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製作にも参加するブラッドリー・クーパーの映画。登場した瞬間から、そのよく知る面影は消え、完全に、主人公「クリス・カイル」であることに息を呑む。試写で隣席した米人が中盤から嗚咽していたが、彼らにとって著名人であるクリスの、不慮の死後すぐの映画化は、否応なしに参加者全員の士気を高めたことを肌に感じる志の高い戦争&家族映画。行けば地獄、帰れば別世界。そんな見知らぬ国への戦争遠征のなくなる日を早く獲得せねば。戦場にさせられる国の為にも。現代人必見の一作。
コルカタよりカルカッタ、ムンバイよりボンベイのほうが、未だになんだかエキゾチックな親しみのあるインドの地名呼称変更。行かずともコルカタの街が堪能できる本作は、多分映画を沢山みてきて、日本映画も相当に好きな監督が、やりたかったことを詰め込んだことが伝わるオリジナル意欲作。後半に怒濤の展開がやってくるまでの長い時間に、薄々感じていたある伏線が「やっぱり」という結論に結びつくのが残念だが、ハリウッドリメイク決定なのも頷ける。リメイクの手際に期待大。
家族との葛藤、友情、勝負、恋。清く正しく懐かしいアイドル映画。驚くほどやぼったく時代が止まったことに感慨深くさえある。だが、この映画の肝である水泳も、歌も、そんなに解説ばかりしなくても、どんどん画でみせればいいのにという残念さも満載。いろんな人がいろんな注文をつけて、安全弁過剰映画にしたのかなあと、余計な想像をしつつ、映画は合議でつくれるか? といういつもの課題を考える。しかし「最後には主演を好きになる」アイドル映画としての課題は成功を収める。
行け! 行け! どんどん行け! と爽快な気持ちになる最終章までの道程が、長い。シャワーを浴びるのに、なぜ、こんな変なパンツを穿いているのか気になり始めて以来、なぜ、金髪の方のヒロインは不自然に胸を隠し続けるのか、なぜ、ヒロインは妙なメイクをするのか、なぜ、男はこんなになめられてるのか、と「なぜ?」満載に。でもいいのだ。そういう映画なのだ。そして、悪女のイメージに、「ナイアガラ」のモンローが永遠の原型にあることも再認識。続篇では更に暴れてください。
イーストウッドは現代アメリカの光と影を切り取る監督だ。題材のイラク戦争が一段と身近になった日本でも大ヒットするだろう。「神、国家、家族」のためにスナイパーとして戦った伝説のヒーローが、映画の準備中に戦争の後遺症で精神を病んだ青年に射殺されたこともあって、主人公に感情移入した作品だ。最後のタイトル部分も哀悼の意を表するサイレントになっている。敵対する元オリンピック選手の狙撃手や暗殺者の心の闇はイーストウッドにあらためて映画化してもらいたい。
インド映画は歌や踊りのないサスペンスものでも観客を喜ばせようと懸命だ。好き嫌いは別として最後のどんでん返しにいたるまで話を過剰に詰め込み、民族色豊かな祭りでクライマックスを飾りたてる。舞台のコルカタも一般に未知な場所をよく撮影していて、これもサービス満点だが、ややカットが早すぎて、じっくり見たいと思う観客には欲求不満。配役はヒロインのヴィディヤ・バーランをはじめ、みごたえがあった。殺し屋の男が「M」などのピーター・ローレにそっくりで怖かった。
新人ながらチョ・ヨンソンは商売気のある監督だ。イ・ジョンソクとソ・イングクという人気アイドルに、オリンピックをめざす水泳選手を演じさせて、若い肉体を自由自在に撮りまくっている。しかし、物語は相変わらずの三角ラブストーリーで、陳腐。日本人観客の関心は二人が通う体育高校内部の問題やオリンピック選手の選考事情に向かうはずだが、その方面は興味深い。家族の関係や貧富の格差にまで話がおよび、最近、韓国で起きたいろいろな出来事を考えるヒントにもなるのだ。
ヒロインのパス・デ・ラ・ウエルタが妖しく、助監督として数々の現場をこなしたという新人アーニオコスキー監督の腕も達者なので、冒頭からこの映画はどうなることかと期待が高まる。カメラ・アングルと編集のタイミングも絶妙だ。アメリカではあり得そうな医療機関の盲点も突いて、笑わせる。だが悪のヒロインが自分の不幸な出自を語り、アンモラルな行為の原因を明かし始めると、にわかに作品が平板になる。そこで、クライマックスの病院の流血の惨事がたんなる見世物になってくる。
顔面に受けた傷には報復しなければならない。作中人物のこのシンプルな行動原理において、クリント・イーストウッドは「アメリカ」とは何かを思考してきたのであり、本作が関をむかえるのもまた、主人公の戦友が顔に銃撃を負ったときである。「ミスティック・リバー」でもイラク戦争への応答を暗示していたが、ここまでストレートに描かせたのは、やはり実在人物の存在ゆえだろうか。無音のエンドロールは喪の時間である。それはこの米国の狙撃手への、そしてイラクで逝った人びとへの。
コルカタの猥雑な路地にサスペンスの網をはりめぐらし、ITと祭礼が主人公のアイデンティティを何重にも宙吊りにする作劇、むせ返るような群衆の表現に舌を巻いた。もはや「踊らない」のではなく、ボリウッドの伝統とは画した地点で撮られているようにすら見えるわけで、グローバルな人口流動が真に21世紀的な映画を生んでいる(これからのアジア映画はこの方角へ向かうのではないか)。この監督はヒンディー語娯楽映画におけるアスガー・ファルハディに比せられるだろうか。
ザ・王道のアイドル青春映画。予想をひとときも裏切らない安全運転は、このジャンルにはきっと好ましいだろう。ふたりの主人公の描き分けはすこぶる明快で、「壁ドン」ならぬ「床ジタバタ」(これは流行るぞ)など、随所に畳みかけるサービスカットの顧客満足度は一様に高そうである。洗濯物をかき分けて登場するイ・ジョンソクもよいが、うまそうに肉を食むソ・イングクがたいへん微笑ましい。なお、くれぐれもこれべつに水泳でなくてもいいんじゃね、などと言ってはならない。
二周半ほどしてかえって新鮮であるその邦題からたいへん期待をしていたのだが、①エロ、②グロ、③ナンセンス、いずれも及第点におよばない中途はんぱさに泣いている。いや、泣いていない。シリアルキラーに俗流フロイト主義的な精神遍歴を見出す、作者の二流三流の「育ちのよさ」に辟易して、ため息をつくばかりだ。人事部キャリアの「スマイルシールの女」がもっとも生き生きしているようではだめだ(ああいう人、よくいる)。むしろあの女がいちばんくるっているじゃないか。