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何匹かの犬と何人かの人間たちの群像劇。娯楽的なタッチでありながらも、それぞれの人物が丁寧に描かれている。動物病院の院長先生や大御所建築家など、信念を持って働く女性たちが出てくること、その社会的立ち位置が見えてくることにも好感を持った。初めはめちゃくちゃ嫌な人だった動物病院のオーナーがいろいろなことを経て改心するのは、エンタメ的ご都合主義にも見えなくもないが、人は変わることができるのだというきらめきも感じた。動物たちの芝居がとにかくすばらしかった!
大学でボート部に入部し、異様なまでに勝ちに執着する主人公の心理を描く作品。はっきりとは明かされないが過去のトラウマによる傷を抱えている彼女の心のうちを、スポーツという行為を通して紐解いていくアプローチに惹かれる。部活内での人間関係の話と思いながら見ていると、急に彼女には見えていない物事の側面が現れて、自分自身が彼女の世界に閉じ込められている閉塞感と、妙な高揚感を感じていた。彼女の感知する世界を、音を使って表すのは古典的ではありながらも没入感がある。
ニコラス・ケイジ扮する地味な大学教授がたくさんの人々の夢に出てくる、といったあらすじを読んで「マルコヴィッチの穴」的なSF感のある映画なのかと想像していたが、全く違うものだった。起きていることは超常現象でも、それに対する人間の反応はとても現実的で、非のないはずの主人公が、ネットやメディアでの立ち振る舞いによって罰せられていく様に現代の残酷さを見た。主人公の冴えなさの絶妙なさじ加減や、胡散臭いベンチャー企業の若者たちの言動など、ディテールが印象的だった。
山間のホテルで繰り広げられる熟年の恋愛を描いた作品。この主人公のように、障がいをもつ子どもの母が、自己犠牲を強いられることがあることは取り上げられるべきだと思う。そんな彼女の自己実現のひとつとして恋愛を描くことは否定しないが、気になってしまったのは恋愛=性愛という単純化された描写に見えたこと。恋人の研究への興味という精神的繋がりはあるが、それでも過ごした時間に厚みを感じとることができなかったのが残念だった。見たことのない景色たちには圧倒された。
犬の映画といえば「トッド・ソロンズの子犬物語」や「ほえる犬は噛まない」を思い浮かべるのは少数派だろうか。どちらも愛犬家からみれば正視しがたい酷薄でブラックな受難劇。やはり本作のような登場人物がすべて〈善意〉というオブラートで包まれたヒューマンドラマこそが本流だろう。ある動物病院を舞台にそれぞれ階層も違う老若男女が交差しながら予定調和な大団円へと辿りつく。地味めなキム・ソヒョンとユ・ヘジンの恋の行方を含め、どこかウェルメイドな模範解答の味気なさも。
ふと虫明亜呂無の『ペケレットの夏』が脳裏を掠める。競漕に魅せられ、自ら得体の知れぬオブセッションに取り憑かれたヒロインからいつしか目が離せなくなる。仲間との軋轢、嫉妬、統御しがたい内攻する感情の奔出。反復される、朝まだき河川のトレーニングの光景がすばらしい。素肌にまといつくような豪雨、水と大気の匂い、筋肉の弛緩、水面を滑走するオールの官能的な肌触りが生き生きと伝わってくる。異化効果のようなB・リー、C・フランシスの甘い60年代ポップソングも特筆ものである。
プレスに名優とあるが近年は迷優の呼称がふさわしいニコラス・ケイジがアリ・アスターと組んだホラー。「マルコヴィッチの穴」みたいな不条理コメディを予想したがさにあらず。ケイジ扮する大学教授が何百万人もの夢の中に現れ、一夜明けたら超有名人というアンディ・ウォーホルのマキシムとユング心理学を合体させたようなアイデアは面白い。しかしバカバカしい荒唐無稽な弾けた笑いを期待するも、シリアスな語りで通り一遍なキャンセルカルチャー批判に収斂したのが惜しまれる。
ジャンヌ・バリバールは、アルレッティからアヌーク・エーメへと受け継がれたフランス映画固有の古典的な面差しをもったヒロインの系譜に位置づけられる女優である。障がいを持つ息子がいる母親がスイス湖畔のリゾートホテルで毎週一人の客と一度だけの情事にふけるという一見、安手のメロドラマじみた絵空事が、ある切実さを帯びて迫ってくるのはバリバールが演じているからにほかならぬ。ベッドで中年にさしかかった肢体を惜しげもなく晒すバリバールにはただただ驚嘆するばかりである。
現代における犬と人間の共生のヒューマンコメディ。日に日に家族のかたちは多様化している。共に生きれば犬も猫も家族であり、亡くせば片腕をもがれたような喪失感を感じる。人と同じように葬式をあげることも増えたが、資本主義的な発想や伝統的な考え方、何より凝り固まった人の意識が、その変化に追いつかないことがある。この映画は、人間の養子と保護犬、迷子犬の課題を重ね、死別、安楽死などのエピソードにリゾート開発の問題を盛り込んでお涙頂戴だが、人も犬もみな丸く収まるという娯楽作。
一般的なスポーツ映画ではないことは、「エスター」のイザベル・ファーマン主演から想像していた。大学のボート競技ローイングの訓練に取りつかれた女性の強迫観念を観る者に追体験させる視聴覚的な緊張感が、同時に新鋭監督ハダウェイ自身の衝動を感じさせて特異である。アロノフスキーの「ブラックスワン」の影響は明らかだが、しかし、この主人公の狂的な完全主義は、特訓映画にありがちな外的な圧力に起因するものではなく、完全に内的な強迫観念に起因している。この点にこの力作の現代性があった。
ノルウェー人監督ボルグリの映画では「シック・オブ・マイセルフ」の現代的な自意識の観察に感心した。新作はアメリカが舞台で、キャンセルカルチャーに晒された実在の教授から発想したのだという。ニコラス・ケイジ扮する冴えない教授が、生徒をはじめ様々な人々の夢の中に出てくるようになり、有名人になるが、やがて理不尽な排斥の餌食になる。チャーリー・カウフマン風の夢のイメージはさほどのものではないが、イメージが意識下を侵食して現実感を狂わせるSNS時代の自意識を風刺しようとしている。
謎めいた中年女性が壮大なダムの上にたたずむホテルを訪れる。彼女は宿泊客の男性の中から1人選び、ベッドを共にすると、電車で下界に降りていく。彼女は障がいを抱える息子と暮らしている。息子はダイアナ妃のファンで、時代設定がうかがえる。母親の愛情は本物だが、ある男性を愛したことから、女であることと母であることに引き裂かれていく。ぼくも母子家庭なので、母の内なる葛藤を想像したことがあるが、これがデビューとなるラッバスは洗練された視覚言語を使って人生の転機を切り取ろうと試みた。