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日本映画のススメ vol5 特集 深作欣二没後10年 5分で分かる深作欣二 人と作品 文=金澤誠

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  • 特集2 5分で分かる深作欣二  人と作品

深作欣二監督が亡くなってから10年、だが、その作品は今なお輝きを失わない。海外の映画作家にもリスペクトされるその輝かしいフィルモグラフィをあらためて振り返りながら、その魅力を再発見しよう。

深作映画の原点となった「白昼の無頼漢」

白昼の無頼漢

2003年1月12日、深作欣二監督が72歳で亡くなった。それから10年、深作監督が残した作品は今も輝きを失わず、人々を魅了し続けている。深作監督のイメージは、一般的には『仁義なき戦い』シリーズ、あるいは晩年の「バトル・ロワイアル」と直結しているかもしれない。だがクエンティン・タランティーノ監督を始めとする海外の映像作家にもリスペクトされる彼の魅力は、それだけではない。ここではその足跡を振り返ってみよう。

1930年、今の茨城県水戸市に生まれた深作欣二は、53年に東映へ入社。程なく東京撮影所の助監督としてキャリアをスタートさせ、61年に中編のアクション映画「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で監督デビューする。この作品は千葉真一の主演作で、以後深作と千葉との結びつきは終生にわたって続いていく。同年、米軍基地の現金輸送車を強奪するギャング・グループを描いた初の長編「白昼の無頼漢」を発表。活劇の面白さをラストの大銃撃戦で存分に見せたこの作品は、深作映画の原点のひとつだろう。

以後は業界紙の記者が武器輸出の陰謀に挑む、鶴田浩二主演の社会派サスペンス「誇り高き挑戦」(62年)、谷口千吉監督&黒澤明脚本の同名作を、高倉健丹波哲郎主演でリメイクした「ジャコ萬と鉄」(64年)などを発表。特に「ジャコ萬と鉄」では、北海道の漁場を舞台に男同士のぶつかり合いを描く一方で、2003年1月12日、2003年1月12日、高倉健のコミカルな魅力も描き出し異彩を放った。続く「狼と豚と人間」(64年)は三國連太郎高倉健北大路欣也が3兄弟に扮し、スラム街から這い上がった彼らが骨肉の争いを繰り広げる力作。しかし興行的には振るわず、以後は東映で仁侠映画やギャング・アクションをルーティーンでこなすようになる。その一方で丸山明宏(現・美輪明宏)主演の「黒蜥蜴」(68年)と「黒薔薇の館」(69年)を松竹で監督。「黒蜥蜴」江戸川乱歩の小説を三島由紀夫が劇化したものの映像化だったが、映画には三島自身も出演した。

さらに69年には、黒澤明監督の降板によって話題となった米日合作の戦争大作「トラ・トラ・トラ!」の日本軍側の場面を舛田利雄監督と演出。生前、このときの話を深作監督に聞いたが、空中戦を撮るのにハリウッドから最新鋭の機材を運んできたら、撮影場所の倉庫で使える電力量が足りなくてその機材が使えず、日本式の撮影方法でやらなくてはいけなかったのでガッカリしたと語っていた。その鬱憤を晴らすかのように72年には、極限状況下のニューギニア戦線で、卑劣な上官を殺害したために処刑された兵士の妻が、戦後その真相に迫っていく骨太の社会派戦争映画「軍旗はためく下に」を発表。娯楽映画のイメージが強い深作監督だが、その背景には戦争と人間、国家と個人の問題が刷り込まれた作品は多い。

日本映画のトップランナーの一人に

仁義なき戦い

深作欣二が日本映画のトップランナーとして走り出すのは、72年の「現代やくざ 人斬り与太」、姉妹編の「人斬り与太 狂犬三兄弟」あたりからである。前作では菅原文太扮する、まさに狂犬のようなやくざが暴れまわり、やがて組織の中で自滅していく姿を描いた。それまでの仁侠映画にあった、義理と人情を精神的な掟として、様式美的立ち回りで悪を倒すものではなく、個人の欲望と怒りを肉体すべてで表現させる深作監督のヤクザ映画は、鮮烈な魅力があった。

そして73年、『仁義なき戦い』の第1作が作られる。広島を舞台に、暴力によるこの土地の戦後史を描き出したこの実録ヤクザシリーズは、実際に起きたヤクザ組織同士の抗争をベースにした笠原和夫の名脚本を元にしながら、ダボシャツに腹巻という田舎ヤクザのダサさを象徴的に際立たせた扮装や、極度にデフォルメされた広島弁、とにかく目立ってのし上がろうとする無名俳優たちのエネルギー、コメディとキワキワの役作りをした組長役の金子信雄を始めとするレギュラー陣の遊びを極めた演技、さらには全編の主人公である広能を演じた菅原文太の渋い男の魅力などが相まって、ひとつの映画的“仁義なき戦い”ワールドを作り上げた。実録であるがリアリズムではない。そこに深作映画の核心が見え隠れしている。深作欣二はその後、『仁義なき戦い』シリーズを正編で5作、姉妹編の『新・仁義なき戦い』3作を監督している。

『仁義なき戦い』の成功によって実録ヤクザ映画路線が人気を得てから、「県警対組織暴力」「仁義の墓場」(共に75年)といった同じ路線の傑作も深作監督は生み出した。

「バトル・ロワイアル」で不死鳥のように復活

やがて実録ヤクザ映画ブームが下火になると、78年には時代劇大作「柳生一族の陰謀」を発表。東映としては12年ぶりの本格時代劇で、萬屋錦之介演じる柳生但馬守と千葉真一扮する柳生十兵衛の親子を中心に、徳川三代将軍の座を狙う派閥争いを描いたこの作品は、いわば時代劇版『仁義なき戦い』といった雰囲気のものだった。興行的にも大ヒットしたこの映画以降、深作欣二は「魔界転生」(81年)や「里見八犬伝」(83年)などの伝奇アクション、森鴎外の小説を見事に映像化した文芸作「阿部一族」(TV・93年)、忠臣蔵と四谷怪談を融合させた力作「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年)など時代劇にも意欲的に挑戦し、さらに大作監督としても注目された。

作品規模の大きさでは80年の角川映画「復活の日」がその最高峰だろう。小松左京の小説を原作に、全世界がウィルスによって滅んでいく様を追ったこのSF映画では、南極ロケや実際の潜水艦を使った撮影が話題を呼んだ。他に、つかこうへいの戯曲を映画化した「蒲田行進曲」(82年)も監督。映画スターと彼を慕う大部屋俳優、スターに捨てられた女優の三角関係を、激情のぶつかり合いによって見せていくこの作品は、各映画賞の作品賞も受賞し、名監督・深作欣二の名前を不動のものにした。

また80年代には宮本輝の小説を原作にした「道頓堀川」(82年)、檀一雄の自伝的小説を元に、ある作家の魂のさすらいを映し出した「火宅の人」(86年)、与謝野晶子を中心に大正時代の文化人たちを描いた群像劇「華の乱」(88年)など、文芸作品にも挑戦。特に「火宅の人」は主役を演じた緒形拳の好演と、男女の愛を肉体と情感によるアクションとして捉えた深作演出とがうまくマッチし、作品的に高く評価された。

「バトル・ロワイアル」

90年代に入って、93年に前立腺がんが見つかり、96年には日本映画監督協会理事長に就任したこともあって、作品の本数が減る。深作欣二の時代も過去のものとなったかと思えたが、2000年には「バトル・ロワイアル」を発表して、まさに不死鳥のように復活。中学生たちが最後の一人になるまで殺しあうというショッキングな設定のこの作品には、魅せるアクション、欲望がほとばしるパッション、命を剥ぎ取られていく弱者という戦争と人間に通じるテーマなど、これまでの深作映画のエッセンスが多く盛り込まれている。そう考えればこれは、深作監督らしい最後の打ち上げ花火的な作品であった。そして続編の「バトル・ロワイアルⅡ【鎮魂歌】」の撮影開始直後、深作監督は急逝。その遺志を継ぎ、作品を完成させたのは深作欣二と女優・中原早苗との間にできた息子であり、これによって映画監督デビューを飾った深作健太だった。中原早苗は2012年5月に亡くなったが、深作監督の映画作りの魂は、今も深作健太監督に引き継がれている。

深作欣二は映画の面白さを、理屈よりも俳優の肉体と情感のすべてを使って、どれだけ表現できるのかを実践し続けた監督である。突き詰めれば描いた人間が面白ければ、リアリズムなど飛び越えて映画は面白くなることを実証して見せた監督だ。その熱がどの映画からも匂い立ってくるからこそ、彼の映画は国境を超えて観る者を熱狂させるのだろう。

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