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恐らく誰もがこれは、「未知との遭遇」と「E.T.」(と「スタンド・バイ・ミー」を女子いりで少し)を足して二で割ったような映画だと感じるだろうが、それだけではない。独自なカメラアイの設定による制約が、すべてを見られないもどかしさと共に、この好奇心あふれる子どもたちの冒険に、観る者を寄りそわせてくれる効果があるからだ。そして、あっと思わせるクライマックスの映像に、私は声をたてて笑ってしまった(笑い声は私だけ)。人をにこにこさせる作品に私の点は甘くなる。
横長の画面の左はしに不機嫌な少年の顔があり右にトルコのアナトリア地方のほとんどなにもないいなかの風景が広がる。少年は小学校の演劇で白雪姫の王子様を演じたいのに教師はその役を村長の息子に与える。そうした社会のからくりに怒りを感じ始めた少年のもとに、犬が登場する。非合法な闘犬が盛んなこの地方のおとなたちに混って、彼は愛犬と共に世界のしくみを学んで成長していく。セリフの少ないこの映画は、最後まで静かな緊張をはらんだ画面でその姿を追い続ける。息をのむ。
映画の初めで主人公の中年女性は、ティボーという名の飼い猫と顔をつきあわせて語りかける。のどを鳴らす猫。タイトルバックでも、この猫が画面を右から左へ流れて飛ぶイメージが楽しい。大晦日の夜に酔いつぶれて目ざめると一九八五年の過去に戻っていた彼女の青春再体験の物語は、人が成熟していくとはどういうことかを切実に描いていながらユーモアもある。若き日の女の子四人組のたあいなくも貴重な日々。どのような生きる道筋をたどろうと、猫は変わらずにいてくれるのだ。
映画巻頭の第二次大戦時、ドイツ軍の空爆下のロンドンの孤児院で、憎たらしい女性院長に苦しみもがく孤児たちの姿は、最もなまなましく印象に残る。だが、少年が空飛ぶ海賊船にさらわれネバーランドに到着してからの大がかりな特撮を駆使した派手なアクション・スペクタクルの連続は、私にはただ空しいから騒ぎにしか見えない。熱演するどのキャラクターにも感情移入ができずに困ってしまう。いったいこれはバリの「ピーター・パン」世界となにかかかわりがあるのだろうか。残念だ。
ネバダ州の小さな町。携帯電話に映し出される何やら不可解な表示に導かれ、3人の少年が、ある夜、砂漠へと向かう。宇宙からの謎のメッセージが少年たちの冒険心をくすぐる展開はなかなかスリリング。そしてまもなく未知の物体、すなわち宇宙人もしっかりと登場。POV風に撮られた21世紀の「E.T.」といった趣だ。その交流も微笑ましい。ただし、子どもたちの青春キーアイテムは自転車ではなく、車という……。クライマックスの宇宙船のシーンは、シンプルな迫力があり感動した。
原初的なパワーと繊細な感性が宿る秀逸のトルコ映画。少年アスランと闘犬シーヴァスの関係を軸に、美しい自然に囲まれた小さな村で、闘犬に夢中になる男たちの姿が描かれていく。何より、アスランを演じるドアン・イスジ少年があまりにも素晴らしい。演技未経験、オーディションで選ばれたというが、彼の多彩な表情、表現を見るだけで心を鷲摑みにされる。自然すぎてドキュメンタリーかと思うほど。実は細かく演出されていたようだ。少年の〝目覚め〟の瞬間を見事に掬い取っている。
40代の中年女性が、夫に離婚を切り出されて失意の最中、高校時代にタイムスリップ。そこは1985年。姿はそのままなのに、周囲には16歳に見えるらしい。そのカラフルで潑剌とした学園風景は、フランスというより、80年代アメリカの青春映画を思い出させる。監督・主演のノエミ・ルヴォフスキーが、フレンチロリータ全盛の80年代をフェミニスティックに斬る一面も垣間見られて興味深い。でも、やっぱりアムールと人生がテーマになるのは、さすがフランス映画。同世代としても沁みた。
孤児院に暮らす少年がピーター・パンになるまでを、ファンタスティックな映像で綴る。どこか舞台のミュージカルを感じさせる様式美。空間を自在に使うダイナミックなアクション。また、そんな活劇の中にも、ロマンティックな眩さを織り込んでしまうジョー・ライト節に唸る。主要キャストも魅力的。ピーター役のリーヴァイ・ミラーが、空を飛ぶ表情は泣ける。悪役ヒュー・ジャックマンは、いつも憂いを湛えた目をして艶めかしい。色彩の残像ゆえか、鑑賞後も不思議な後味が尾を引く。
ズッコケデジタルネイティブ三人組による未知との遭遇物語。わからないことはとりあえず「ヤフー知恵袋」にきく。映像を偏在させるデジタル技術の伸長は、モキュメンタリーをいっそう違和感のない手法にしているが、それゆえモキュ特有の現実感やいかがわしさは脱色されるほかなく、この映画は絶妙に一歩おくれている。たとえばこれが数年前の映画ならはるかに新しかっただろう。少年たちがみだりに世界を救ったりしない半径数キロメートルの世界観にはたいへん好感がもてる。
犬と少年、というお決まりの組み合わせながら、たとえば勇気と友愛のこころあたたまるお話などではない。野卑で気高い犬の世界と、名誉とカネの大人たちの世界にはさまれて、少年はひとり荒野にだまりこむ。空間の把握、時間の省略に傑出したこの映画は、まるで贅肉をそぎ落とした野生の獣のような体格をしており、過度な叙情は徹底して排除されている。テロ組織と武装勢力がぶつかり合うトルコにあって、犬と同じ目をした少年の幼い沈黙は、力の論理に対する深い内省をしめしている。
高齢化社会特有のファンタジー、などと書くとお叱りをうけそうだが、じっさいその程度のお話。バック・トゥ・ザ・パストはよいにしても、いちいち答え合わせされるのはまったく退屈である。主人公がたどり着く一九八五年の世界も、その時代の手ざわりをまるで感じさせてくれず、テンポのよい語り口がすっかり中だるみしている。ハリウッドも同じ症候を呈しているが、こうした時間の操作なしにラブストーリーを語れなくなってしまったのだとすれば、もはやそれは恋愛ではなく郷愁である。
「ピーター・パン・ゼロ」的な、いまや定番のプリクエル(前日譚)なのだけれど、そもそもピーターパンがどういうお話なのかぜんぜん知らなかった(ほんとうです)。監督のジョー・ライトにとっては文芸映画のイメージを刷新する試金石といえそうだけど、完全に3Dアドベンチャーに振り切っていておどろいた。浮遊感を基調にしたVFX表現はなかなかがんばっているけれども、作品としては正直感想がとくにない。ヒュー・ジャックマンが飛び出す、黒ひげ危機一髪があったらほしい。