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アムステルダムには行っているがアンネ・フランクの家は見ていない。そこを映画の主人公であるティーン・エイジャーのカップルが訪ねる場面が、街の美しい風景とともにていねいに描かれる。死期を感じている彼らのケータイによるやりとりがマンガの吹きだしのように画面に示され、透明度の高い色彩を思わせるこの若々しい感覚の映画にユーモアを加えている。牧師のことばに対し「くだらん。祈るふりをしていろ。葬儀は生きる者のためのものだ」というW・デフォーのセリフがいい。
息子の作った曲を演奏しながら、もとビジネスマンであった自分を解放していく父親のはなし。その変貌が息子の世代の若者たちの支持によってなされていく過程を、地方の町のライブバーの雰囲気のもりあがりのなかに見せていく。映画を見終って私が思いおこしたのは、作家の筒井康隆氏が、かつて死刑囚・永山則夫をめぐる作家団体の対応に反撥して即座に脱会したときのことだった。もちろん筒井氏は正しい。映画で楽器店の主人を演じるL・フィッシュバーンにユーモラスな存在感。
香港九龍・旺角の夜景から始まるこの映画は、香港の人気男優と中国の若手女優の組みあわせ方式による中国=香港製作の活劇娯楽作品のひとつ。アメリカ帰りの黒社会の男との対決で、潜入捜査官のドニー・イェンのアクションとカー・チェイスは果てしないほど続き、車が壊れると一対一の格闘となる。中国の女性刑事は射撃の名手という設定。映画の終りで英語が話題になると「いまは英語より北京語さ」というセリフがあり、香港が中国本土にとりこまれていく方向性が示されている。
私の家には、亡き父がむかし買った亜麻色の髪と青い瞳の等身大のドイツ人形が、壊れかけてまだある。このアメリカ映画の主人公である白人の夫妻は、妻が買った人形の呪いでカルト集団に狙われるが、アフリカ系アメリカ人女性の助けを受ける。映画の結末を見て、この夫妻と女性の立場を逆にした映画を果していまのハリウッドが作るだろうか、観客はそうした映画を受けいれるだろうか と思った。警官がアフリカ系の人たちを射殺するといった事件がなお続くアメリカである。
人生は有限だという事実を誰よりも知る少年と少女が恋に落ちる。少女は若々しい機知と洞察力に恵まれ、少年は非の打ちどころのないナイスガイ、しかも彼らの最大の恐怖は自分の死ではなく、「自分がいなくなったあと、周囲の人たちはどうするのだろう」ということなのだから、まぶしすぎてどこから近づいていいのかという気分にもなるのだけれど、そこでウィレム・デフォー演じる作家の存在が、この映画に真っ黒い穴をうがつ。彼の存在が物語の意味を複雑に、味わいを格段に深くする。
息子が残した曲を歌い演奏することで、失った息子とのつながりを取り戻していこうとする父親と、その曲に惚れこんで無邪気に音楽性を追求する、未来への希望にあふれた若者たちとの出会い。これだけでも震えがくるほど素晴らしいのだが、この映画にはある恐ろしい仕掛けが隠されていて、それが明らかになった瞬間、われわれは各登場人物の衝撃や苦しみを、まるで自分のものであるかのように体験することになる。音楽映画としての撮り方も見事。ラストのB・クラダップの歌唱は圧巻。
型の美しさを見せるのではない、総合格闘技風のドニー・イェンのアクションが見どころなのはもちろんだが、都市風景を魅力的に取りこんだ他のアクションシーンもいい。序盤の美容院のシーンをきっちりスリリングに見せてくれるなど、なかなか手堅いところも。喧嘩友だちが恋に発展する王道パターンも楽しく、音楽もちょっとオシャレで、イェンのアクションの男くささに反し、映画全体は意外にスマートな感触。主演女優のジン・ティエンは容姿と身体能力ともに恵まれ、今後も楽しみ。
わたしがホラー耐性低めの人間だということもあるだろうけど結構コワい。突然物が飛び出してきたり、突然大音量のSEが鳴り響いたりといった肉食系演出と、Jホラー的な「いつの間にかそこにいる」体温低めの演出が、当を得たかたちで使い分けられる。最初の惨劇を見せるときの窓の使い方をはじめとして、風の吹かせ方、照明の当て方、構図の取り方等、大事な場面ごとにきちんと工夫が見られ、クライマックスの実直なサスペンス演出も、ヒロインがシンプルにブロンド美人なのも○。
親よりも先に逝かなきゃいけない子、先に子に逝かれる親の哀しさや悔しさなんかにも触れてはいるが、けっしてメソメソしていない。時間が限られているからこそ痛いほど感じる生の輝き、どんな状況でも恋が生まれてしまう素敵な摂理を描くことに注力しているのが好印象。そして、それを体現するシャイリーン・ウッドリーが素晴らしい。常に呼吸用の鼻チューブをガン差ししているのに、その痛々しさをまったく感じさせない美しき彼女は、まさに本作のヒロインに相応しい。
亡き息子が遺したネタ帳を手にした父親が……という、親子版もしくは音楽版『キテレツ大百科』。そんな感じだなと思い込み、作詞・作曲:息子、編曲・歌:父親の楽曲群を聴き、物語を追っていると、断りなくA面からB面にひっくり返されるような転調が訪れる。これによって曲の響きも各キャラへの印象と感情移入もガラリと変わる、ウィリアム・H・メイシーが仕掛けた憎くて巧い仕掛けに唸った。ギブソンが協力しているのに、出てくるギターはグレッチが多めだったりするのが謎。
心配になるほど物語がグラついてブレまくっているが、ドニー・イェンのアクションが凄まじくて気にならなくなっていく。集団相手の立ち回り、車でどつき合うカー・チェイス、首を絞め上げて関節を捻じ曲げるマーシャル・アーツ全開な一騎打ちと、バラエティ豊かなうえにいずれも超渾身。オラオラ系ファッションの着こなしも、長渕剛とタメ張る感じで悪くない。「激戦 ハート・オブ・ファイト」でも光っていたアンディ・オンだが、ここでもヒネた目つきと切れ味の鋭い体技で魅せる。
ヒロインの名はミア・ファローならぬミア・フォーム、さらに妊娠中の彼女がシャロン・テートとマンソン・ファミリーよろしく、カルト教団の激烈バカたちに襲われる。そんな「ローズマリーの赤ちゃん」への複合オマージュに、まずはニンマリしてしまう。母性が生む強さや危うさをスリルへと転化するタッチも巧みで、長回しを活かして不穏と不安を増長させる恐怖描写もイイ感じ。ちなみにアナベルの顔面は、『おふくろさん』を熱唱する森進一と似ているような気がする。