。大仰な劇伴を用いたふれこみ通りの「泣かせる」演出に辟易してしまうのは、わたしが被災者ではないからだろうか(これは皮肉ではない)。とはいえ、震災によって離散した家族の、30余年におよぶ大河物語を2時間に収めるにはどうにも無理があり、端々に粗雑さが否めない。当時海外支援を拒否した文革末期共産党の政府対応の是非にはふれてほしかったところだが、中国メジャーの作品ゆえ望むべくもないことか。