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ヘエーッ、原作マンガは文化庁のメディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞しているんだ。けれども映画はザンネンとしか言いようがない。不器用で人付き合いが苦手な高3娘という、ある種パターンというか、流行(!?)の主人公キャラといい、美大を目指す彼女が通う美術予備校の学生たちの幼稚さといい、ホスト予備軍のような講師たちといい、実に薄っぺらで他愛がない。主人公など最初から最後まで中2のイメージ。彼女が進学した大学はムサ美(武蔵野美大)。恋と友情の溜まり場?
冒頭の映像の重量感に思わず背筋がピンとする。厳寒の日本海。25年前の12月24日に北陸で月蝕があったという字幕も、そのあとの3人の少年の思いつめた表情も、映画の導入部として巧みである。けれども沈黙を守ることになるその日のある出来ごとはともかく、25年後に再会した3人の設定と意味ありげな言動は、仰々しい割に底が浅く、脚本のザックリ感は否めない。男たちがみな昭和的なのに、女はしっかり平成を生きていて、それにはナットクしたが。因みに高倉健とは全く無関係でした。
上映中、すすり泣く声が聞こえた。記憶を無くしていく妻を12年間、支えた夫の実話。近年、認知症の介護をめぐるやりきれない事件が多いだけに、妻に寄り添い続ける夫の姿、すごいことだな、と思う。が、冒頭だけではなく、劇中に何度も出てくる夫の講演シーンが、一種の売名行為に見えてしまい……。講演の内容は、妻の世話をする自分のことや、妻の話。ときには講演の場に妻を同伴したりも。そもそももし介護者が妻や娘なら誰も講演の依頼はしないだろう。講演目的で介護を続けたような。
アニメ版のことは全く知らず、今回の実写版で初めて〝破裏拳〟なる技を持つスーツヒーローを知ったのだが、ゴメン、わざわざ特殊装甲スーツなどで変身しなくても、溝端淳平が演じている主人公、素手で充分強いのに、と思ったり。変身することで更にパワーアップするワケだが、そのアクションも基本は地に足を着けたまま、しかも話の運び方はいささか古くさいコメディ仕立て、この辺の手作り感は親しみが湧かなくもない。とはいえ〝タツノコプロ〟ファンではない私にはツラい。
全国に数人はいると思われる二十歳以下キネ旬読者に言いたい。世の中にあふれる、恋愛を他に代えがたい至上のものとする物語のほとんどは作り手が新たな切り口を見出せないまま、きみたちの意識を蹂躙し、青春の可能性を狭め、そこから銭を拾おうとする洗脳と搾取の体系だと。若いうちに自身のなかに感動や夢中になるものを持てなかった人間は空疎だ。まずは個であれ。本作はそこをわかっているようだ。主人公のモテぶりは瀧波ユカリいうところの猛禽女子の自己弁護にも見えるが。
座組みから絶対鬱陶しい映画だと思った。だから試写を観に行ったとき、自分、完全に目が死んでいたはず。しかし見始めたら面白くてびっくりした。「飢餓海峡」とか「砂の器」的な、昭和の日本人が好きなタイプの和モノ因果ミステリが平然といまの世に蘇っている。湿度が高いながらもエンタメ以外のなにものでもない。台詞が説明的すぎる感じがあったけれど基本の設定が良い。刑事の岡田准一が遭遇する事態はオットー・プレミンジャー監督作の「歩道の終わる所」みたい。これはあり。
神代辰巳映画と「北陸代理戦争」のヒロイン高橋洋子。「北陸~」で敵方やくざに切り刻まれた松方弘樹が潜伏先にて、これが俺の健康法や、と血を吐きながら素っ裸に雪をこすりつけているのを、無茶やっ、死んでしまう!人間は死ぬんやっ!とかき抱いて止めた高橋洋子の二十八年ぶりの出演。どうかと思って観れば、すごい難役を見事にやっていた。重いアルツハイマーを言葉なしで演じていた。実話があり原作があるが、たしかにこれは映画化されるべきだ。言葉を超えた境地のために。
ヒーローアニメやジャッキー・チェンの〝~拳〟もので刷り込まれた、Aの型に勝るのはB、それに勝るC、みたいな、ある世代の男子の必殺技好きはなかなか治らないが、本作はそれを踏まえたうえでそこに安住せず、技が改良されて変化したステップを長年会っていなかったかつてのライバルが知るのはなぜ?みたいな武術ミステリネタをも入れてきて楽しい。本作監督の倉田アクションクラブにおける後輩谷垣健治氏らによって観客のアクション鑑賞眼は肥えたが本作の志向もまた良い。
美術を題材にデッサンスケールが登場しているにも拘わらず、画面の上下左右に余白のある画角は若干ルーズ、そして被写界深度や照明を活用していないためフラットな印象。またカメラポジションが登場人物の〈目高〉であったり、〈煽り〉気味であったり、はたまた〈俯瞰〉気味だったりと統一感がなく、なぜか手持ち撮影の実景カットもあり、各ショットの意図が判り辛い。それらの要素が〈映画〉というよりも、どこかデジタル撮影された〈ビデオドラマ〉感を残している点が惜しまれる。
本作の〈雨〉には重量がある。土砂降りの水量は物質的な重さを伴い、視覚的にも雨粒に〈重さ〉を感じさせる。映画における〈雨〉は、往々にして〈悲しみ〉という感情を伴わせているが、ここではより深い、あるいはより重い〈悲しみ〉を描くものとなっている。またそれは、降り積もる雪が溶け、過去の思い出の塊が瓦解した破片のようにも見える。それゆえ〈雨〉は、その場にいる人間へ突き刺さるように降り注がれるのである。マルチ撮影を担う〝撮影者・岡田准一〟のクレジットも一興。
佐々部監督は「中高年が主人公だと地味」という理由から大手映画会社の資金を得られず、自己プロデュースに至ったという。この経緯自体、現代日本の高齢化社会における介護のあり方とどこか似ている。重要だけれどなるべく視界に入れず、あたかもないように振る舞う。この夫婦はそのことにも果敢に闘っていると解せる。終盤に向かって痴呆が徐々に自己を失わせてゆく高橋洋子、対して「ゆっくり時間をかけてお別れをする」ことを体現した升毅。本作は役者の演技を観る映画でもある。
僕は『破裏拳ポリマー』リアルタイム世代であるという前提。本作の構図は、ドラマ部分でカメラの水平を保ち、アクション部分では斜めになるという法則がある。特にアクション場面では、斜めの構図の中で闘う主人公たちの姿が水平を保ちながら、手前と奥に配置することで映像に奥行きを生んでいるだけでなく、アクションそのものが立体的に見えるような工夫が成されている。但し、この法則が演出のルールとして全篇・全カットにおいて実践されていれば、より秀でていたように思える。