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加藤哲には「寓話・伝令」の時に短いインタビューをしたのを不意に思い出した。荒れ果てた地上に乗り上げた巨大な船とか、浅瀬に流されてそこに留まったままの鉄筋ビルとか、まさに「寓話・伝令」の砂浜に佇立する旅客機の尾翼そのままであり、こうした風景や事物に加藤が一種のデジャビュを感じたに違いないと思わせる。イントロの記録映画パートとフィクションが、融合というよりもむしろ並立する構成。フィクションもまた矛盾を内包する二部から成立する仕掛けがスリリングだ。
原作つきでも物語はオリジナル。察するに、坊さんしか客がいない居酒屋とか坊さんの野球チームとかが原作由来なのだろう。話自体は、坊主の説法が建て前に過ぎないのか、それとも人を本当に救済する真理なのか、という結構深いものであり、主人公の若い坊さんがその建て前のせいで自縄自縛、ヘンになっちゃう。 もちろん建て前じゃないからこそ映画になるのだが、彼が真理に達するまでがひと苦労で見どころ満載。これまであまり存在に感心したことがなかった山本美月の好演も光る。
ちゃんと両思いなのに、お互い片思いだと誤解してしまった二人、という「胸キュン」という死語で表現する以外に言葉が思いつかないシチュエーション。というか恋愛って本質的にはこうだ。要するに「美女と野獣」なんだが、この映画には野獣を陥れようとする無粋な輩が出てこないのがいい。ひょっとして「シラノ・ド・ベルジュラック」みたいな話じゃイヤだな、と思っていたので野獣の恋が実る展開は嬉しい。シンプルな設定ではあるが料理のディテイルが効いているので飽きさせない。
モテるヤツは何をやっても、というか嫌われるようなことをやってこそモテる。悔しいけどそういうもんだから仕方がない。本人に自覚がないのが余計に悔しい。この映画の主人公はまさに天然のモテ野郎で、ガールフレンドに対して相当ひどい仕打ちをしているが、絶対復縁すると思うね。カフェの女店長とも優しさだけで「している」はずだが、ちゃんと彼女は救われたのだから、まあそれでいいのだろう。もう一人の女主人公も何故かこいつのおかげで救われたらしいな。悔しいよ、やっぱり。
3・11の爪痕が残る映像や、仮設住宅に暮らす人々の姿を映してスタートするこのドキュふうドラマ、東京で暮らす一組の夫婦の間に福島原発を置いて、抽象的というか、観念的というか、一種の幽霊譚のように進行するのがユニーク。夫が帰宅すると妻子が居ないという設定で、夫は妻の故郷の福島に向かうのだが、そもそも夫が帰宅した部屋には妻子と一緒に住んでいたという痕跡は何もない。そして後半、妻が子どもと戻ってくると今度は夫が姿を消し……。未消化な独りゲームの印象も。
お坊さんの入門コメディーといえば周防正行監督「ファンシイダンス」が実に面白かったが、残念ながら本作は、周防作品に遠く及ばない。いや、コメディー仕立てにしているわけではないのだが、笑いの要素がなくもないだけに、それを生かそうとしない脚本と演出がなまぬるく、じゃあシリアスかというと、そうでもない。坊さんグッズのカタログ本とか数珠の値段とか、味けないハナシも。幼馴染みとの交流も妙に生臭く、ま、現代っ子の坊さんならそれもアリだが、伝わるものはなし。
“好きだ、大好きだ!!”の一言が相手に伝えられない 。そんな“俺”の話だけで105分の映画を作ってしまうとは、これはこれで大したものだ。実際は何度もチャンスがあるのだが、そのたびに横槍が入って仕切り直し。いったい何度、仕切り直しをしたことか。しかも相手の女子は告白を受け入れる気がアリアリなのに、横槍で引っ張って引っ張って、いっそ「横槍物語」とでも改題してほしいほど。かなり肉体改造をした鈴木亮平の“俺”ぶりは憎めないが、キャラのレベルは小学生並。
東京の片隅が舞台の“ボーイ・ミーツ・ガール”ものだが、出会って何がどうしたというわけでもなく、小ギレイな関係のまま、別れましたとさ。それにしても家出娘を道端の子猫を拾うみたいに自分のアパートに連れ帰る男も男だが、無防備についていく家出娘も甘いよ。男は優柔不断な性格らしいが、ふつう、優柔不断なら面倒は避けるはずなのに。東京のちょっとした出会いと別れのスケッチ映画で、周辺のエピソードもとりとめがない。香川京子と渡辺真起子の登場もただのムダ遣い。
被災地に立つ俳優のモノローグで感情が語られるのを眺めながら、フィクションが負けていると感じる。逆に圧倒的な風景こそが饒舌に語りかけてくる。妻子を探す男は、語る言葉以上に家族への愛も感じさせず、ひどく作り物めいて見えてしまう。前半と後半で視点を変えて反復される物語は、佐伯の魅力もあって後半が良い(前半の扱いは酷い)が、朦朧とした鳥羽が路上で踊ったり、妙なことを色々するのを眺めさせられる前半は疑問。東京だけで展開する原発反対運動への批判も中途半端。
若者が突如、僧侶になるという〈今〉が生かせる設定なのに26年前の「ファンシイダンス」の足元にも及ばない。全てのエピソードが散発的でとりとめがなく、坊さんになると決意する瞬間も弱ければ異文化への驚き(寺でやる結婚式ぐらいは具体的に見せてもいいんじゃない?)、農家と坊さんチームの野球など、面白くなりそうな状況が次々にスルーされ、古色蒼然とした難病催涙映画になってしまう。檀家長老のイッセー尾形など助演としては申し分ないのに主人公との対立と和解も不明瞭。
鈴木・デ・ニーロ・亮平が男側からの〈好きだ!!〉の思いを切々と演じる姿に感動。こんな映画で(失礼)極端に増量までして30を過ぎてから高校生を真面目に演じようとするのだから、鈴木則文が生きていれば「ドカベン」のリメイクを考えたのではないかと思うほど。他愛もない話だが、すれ違う感情のみに焦点を当てた作りは良い。ここまで鈴木が怪演するなら、人が良すぎて自己犠牲精神にあふれるゆえに、傷つき、他人を傷つけるところまで描けたのでは? と思うのは贅沢だろうか。
いくら行く当てが無いとは言え、異性を警戒するヒロインが初対面の男の部屋で一緒の布団に寝るだろうか? 実際ちょっと体に触れただけで大騒ぎだ。バイト先のカフェが休業しようが男は困った様子がなく、安いとも思えない飲み屋に頻繁に通うのも分からない。丁寧に日常を描いているはずが生活は見えてこない。「おとぎ話みたい」で驚異的な魅力を放った趣里は本作でも良いが、同じアイテムが幾つも使い回されては山戸結希との比較を生み、本作の古めかしい女性像が目立ってしまう。