パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
クリストファー・ノーランがこれまで描いてきた宇宙物理学が歴史上の重要人物に点火した。真正面からオッペンハイマーと向き合ったノーランの映像作家としての極意が明らかになったように思える。まさに、素粒子のように思考を凌駕するほどの情報が飛び交い、人間の心理に爆発的なエネルギーが集まる。そして人物像が形成されていく! この手法に“65mmカメラ用モノクロフィルム”という最新技術が加わるのだから……。これほどの映画体験を味わうと、もう後戻りできない。
家族愛=プレッシャー。この相関関係は難しい。それが結果、フォン・エリック家の悲劇のファミリー・ヒストリーとして刻まれてしまうのだ。ただ、映画を通して「悲劇」という言葉の背景にある当人しか計り知れない想いを知ることができる。後の世で兄弟が再会を果たすシーンは、緩やかなカメラワークに温かな自然光が差し込み、本筋より現実味があった。ケヴィンの結婚パーティーで「今だったら家には誰もいない」とちゃっかり抜け出そうとする長年の夫婦の愛が垣間見えるシーンが好き。
頑張りすぎると人間は時折疲れる、当たり前のことだ。知らない間に大丈夫になっている、それも然り。スランプに苦しむオペラ作曲家が数奇な巡り合わせから、終盤には元気を取り戻していくハートフルな仕上がりとなっている。今の自分にちょうど良い (素晴らしい意味で) 映画だった。鑑賞後はスッと肩の力が抜けて、さっきまでの悩みがどっかにいってしまう。本作のような肩肘張らない、絶妙なニュアンスの作品が量産されることを願う。そして、疲れたときの散歩はやっぱりいい。
エルヴィス・プレスリーと初妻プリシラの出会い・結婚・離別までを描く。時系列どおりのノーマルな物語構成。特筆すべきシーンはないのだが、S・コッポラの得意なガールズ・ムービーとしての画作りは深まっている。プリシラの少女性と同時にエルヴィスの少年性が見えたのは新たな発見だった。二人の恋路を眺めていると、エルヴィスに恋をしたような気持ちにさせてくれる。ただ、個人的にバズ・ラーマン監督作「エルヴィス」が前に出てしまったので、本作の印象が少し薄くなってしまった。
決してわかりやすい構成ではなく、カタルシスが得られるわけでもないこの映画があれほど大ヒットした理由は、いま一度多面的に考察されるべきだろう。筆者はノーランのあまりよい観客ではなく、基本的に「脚本の人」だという考えはいまも変わらないが、原爆投下後、オッペンハイマーがチームに向けてスピーチをし、会場をあとにするまでのシーンの演出のマジックは圧倒的。ノーランが置かれている状況では、この演出でメッセージを表現するのが精一杯だったということでもあろうけど。
弟がひとり減らされているなど事実とは異なる点も多いようだが、日本の80年代プロレスブームのころの人気レスラーが次々登場するだけでもオールドファンは興奮必至。ロックスターみたいに美しい4兄弟を描き分けながら快調に進行する前半には「ボヘミアン・ラプソディ」的なよさがある。一方、対戦相手を踏みつけるフリッツの表情が大写しとなるタイトルバックは、これが「父の抑圧」の物語であることを宣言しているように見えるのに、後半そのあたりが曖昧になっていくのが不思議。
軽快なロマコメが急な深刻展開で足を取られたり、そもそも複数のストーリーラインがいっこうにからんでいかなかったりでフラストレーションがたまるのだが、サム・レヴィの撮影の美しさと、クライマックスの大作戦でまあまあアガるのと、オペラ曲とスプリングスティーンの主題歌がいいのとで「まあいいか」という気持ちに。主演として宣伝されているハサウェイがなぜか肝心な局面の前にフェイドアウトしてしまうけど、実質的主役であるP・ディンクレイジと、M・トメイがチャーミング。
少女プリシラが飛びこむ状況の異様さは傍から見れば一目瞭然。最初は夢見心地でも、王子様だったエルヴィスはやがて精神的な不安定さゆえに支配欲をむき出しに。女性の自立や尊厳がまだほとんど問題にすらされていなかった時代、彼女はファーストショットで示されたように、自分の足でしっかりと歩けるようになるのだろうか?という話に着地するはずだと思うのだが、最終的にふわっとしてしまうのは、まあソフィアのよさでもあるのだろう。プレスリーの曲がほぼ流れないのも興味深い。
原子爆弾を開発した天才物理学者オッペンハイマーの栄光と没落。NHK Eテレの教育番組で終わりそうな地味でハリウッド映画的でない題材を、ノーランは持てる力を存分に注ぎ込んで圧巻のスペクタクルな映像・音響体験に仕上げた。ノーランの最高傑作とは思わないが、ノーランの映画作家力をこれほどまでに感じるものはない。そして映画の普遍的な主題は、超越的な力の獲得がもたらす非喜劇と時間=歴史の捉え直しであることを再認識。ノーラン自身が映画体験のマッド・サイエンティストなのだ。
70~80年代に活躍したプロレスラーで必殺技“鉄の爪=アイアンクロー”を持つフリッツ・フォン・エリックと彼の四人の息子レスラーたちのプロレス家族の実話映画化。圧倒的な強く正しい父の下で、息子たちはプロレス道を邁進するも、心も体も蝕まれていく。映画は長男ケヴィンを軸に描かれ、彼のエディプス・コンプレックスが物語の通奏低音になっており、フィルム撮影による拡張高いルックも相まって、プロレス版「ゴッドファーザー」といった趣。しかし善悪の彼岸を垣間見せるほどの哲学的深みはない。
アン・ハサウェイ主演のNYブルックリンを舞台にしたコメディ。精神科医の妻と現代オペラ作曲家の夫の夫婦が主役で、夫は極度のスランプ状態。精神療法の一環で散歩中に出会った女性船長に惹かれ、夫は創作のインスピレーションを得る。長身ハサウェイと小柄なディンクレイジの凸凹カップルのユーモラスなやりとりやNY的多様なキャラでNY讃歌を描こうとしているが、物語のグリップ力が弱い。大都市を舞台にしたスター女優のほんわかコメディという形式がとても色褪せて見える。
エルヴィス・プレスリーの元妻プリシラのエルヴィスとの日々を彼女の回顧録をもとにソフィア・コッポラが映画化。保守的な家庭で育った少女プリシラが偶然エルヴィスと出会い、求愛を受けて結婚しスーパースターの華美な館で「籠の中の鳥」のような日々を送る。映画はプリシラの視点で作られ、彼女の「物質的に満たされた空虚さ」を執拗なディテール描写で描く。ソフィア十八番の「お姫様の憂鬱」話だが、もうソフィアの憂鬱ゴッコにうんざり。この空虚さから脱しないと映画作家としてヤバいのでは。