狂うような暑さのサイゴンの夏。ブラインドの降りたホテルの一室で、ウィラード大尉(マーティン・シーン)は空ろな視線を天井に向けていた。505大隊、173空挺隊所属、特殊行動班員である彼に、それからまもなく、ナ・トランの情報指令本部への出頭命令が下った。本部では3人の男が彼を待ちうけており、そのうちの1人がウィラードに、今回の出頭目的を説明した。それは第5特殊部隊の作戦将校であるウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)を殺せという命令だった。カーツはウェストポイント士官学校を主席で卒業し、空挺隊員として朝鮮戦争に参加、数々の叙勲歴を持つ軍部最高の人物であったが現地人部隊を組織するという目的でナン川上流の奥地に潜入してからは、彼の行動が軍では統制できない異常な方向へと進んでいった。情報によると彼はジャングルの奥地で原地人を支配し、軍とはまったく連絡を絶ち、自らの王国を築いている、というのだ。そのアメリカ軍の恥である錯乱者カーツを暗殺しなければならない、というのが軍の考えだった。この密命を受けた若い兵士ウィラードは、4人の部下、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)を連れ、巡回艇PBRに乗り込んだ。まず、ウィラードは、危険区域通過の護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊にキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を訪ねた。ナパーム弾の匂いの中で目覚めることに歓びさえ感じているキルゴアは、花形サーファーであるランスを見ると彼にサーフィンを強要した。ワーグナーの“ワルキューレの騎行”が鳴り響く中、キルゴアの号令で数千発のナパーム弾がベトコン村を襲った。キルゴアのもとを発った彼らは、カーツの王国へとPBRを進めた。河岸に上陸するたびにウィラードに手渡される現地部隊からの機密書には、カーツの詳細な履歴と全行動が記されており、読めば読む程ウィラードには、軍から聞いたのとは別の人物であるカーツが浮び上ってきていた。王国に近づいたころ、クリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、ウィラードはそこで、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)に会い、彼から王国で、“神”と呼ばれているカーツの真の姿を聞かされる。カーツは狂人なのだろうか。それとも偉大な指導者なのだろうか。ウィラードにもわからなかった。そして遂にカーツとの対面の日がきた。テープレコーダーや本に囲まれたカーツの元にやってきたウィラードは、軍の命令に従い、“神”と呼ばれる人間カーツを殺すのだった。
ジョン・ミリアスは、ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」とベトナム戦争でラオスに潜入しモン族をゲリラに鍛え上げベトコンの武器補給路を断つという武勲を成し遂げたトニー・ポーの伝説を元に脚本を仕上げた。ミリアスの脚本は完成した映画版より、好戦的な内容だった。だがフランシス・コッポラ監督は、ベトナム戦争そのままを再現する大作として完成させようとした。セットが台風で壊れたり、コッポラ監督が思いつきでどんどん脚本を変えたり、挙げ句の果てはマーロン・ブランドが肥え太った状態で来たので大半のアクションは撮影出来ず、別なラストを用意するために「フィッシャー・キング」やT.S.エリオットの詩から引用したセリフをカンペに写してマーロン・ブランドに読ませて撮影した。そんな現場のゴタゴタを反映するように、エピソードがリンクして繋がらずとっちらかっている。ウィラードが、カーツの王国に行く中でベトナム戦争という地獄をめぐる地獄めぐりの旅としたら面白い。サーフィンと戦いが好きなキルゴア中将、デニス・ホッパー演じるヒッピー崩れのカメラマンなど面白いし、戦争の中で目覚める獣性と理性の相克がテーマらしいけどちゃんとストーリーの中で描かれていない。だが莫大な費用を費やした戦闘ヘリがベトコンの村を空爆するシーンは、迫力と臨場感がある。カルト化した戦争映画として一見の価値あり。