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その事件が起こった当時「一度は私たちも考えてもやらなかったことを、彼女は“やった”」というつぶやきを見た。映画は、どうであれその行為をやったという驚愕のあと、愛のあり方を問う女と、彼女の檻となった男の姿を描き、若いふたりの愛の問答は少々おかしくなってしまうほどに痛切なもので、絶対的なものを求める女の、仮死状態の生へのひとつの決着の物語としても成立している。妻のキャラクターは蛇足な気も。山本監督は本作が商業デビュー作とのことで次作も楽しみ。
冒頭、ラジオが流れる走行シーンに思わず佐向大「夜を走る」を想起。撮影も同じ渡邉寿岳によるもので、夜から朝にかけての船上からの眺め、暗闇に揺らめく青い灯りなどをとらえるカメラが凜として素晴らしい。「夜を走る」は死体を出発点に男たちの物語が動き出すが、本作は不在を中心に男の車が悲しくもぐるぐるとさまよう。が、悪徳ジャーナリストやスナックに通う父親=主人公と台詞含め男性登場人物たちが、肝心の不在以上の虚しさと共に紋切り型かつ簡略化されているようにも。
原作は未読。義父と母親からの虐待を受けていた女性が主人公だが、彼女を世界の中心に次から次へと人物が登場。最低最悪の素顔に皮をかぶったボンボンのキャラクターはさておき、児童虐待の被害者である少年と出会ってからも、それをしちゃダメだろうという彼女の行動が気になりひとりよがりにも思えてしまう。彼女に手をさしのべる彼に対しての物語の仕打ちも酷すぎるもので(女友だちも優しすぎない?)きれいな海が広がるなか、感動的に集束していくさまを見てもまったく納得できず。
今回のレビュー4作品はどれも都心部から離れた土地が舞台で、本作は徳島の港町を舞台に、自転車に乗った高校生たちが爽やかに海のそばを駆け抜ける。勝ち負けではなく、得手不得手、できるできない、自分の力ではどうにもならないことがたくさん溢れている世界に生きる少年たちが、互いには干渉しすぎることなくたった一つのことに取り組む姿の描写に加え、eスポーツ会社の大人たちが語るメッセージは、子ども時代を子どもとして過ごさせる優しさに溢れている。
かなり衝撃的なシーンから始まるだけに、そこで描かれる事件へと至る過程に遡るかと思いきや、逆に、「六年後」の字幕が出て驚かされた。つまり、タイトルにあるとおり、「熱のあと」が描かれるのであり、「まえ」ではない。そしてだからこそ、不可解とも思えるような展開もそれなりに成り立ってくる。不条理劇的なエピソードやせりふ回しにはやや辟易させられるものの、随所にユーモアもふりまきながら、階段、霧の湖、刃物、猟銃といった映画的装置を始動させる作品なのである。
散骨業を営む真吾という男の物語で、彼は福島の海辺の町に住む元漁師であり、身近な存在を津波で海にさらわれている。これだけでも充分に複雑な境遇だが、その真吾のそれなりに穏やかな日々を乱すような事件が起きるのだ。なかなか重厚なテーマを、これが初メガホンの小林且弥監督が力強く演出し、俳優陣もそれに応えている。それぞれのシーンは観客の胸に迫るものがあるはずだ。しかし、個々のシーンが突出しすぎるのか、シーンとシーンが有機的に結びついていかないのが惜しまれる。
虐待の被害者で、しかもヤングケアラーだったというヒロインをはじめとして、社会に自分らしい居場所を見つけられない人物が何人も出てくる。だからこそ感動的な物語でもあるのだし、ヒロインの貴湖を演じた杉咲花にとって代表作にもなるだろう。すでに大ベテランと言ってもいい成島出監督の演出も手堅い。だが、これでもかこれでもかと続いていく、重たく、それだけに人の心を打たずにはおかないエピソードの積み重ねが、逆に作品を薄っぺらなものにしていると感じさせるのが皮肉だ。
観る前は、eスポーツがテーマで映画としてどれだけ成り立つのかと不安視していたが、なかなか見ごたえのある作品になっている。青春映画で力を発揮する古厩監督の演出のたまものであることはまちがいないが、実話の映画化というこの作品で、主要な人物となる高専生3人の絶妙のバランス、そしてなによりも彼らが生活の場としている徳島の風景が魅力的だ。少年たちがそれぞれに問題を抱えながら過ごす日々が、海辺にある小さな町の風景のなかでこそ生き生きとしたものになっていく。
主演の橋本、木竜二人を狂わせ、登場人物の全員がその人を中心に回っているホストをほとんど出さず、ブラックボックス化しているために、愛とは何なのかという映画の主題に対する作り手の結論が不明瞭になってしまっている。描かないことによって映画の世界が深まるわけでは決してなく、単に逃げているように見える。これだけの役者を使っていても、彼らの存在感だけでその欠を埋められるものではない。新人であればこそ、雰囲気で逃げずに核心部分に真っ向から臨んでもらいたかった。
なぜ主人公が散骨業を営んでいるのか、通り魔殺人犯の遺骨を巡ってのジャーナリスト、娘らとの確執からその理由が明らかになってゆく。何より、ごく普通のおっさんが倫理的問題にいかに処するか、その決意を淡々と描写を積み重ねて説得的に描いており、おっさんがカッコよく見えてくる。散骨に至る理由は、残された者(殺人犯遺族のみならず自分たち父娘含め)の未来のためではあるが、誰であれ鎮魂はされるべきではという観点まで突き詰めれば宗教的次元まで行けたのだがとは思う。
児童虐待にヤングケアラー、ネグレクトにトランスジェンダーと、どれ一つとってもまともに扱えば血の出る家族や性を巡る問題を次から次と渡り歩いて、その一つとして掘り下げることなく、大映テレビドラマ顔負けのエゲツなく不自然極まる展開で見る者の感情を引きずり回すことにばかり腐心している。これで感動作の積もりだから恐れ入る。マイノリティ問題を飯の種にするなとは言わない。しかしこれは共感の皮を被った搾取であり、真摯にそれに取り組む人へのほとんど侮辱である。
優秀だがいつも一人で行動する三年生と、金髪で一見チャラ男だが心優しい二年生を中心に、「仲間」となった彼らがeスポーツに臨む。部活ものの定番ではあるが、個性がバラバラな三人がまとまってゆく過程の背後に、容易に片付かないそれぞれの家庭が抱える問題や、外国人、障害者など多様な参加者たちの描写をさりげなく挟んで世界に奥行きを与え、決して説明的にならず、しかし紋切り型の友情物語、スポーツ物語の多幸的終局を控える慎ましさが好ましい。さすがベテラン監督。