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20世紀美術史を丸ごと畳み込んだような途轍もない経歴の架空の「盲目の画家」カミンスキーと、彼の伝記を書いて一発当てようと目論む無名の美術ライターの珍道中。「グッバイ、レーニン!」から12年、その間に主演のダニエル・ブリュールは国際的な俳優となった。ヴォルフガング・ベッカー監督のタッチは変わらず朴訥としていて、ウィットと皮肉の効いたユーモアにもどこか微妙なダサさが感じられるのだが、それもあってブリュールは実にリラックスして演じているように見える。
互いに惹かれ合い、一度は結ばれた男女が、主に女性の方の事情で別れる。時を経て彼と彼女は再会するが、すでに二人の人生は別々のものになっていた、という物語は「ラ・ラ・ランド」とおんなじだが、仕上がりは全然違う。作品としての完成度は、こちらの方が圧倒的に高い。だが、にもかかわらず、敢えて言わせて貰えば、個人的にこの映画は全くと言っていいほど胸に響かなかった。ウディ・アレンは手癖だけでこれを拵えている。彼にはもう言いたいことが特にないのだろうと思う。
ハ・ジョンウとペ・ドゥナというトップスターの出演も相俟って本国では大ヒットを記録した作品。ハリウッドでも最近よくある独りサバイバルものだが、崩れ落ちたトンネルの車内に閉じ込められるという極端な閉鎖状況で2時間の上映時間をどうやってもたせるかが見物。やはりジョンウは「お嬢さん」の片言詐欺師よりもこっちの方がハマっている。ドゥナは少し疲れた雰囲気が魅力的。人物についていく移動撮影にはセンスを感じる。トンネルの中の孤独と、外の大騒ぎのコントラストが効果的。
マイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルの「顔」だけでも見る価値がある。物語としては観客を泣かせることに特化したメロドラマだし、映像の美しさは時としてトゥーマッチな気もするが、二人の抑制の効いた、だが複雑なニュアンスに富んだ演技=表情によって、通俗の極みに達する一歩手前に踏み止まっている。特にヴィキャンデルはショットによっては彼女に見えないほどの魅力的な〝歪み〟を表現してみせる。ずーっと背後に聞こえている波の音と海鳥の鳴き声が印象的。
内村光良のコント番組『LIFE!』に、下世話な質問を鉄のハートで嬉々と繰り出すゲスな記者が出てくるが、記者のあり方や姿勢としては一つの真理だとも思う。その意味で取材対象の画家になりふり構わず接近する自称ジャーナリストの若者は間違っていない。長髪に無精髭のブリュールのゲスっぷりもなかなか。ただ、彼に優れた伝記は書けないだろう。ずっと一緒にいる相手のことをまるで見ようとしていないからだ。ドニ・ラヴァンとジェラルディン・チャップリンはさすがの一言。
ジェシー・アイゼンバーグのなりきりアレン具合が絶好調。シャツの裾をウエストにインしたスタイルや背格好の小物感が何とも言えない。「ソーシャル・ネットワーク」で鍛えたマシンガントークもキレキレ。『ゴシップガール』でブイブイ言わせたライヴリーがふくよかになってバツイチのマダムを演じている「上がり」な感じも絶妙だ。もはやテーマは触れるに足らないほどアレンの十八番だけれど、安全な場所から過去のもしもを夢想するのは男性的な道楽だと思う。流麗な撮影が素晴らしい。
ガソリンスタンドのサービスで渡されたペットボトルの水二本。乗客はお礼を言って受け取るや否やぞんざいに後部座席へ放り投げる。この演出とハ・ジョンウの芝居による伏線が効いている。危機下での一人芝居は「テロ,ライブ」での実績があるハ・ジョンウの独壇場かと思いきや、安心のオ・ダルスと手際の悪い部下とのやり取りを映像的なコミカルさにつなげるなどセンスを感じるが、中盤以降は結末から逆算したご都合主義感が否めず持ち駒を活用しきれていないのが惜しい。
アリシア・ヴィキャンデルの演じたイザベルは、女優だったら絶対に惹かれる役柄だろうし、やり甲斐を感じることができ、演技力も効果的に見せられる美味しい役どころだ。だからこそ演者の自己アピールが過ぎると台無しになってしまう可能性もあるが、ヴィキャンデルは上手くやった。ファスベンダーの功績も大きい。デレク・シアンフランス監督は男女のペアを作るのに長けている。灯台守という馴染みの薄い職業から、人里離れた生活の異様な状況がじわじわと姿を現してきて怖い。
「スパイ大作戦」もどきのアクロバティックなアイディアの前作「グッバイ、レーニン!」を撮ったヴォルフガング・ベッカー監督の12年ぶりの劇映画だ。前作同様アイディアは面白く風刺は効いているが、肝心の主役二人、野心家で一発狙いの美術評論家と、マチス最後の弟子と称する狷介で正体不明の老画家の怪しい道行きが今ひとつはずまない。心から笑ったり、感動したりする瞬間がないのは脚本の問題だろう。二人の演技はいいのだが、キャラクターが十分に練り上げられていない。
アレンも80歳を越え、かつての実験精神は薄れたが、今一番楽しめる映画の作り手だ。アレンの分身のチビのユダヤ青年がハリウッドで大物プロデューサーの使い走りになる。『何がサミーを走らせるのか?』かと思いきや、彼の成功の場は映画界ではない。30年代、黄金時代のハリウッド、ギャングエイジのニューヨーク、いつもながらのノスタルジックな世界だ。J・アイゼンバーグ、若き日のアレンを彷彿させる。心地よいスイングジャズに乗って至福の時間が約束される。
説明抜きでいきなりトンネル崩落事故に主人公は巻き込まれる。閉じ込められた彼の恐怖と地上で展開する大規模な救出作業をカットバックさせながら最後まで緊張感を持続させ、家族愛、国家と個人といったテーマを浮かび上がらせた脚本監督のキム・ソンフンの手腕は見事だ。この手の映画ももはやアメリカの独占ではない。終始一人芝居で人間的魅力を表現したハ・ジョンウがいい。朴槿恵に似た大統領を登場させ、個人の命は地球より重いという国家的欺瞞を皮肉るのも効果的。
流産したばかりで子どもが欲しい若い妻の一寸した愚かな過ちが夫婦の人生を多く変えていく。オーストラリアの孤島の灯台を舞台にした夫婦の日常は美しく仔細に描かれているが、子どもをネタに泣かせようという原作の作為的な意図が最初から透けて見える。生みの親と育ての親の昔ながらのメロドラマの感は否めない。監督の第二作「ブルーバレンタイン」の夫婦のリアリティがここには全くない。人間関係の悲劇ではないのでM・ファスベンダーも芝居のやり場がないようだ。