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  • 日本映画のススメVol6:東京家族 公開記念特集 見る者にそこはかとない希望を与えてくれる、山田洋次監督のメッセージ
  • 特集1「東京家族」作品評
  • 特集2「東京家族」を観る前に/観た後に

観終わった後、ふだん会えない家族に連絡を取りたくなるような、山田洋次監督の最新作「東京家族」。今回の「日本映画のススメ」は、この「東京家族」の作品レビューと、同じような“家族”をテーマにしたよりすぐりの日本映画をセレクトしてみました。

「東京物語」から60年近くの時を越えて

東京家族:場面写

今や世界映画史上に残る小津安二郎監督の「東京物語」(53)は、戦後の復興を遂げ、高度経済成長期に突入しようとしていた日本の家族の姿を描いたものである。広島県尾道から子供たちの住む東京を訪れた老夫婦ではあったが、子供たちにもそれぞれの家庭があり、生きることに必死で両親を気遣う暇もない。やがて自分たちが邪魔だと悟った二人は故郷へ帰り、まもなくして妻は死んでしまう。しかし葬儀で帰省した子供たちは、仕事のためすぐに東京へとんぼ返り。最後まで老父の許に残っていたのは、戦争で死んだ次男の嫁だけであった……。

戦前まで厳として存在していた家父長制的大家族の概念からガラリと変わり、核家族化と共に眼先の利益に振り回され、家族の絆などが希薄になり始めていた日本人。それを見据える小津監督のキャメラ・アイは諦念とも呼べるもので、最終的に導き出される結論は「人生は無常である」とでもいったものであった(なお、小津監督の墓標には、ただ一言「無」と刻まれている)。

そんな「東京物語」は公開当時から高い評価を得てはいたものの、華やかな未来を邁進しようとしている血気盛んな若者たちからは「年寄りの説教じみた古い作品」と反発される向きもあり、それは「東京物語」を製作した当時の松竹大船撮影所内の若きスタッフたちの多くも同じ想いであったという。

「小津さんの映画はもう古い」54年に松竹大船撮影所に入所して助監督となった山田洋次もその中の一人であった。もっとも当時のそうした批判が、実は巨匠という名の権威に対する若者特有の反発でもあり、今ではそのクオリティの高さを認めるにやぶさかでないことを、今や日本映画界のトップとして君臨して久しい山田監督は正直に吐露している。山田監督もまた『男はつらいよ』シリーズをはじめ、失われてゆく日本の情の美しさを笑いと涙で訴え続けて高い評価を得ながらも、同時に映画ファンの“若気の至り”的批判を受けることもしばしばという、いつしか小津監督と同じ道を歩んでいたのだ。

そんな山田監督が「東京物語」から60年近くの時を越えて、21世紀の現代を舞台に再生させた最新作が「東京家族」である。ここで意外ともいえるのは、驚くほどに「東京物語」と相似したストーリー展開になっていることで、役名も同じなら台詞まで同じ個所が多々あり、「東京物語」をモチーフにした作品だから当然といってしまえばそれまでではあるのだが、では本作品における山田監督のアイデンテイティは一体どこにあるのか? と問われると、これがあり過ぎるほどあるのだから面白い。

「人生は決して無ではない」

東京家族:場面写

「東京物語」から「東京家族」までのおよそ60年間の推移とは、その間の日本そのものの推移である。つまり「東京家族」「東京物語」と同じ物語を綴ることで、戦後から現代における時間の流れの中で、日本人はさらにどう変わっていったのかをまざまざと具現化しているのだ。

たとえば核家族が定着して久しく、交通や情報網が発達した現代において、東京の子供たちが忙しく働き、自分たちの面倒を見ている暇などないことを、老夫婦はもう理屈では分かっているし、子供たちもまた高度経済成長の気運に乗っていた「東京物語」とは異なり、長引く不景気などの閉塞的状況を生き抜くのに必死で、親を気遣いたくても叶わないという想いが如実に伝わってくる。また、そのことを巧みに象徴しているのが今回の子供たちの家の美術であり、すべてセットで建てられたそれらの部屋の空間は、すべて現代の日本家屋特有の狭苦しさを強調しており、ひいてはそこから子供たちの性格そのものまで表現されているかのようである。

そんな中、「東京物語」では戦死した次男とその未亡人という設定が、今回はフリーターの次男とその恋人という風に変えているあたりも本作ならではの現代性で、即ちこの60年以上日本には戦争はなく、誰も国のために死ぬことなく、多少ぐうたらでも自由に生きられる幸せな時代であることを、戦後の中国大陸からの引き上げ世代でもある山田監督は今一度訴えているかのようだ。

一方で、そんな山田監督にとって東日本大震災の大惨禍は、忌まわしき戦後の焼け跡の思い出を再燃させたのではないだろうか。現に震災後、彼は本作の製作を中断し、脚本も新たに書き直しているが、確かに台詞のはしばしから震災の傷跡が台詞で訴えられてもいるものの、そういった表面的事象以上に、作品そのものの精神面にこそ震災は深い影響を及ぼしているように思える。

東京家族:場面写

つまり「東京物語」は高度経済成長がもたらす人生の光と影を見据えた小津監督のシニカルなメッセージ「無」が全編を覆い尽くしていたのに対し、震災後の過酷な現状にある日本を見据えた「東京家族」は「人生は決して無ではない」と説いているのだ。それはラスト、故郷の実家で独りきりになった老父の佇まいからして全く印象が異なることでも一目瞭然で、更にその後の久石譲によるリリカルな音楽に乗せたカーテンコールのごときエンドタイトルの鮮やかなクレジットの文字の構図も、見る者にそこはかとない希望を与えてくれるのだ。

「人生は決して無ではない」という山田監督のメッセージは、何も小津監督への批判ではない。これもまた時代の推移なのだ。もし震災がなかったら、山田監督もまた「無」へ傾いていた可能性もあっただろう。たとえどのような喜劇であろうとも、山田作品の根底にはシニカルな情緒が見え隠れする。それはやはり彼自身の幼少期から思春期にかけての過酷な体験などが影響しているものとも思われるが、一方で松竹という映画会社特有の、笑いと涙を持って観客を楽しませる“大船調”なる伝統を骨の髄まで染み込ませてきた彼のキャリアは、いわゆるマイナスからプラスを目指す人間讃歌を確立させることにも役立ち、結果として映画マニアの域を越えて広く一般大衆に支持される作品群を連打することに繋がっていったようにも思えてならない。

そんな山田監督ゆえの、究極のマイナス的現状にある日本と日本人に対して今は希望を訴えなければならないという覚悟は、本作を一段とすがすがしいものにもしているが、それは安易なプラス思考に邁進しようとしていた戦後間もない日本人を「無」と諫めた小津監督の覚悟と、一見真逆ながらも実は全く同等のベクトルであることにも気付かされる。一流の映画監督は社会を厳しく見据えたジャーナリストであるべきことを、山田と小津、新旧の巨匠とも肌で察知していたのだ。