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侯孝賢や徐克などアジアの監督たちと知りあった一九八〇年代、彼らは少年時代に日本の日活アクション映画に夢中になり、小林旭がカードを切る指さばきにすっかり魅せられたと話していたことを、この映画を見て思い出した。久びさに見るチョウ・ユンファ演じるギャンブラーは、映画テクノロジーの進歩によって小林旭をはるかにしのぐ夢のように華麗なカードさばきを見せてくれる。この中国・香港による潜入捜査官ものの活劇映画の見どころは、カード芸に酔わされるところなのかも。
これは卓越したイギリス式ユーモアをめぐる映画だといってよさそうだ。『ホーキング、宇宙を語る』の著者による〈博士の愛した数式〉は明快で美しいが、現実の男女関係や家族生活はそうきれいにはいかないところに人生のユーモアがあると思わせてくれるからだ。苦境にあってもこの科学者の会話の巧みさ。声を失った彼が新開発のアメリカ製発声器を試すとアメリカ英語の発声になるのでとまどったり、私がかつて読みふけった雑誌『ペントハウス』の利用法を描いた場面には笑ってしまった。
南ルイジアナの湖沼地帯にある一軒の家――というのは、いかにもホラー映画らしい設定だ。ところでこの映画もそうだが、主人公をめぐる黒人たちとの関係は、その立場が逆である場合はアメリカの歴史のなかであり得なかったし、今でもそうだろうという気がする。どなたかアメリカのホラー映画におけるアフリカ系アメリカ人の描かれかた、その立場・役割について徹底的に調べ分析してくださる研究家はおいでではないだろうか。私はこの分野に詳しくないので優れた専門家に期待したい。
一九七〇年代、ニューヨーク自然史博物館でプラネタリウムを見たことがある。グレゴリー・ペックの録音された声が、星座の説明をしていた。だからこの映画の初めで、投影された星座たちが動きだして人びとを襲う場面は、とりわけ楽しかった。主人公の博物館夜警のラリーはもちろん、ほとんどすべての登場人物が絶えず走りまわっているという意味で、これはノンストップ・ムービーであろう。思えばロビン・ウィリアムズはテディ・ルーズヴェルトの役が似合っていたなあと改めて思う。
いきなり「ゴッド・ギャンブラー」シリーズが復活。バカ映画を撮るならここまでやらなきゃだめだと言われているかのようで、バカ演出に目が釘づけになるのと、展開がやたら速いのとで、全然ストーリーが頭に入ってこないのだが、もはやそんなことはどうでもよろしい。伝説のギャンブラー、チョウ・ユンファ邸の内装(図書館を改装したという設定)の壮麗な美しさと可笑しさ。ユンファが余裕の表情で繰り出す必殺カード技に爆笑。近年のインド娯楽映画のいくつかと響き合う感じもあり。
学問への情熱と愛の情熱を、あますところなく表現する導入部が素晴らしい。このおかげで、その後の登場人物たちの行動に説得力が出る。ホーキング博士の天才と学問的達成をあくまで視覚的に表現しようとしているのも、のちに二人にそれぞれ別のパートナーが現われるのをごまかさずに(しかも観客の反感を買うことなしに)描いているのもとてもいい。スティーヴンを支えながら自分の研究も続けていたジェーンがすごすぎると思うのだが、そちらの話については原作本を読むしかなさそう。
「リング」かしらと思わせるビデオテープの登場を発端に、「何がジェーンに起ったか?」みたいに身動きできない状況に置かれたヒロインの受難が始まるのだが、途中からホラーというよりは謎解き的展開に。登場人物が、明らかに話を進めるためだけに取らされている行動もいくつかあって首をひねるのだけど、ルイジアナの風土を取りこんだ(その意味では「ジェーン」というより「ふるえて眠れ」)画面の空気が面白い。地方色を出すことでジャンルのバリエーションは無限になるのだな。
自然史博物館の面々が、今回は大西洋を渡って大英博物館へ。コントの合間合間にぼちぼちなスペクタクルがはさまっているという体裁の映画なので、例によって、英米のコメディアンたちの芸や間合いにハマるかどうかで映画全体の楽しさが変わってきそう。「インターステラー」のマン博士のキャスティングも驚いたが、この映画にも、クレジットされていないすごいサプライズキャストが登場。どちらもこれがほぼ遺作となった、ミッキー・ルーニーとロビン・ウィリアムズの姿にしんみり。
とことんくだらないギャグに乗っかり、ひたすら大真面目に見得を切り、ありえないカードさばきを繰り出すチョウ・ユンファが、ギンギンのキラッキラ! 本家、分家、外伝、パロディと、いろいろあるシリーズのいずれも楽しめるが、やはりウォン&ユンファのコンビ作が鉄板だと再確信した。ニコラス・ツェーとの師弟関係をめぐるドラマは弱いものの、弟子入り、記憶喪失、チョコレートといった、シリーズにお馴染みの要素をひと通りブチ込んだファンへの目配せも嬉しい限り。
この作品を感動ラブロマンスとして観るとするならば、そんなムードが堪能できるのは前半まで。夫婦それぞれが別の相手によろめくドラマが待ち受けているとは思いも寄らず。難病なんかに負けないわと鼻息を荒くする妻と、それに甘えて彼女のことを労るわけでもなく朝から晩まで宇宙のことばかり考えている夫。そんなふたりにはどうしたって別れが訪れますというセオリーを教わった気がした。本作でオスカー俳優になったエディ・レッドメインだが、こういう役って獲りやすいのかなと。
舞台となるのはルイジアナ。沼、淀んだ水面、住人たちのいわくありげな視線、ゴミ捨て場みたいな祭壇、供えられた動物の死骸など、飛び出してくる要素は悪くないのだが、湿度と臭気がなんとも足りない。米南部系ホラーはそれらが恐怖や不安とガッツリと結びついてくるだけに、少しばかり残念である。とはいえ、粒子の粗いビデオテープに残された美しき亡き母の姿はゾッとくるし、ヒロインが感じていた彼女からの愛情がまったくの思い違いだった展開は、無残で悲しすぎる。
これまで同様に明朗活発なアドベンチャーに仕上がってはいるが、主題となっているのはベン・スティラー演じるラリーと彼が戯れていた?人形たちや?製との別れ。夢あふれる世界から離れようとしなかった中年男性ラリーのあまりにも長すぎる幼年期終焉の物語で、なんだか『クマのプーさん』(原作版のほう)における〝魔法の森〟から旅立つクリストファー・ロビンを想起させる。ルーズベルト大統領=ロビン・ウィリアムズの別れを切り出す姿も、昨年の逝去と重なって切ない。