パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
劇映画だとわかっていながらも、どうしても桃農園を営む一家の生活に密着したドキュメンタリーのように思えてきてしまう。監督の実家が代々農園を営んでいること、職業俳優ではなく、実際にその地域に住む人々が出演していることを知り、深い納得があった。一つひとつの場面は、物語を展開させるために存在しているのではなく、ただそこにある時間の輝きがある。おじいさんがピンク色のかわいいシャツを着ているのも自然に受け入れられるくらい、演出を感じさせない演出が巧みだった。
1960年代のフランスを、10代の姉妹の日々を通してスケッチしたような映画。女子は政治活動をするな、恋愛はするな、といった厳しい規範の中で閉塞感や生きづらさを感じる生活を、紋切り型にはまらず描く手つきがよかった。時に性的な視線にさらされる彼女たちの身体を欲望の対象として直接写さずに、性的な欲望だけを可視化しているのにも好感を持つ。写真のアルバムをめくるように、大人になった彼女たちが思い出しているような視点で描かれており、優しさと懐かしさに包まれている。
パトリシオ・グスマン監督の新作は、チリで2019年に起きた社会運動を捉えている。特定のイデオロギーを持たない民衆によって、組織化されない改革運動が広まったことにまず衝撃を受ける。女性たちが主体となっていた活動も力強く、それを情熱的な視点で捉えるカメラも素晴らしかった。タイトルにも込められている、作り手の祖国への想いが映像にも乗り移っている。「チリの闘い」の時代を重ねながらも、現代の人々にかつて成し遂げられなかったことを託すような、祈りが込められた映画。
コロナ禍のアムステルダムと、第二次世界大戦中ドイツに占領されたアムステルダム、二つの時代の街を重ね合わせたドキュメント。外出制限がかかり、店が閉まって閑散としていたり、集会に集まった人たちが警察に止められている様子は、戦時中の街の緊張感とわかりやすく重なっていく。ドイツ政府に殺されていったユダヤ人たちの暮らした場所、逃げ隠れた場所。子どもが運河でスケートをする楽園のようなアムステルダム中に、今でもその場所はあるのだということを焼き付けられる。
カタルーニャ地方にある小さな村で代々桃農園を営むソレ家に容赦なく襲いかかる近代化の波。地主が突然、土地を明けわたすように宣告し、桃の木を伐採してソーラーパネルを設置するというのだ。しかし映画はその波紋の広がりを社会派的な視点で激しく糾弾するわけではない。カルラ・シモン監督の自伝でもある本作の魅力は現地の素人を起用し、ドキュメンタリー的な肌合いを感じさせることだろう。彼女はゆるやかに崩壊してゆく家族を深い愛惜とノスタルジアを込めて葬送しているのだ。
急進的なフェミニストと称されたディアーヌ・キュリスの初々しい長篇デビュー作だ。時代は1963年。両親の離婚で母親とパリで暮らすことになった二人の姉妹がリセに通いながら体験する刺激的な日々が活写される。ベタつかない、クールな距離感を保つ描写の積み重ねによって、彼女たちの抱える思春期特有の感情の揺らめきが画面から滲み出す。瞠目すべき才能と言ってよい。教師の理不尽な振る舞いに女生徒たちが一斉蜂起する場面など「新学期・操行ゼロ」を想起させる素晴らしさだ。
50年前の「チリの闘い」以来、パトリシオ・グスマンはチリの現代史を記録する唯一無二のドキュメンタリストだ。本作は2019年、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対の暴動が燎原の火となり、150万人もの民衆が軍隊、警察と市街戦を繰り広げるさまを描く。映画で常に可能性の中心にいるのは、家父長制を否定する4人の詩人ほか数多くの女性たちだ。監督はその痛切な声に深い共感と希望を見出している。〈革命〉というワードが現在進行形で生々しいリアリティを帯びているのも特筆されよう。
アムステルダムにはフェルメールの《デルフトの眺望》を思わせる歴史的建造物がいまだに点在しているのに驚かされる。映画はその風光明媚な〈場所〉のディテールを切り取りながら、占領下にそこで起きたナチス・ドイツのおぞましいユダヤ人虐殺の克明な記録が延々とナレーションで被さる。S・マックイーンは平穏な日常のスケッチという〈画〉と抑揚を欠いた淡々とした〈語り〉という乖離を意図的な方法として選び取り、〈記憶と現在〉の抜き差しならない関係をめぐって瞑想に耽っている。
長年の地方在住かつ「サマーウォーズ」を観て「『儀式』こそが大家族のリアル」と奥歯を嚙み締めたタイプの人間として身構えて鑑賞。しかし誰もが身に覚えがあるような生々しい“親戚間の揉め事”すら瑞々しくリアリズムで描いた本作は、勝手な先入観に反してするりと飲み下せてしまった。ままならぬ現実とノスタルジー混じりの希望を包括したラストシーンが象徴する甘美で痛切な気分と空気は、斜陽の時代を生きていると感じる多くの人が当事者として意識できるものではないだろうか。
英語で言う“スライス・オブ・ライフ”と日本オタクカルチャーで言う”日常系”のラインが曖昧になっていることを感じる昨今。“徒然なる短いエピソードで毎回オチをつけつつ、ささやかだが決定的な変化を大きな物語として描く”『あずまんが大王』『ひだまりスケッチ』『けいおん!』といった漫画に90年代末から触れてきた者として、そんなストーリー4コマ的話法の極北が47年前のフランスにあったとは……と感嘆。男性オタクに対する忖度がないので、完全なる上位互換かもしれない。
女性中心の社会運動でチリに決定的な変化が訪れた瞬間を捉えた、希望とオプティミズムに満ちた力強くも美しいドキュメンタリー……なのだが、この作品を観ながらどうしても脳裏をよぎるのは“その後”の現実である。2022年に製作された本作が示したような価値観への反発・バックラッシュが、チリのみならず世界的な趨勢となっている事実を無視できない2024年――。パトリシオ・グスマン監督が想像した希望が単なる“記録”に終わるか終わらないかの瀬戸際であることを強く意識させられる。
“現代と過去”=“映像と言葉”を対置させるコンセプト、さらに圧倒的長尺から(敷居の高さを感じさせるという意味での)現代アート寄りの作品なのでは……と勝手に身構えていたのだが、実際は驚くほどに親密なアムステルダムという街のポートレート。個人的には教科書的知識とポール・ヴァーホーヴェンやディック・マースらの映画的記憶だけでフィクショナルに捉えてしまっていたオランダという国の歴史と現実に接続して同一化するにあたり、長大な上映時間にも確かな意味があった。