当時戦勝国だったアメリカでこの映画はヒットしなかったそうだ。高揚した国民の意識は自殺しようとするジョージ・ベイリーとは大きくかけ離れた感覚だったのだろう。ところが時代が変化するにつれ、ヒットしなかったこの映画が再考されてゆく。家を買えない庶民。町を支配する資本家。間に入って金融業を営むベイリー。この映画はベイリー対ポッターの戦いのドラマである。これは富の配分のため、犠牲となったベイリーと、その富を思う存分悪用して自らの利益のためだけに生きたポッターの対比。これはまさに、資本主義の矛盾、資本主義の闇を描いた作品ともとれる。
冒頭の不思議なシーンで天使がほのめかされるが、実際にこの2級天使クレランスが現れるのはだいぶあとだ。つまり前述のとおり、このドラマはベイリー対ポッターの戦いの歴史であり、ベイリー家については世代を超越した戦いをポッターに挑む物語になっている。ジョージのあまりにも悲しく献身的な人生を、最後の最後で大きく展開させるシナリオ構成が素晴らしく、大団円に向かうまでに大きな感動が押し寄せる。
何度か見ていると、これまで意識しなかったシーンが目につく。ひとつは弟のハリーが戦争に行って英雄として戻るまでのシーンで、本当の戦闘シーンを使っている。夢のようなこの映画で異質なシーンだ。もうひとつ。2級天使クラレンスが橋のたもとの小屋でジョージと会話するシーンで、濡れた服を乾かすロープが二人をよぎっている。天使と現実の間に画面の上で線を描くことで対比させている。
このように、これまであまり意識しなかったシーンも美しく、叔父が紛失した8,000ドルをめぐるシーンも、前半の取り付け騒ぎのシーンと呼応する。
妻となるメアリーとの歯がゆいやりとりも面白い。メアリーはこの場合「聖母マリア」を象徴する。そしてジョージが自殺を試みる場面はキリストの磔が背景にある。この映画は、極めて政治的なメッセージを見えないように主張しながら、旧約聖書からの引用が背景にあることで、クリスマスという時期に大きな意味をもつのだと思う。
小さいことだが、ジョージの実家に黒人の家政婦がいる。この家政婦もまた、自由に発言し忌憚のない意見を言う女性だ。そんなシーンもとても印象深い。