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主人公フランク・マーティン役の俳優が二代目へと交代、舞台はリヴィエラ、おまけに「ロジャー・ムーアやピアース・ブロスナンがこれをやってるのを見た気がする」というアクションがあり、脚本のガタガタぶりをも含めて、ムーアやブロスナンがボンド役だったころの007映画の感じをねらっているみたい。そこでゴージャスでスマートな作戦が展開し……と言いたいところだが、二代目フランクがゴージャスに見えないのが難。でも代わりにフランクの父親がおしゃれ成分を補ってくれる。
3・11後の想像力を踏まえたブラックユーモア交じりの群像劇で、上手くやったらたいへん面白いことになるはずの企画だが、いかんせん、ポップにしたいのかダークにしたいのかさっぱりわからんし、この語り口で細部の謎がほったらかしだなんてありえないし、何より登場人物が集合して議論を始めるたび、会話の書き方がダメな舞台劇みたいになるから映画が完全に停滞してしまう。でも無人の市街風景はとても魅力的で、「都市の映画」として観るならアリ。D・ボウイのくだりはサイコー。
景観を見事に取りこんだ超ロングショットの美しさや、フィリップ・グラスの音楽の異様な使い方、スピーチの異様な長さ、異様なカット尻など、異様な要素が多々あるせいもあって「アート映画」に分類されているかもしれないが、人物の性格づけもストーリーラインも明快で、誤解を恐れず言えば「娯楽映画」として気軽に多くの人に観られるべき映画だと思う。TV画面に「プッシー・ライオット」の文字がさらりと映っていたりの積極的な体制批判にも感嘆。ショベルカーのショットが衝撃。
これだけギミックを繰り出されると、普通シネフィルっぽさが前面に出るか、下手をすると自己陶酔が鼻につくかして、感情移入を誘うタイプの映画ではなくなるものだが、二人の旅があまりに素敵すぎるから災いが起こらないよう祈らずにいられなくなり、しまいにはかなり心を揺さぶられる。ジョナス・メカス、アントニオ・ネグリ、日本の舞踏家二人、ソニック・ユースも参加。悪役が「アートの敵」と言うべき反動的人物であるあたりは、つくり手の常日頃の思いの表われなのでしょうか。
2代目フランクに迎えられたE・スクレインだが、どうしたって初代のJ・ステイサムが醸した圧倒的存在感には敵うわけがない。それを制作陣も危惧したのか、〝この親にしてこの子あり〟と呼びたくなる父親を投入。で、彼がこれまた弾けまくっているために息子の影がどんどん薄くなる。ちょっとは息子のこと考えてやれと思うと同時に、ヘタしたら彼を主人公にした新シリーズができてしまうのではないかとヒヤヒヤする。というわけで、父親を主軸にして観るとかなり面白くなる。
「香港にSFはないわ」というセリフが劇中で飛び出す。決して皆無ではないが、小松左京の『こちらニッポン…』やB・アンダーソンの「リセット」みたいな消失系はたしかに香港映画では少ないとかグダグダ考えたが、そこはF・チャン。感染すると赤い斑点に覆われるウイルス、街を赤く染める雨などの描写から、赤化する香港の社会と人々の胸中を具現した、ヒネったSFだと気づく。そこにピンとこなくとも、L・シューやS・ヤムら個性派の妙演、無人の香港を目にするだけでも楽しめる。
「まさにそのとおり!」な邦題に膝を打ちたくなる一方で、過酷な世の摂理をまざまざと見せつける内容に胸が締め付けられそうに。さらに、主人公のオヤジが根は善人なのだが、かなり頭が悪いうえに品がないので痛々しさに拍車が掛かる。それでも見続けたくなってしまうのは、エレナ・リャドワの憂いのある美しさ、銅版画を想わせる荘厳なヴィジュアルのおかげである。しかし、あのキルドーザー事件(要ググり)が元ネタならば、ラストにド派手な市庁舎殴り込みシーンでも入れるべき。
ギャスパー・ノエやハーモニー・コリンを支えるなどして、なんだか映画界とも距離が近いアニエス・ベー。それゆえに期待したし、なんだか不安も抱いたわけだが、後者が的中した。まさに雰囲気だけのグダグダなプライベート・フィルムといったところ。気ままに旅する汚ッサンと少女の姿とリンクするように自由に撮り上げているようだが、散漫なだけ。ペドフィリアではないのにそう言われればそう見えてしまう汚ッサンの風貌と、それを見事に活かした衝撃的かつ物悲しい終盤は○。
カーアクションや格闘シーンには工夫を凝らしてはいるものの、強烈な個性のジェイソン・ステイサムの抜けた穴は大きい。ベッソンは更に三本作ると云っているが、役者を変えてまで続けるほどの企画だろうか。ジョージ・ミラーの「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が、本作同様、主演が替ってのシリーズ四作目なのでつい比較したくなる。商業ペースで数人の監督が撮るシリーズと、一人の監督が、胸中で熟成させて撮るものでは、同じアクション映画でも作品の強度は大きく違う。
バスがトンネルを抜けた途端に異次元に入り、いつしか六年の歳月が流れていたという状況設定は面白いし、香港の現状に対する政治的メッセージを含んだテーマも悪くないのだが、サスペンスも恐怖感もユーモアも一向に伝わって来ない。脚本が安易で工夫がなさ過ぎる。ジョン・カーペンター風を狙った映像にも説得力がない。冒頭に提示される大きな謎が、最後まで十分に説明されないのも、見終って消化不良を覚える理由の一つだ。香港映画特有の饒舌と喧噪だけが印象に残った。
不法な立退きを迫る市当局に抵抗する主人公一家が陥る陥穽は過酷で不条理だ。ズビャギンツェフ監督は、今回も宗教的哲学的なテーマ含んだ人間ドラマを迫力あるサスペンス・タッチで描く。馴染の薄い俳優たちがそれぞれ適役を好演している。映像は美しく、海岸に打ち寄せられた巨大な海獣の遺体のイメージは強烈で、作品のテーマを雄弁に語っているかの如くだ。従来の作品はアート系インディ映画というイメージが強かったが、今回は堂々としたメジャー作品の風格を見せている。
不幸な体験を持つ少女と中年のトラック運転手の道行きといういささか陳腐なお話が、斬新で刺激的な語り口で描かれる。高名なファッション・デザイナーの初監督作だが、余技などとは言えない、明確な意図を持った映画だ。少女の天真爛漫な美しさと、男の見せる天性の優しさが相まって、二人の旅は幸福感に溢れ、永遠に続いて欲しいと誰しも思うだろう。彼女の盟友の出演者たちやジョナス・メカスのカメラなどは、やや統一感は欠くものの、実験的な面白さを出している。