1939年製作だから、世界中がファシズムや共産主義の全体主義的な時代背景で自由と民主主義を描く本作は、政治を扱った映画としては古典的な名作との評判は聞いていたが、これほど現代にも通じる作品とは驚いた。
モンタナの田舎でボーイスカウトの隊長をしていた青年が、急死した上院議員の後継としてかつがれる。
この背景には二足三文の土地に政府のダムを誘致して莫大な利益を得ようと企む地元新聞社を牛耳るテイラー一派がいた。
この青年=スミスが候補に挙がるまでのプロセスもコミカル仕立てで笑える。
後継者の選考課程でテイラー一派の後援を受けた知事が、テイラーの一言で右往左往する様で、息子たちや妻にも揶揄される有様だ。
テイラー一派の進める候補にマスコミや支持者が難色を示して、息子たちが推薦する主人公をつい候補者に推すあたりは飛躍があるようにも思えるが、主人公が素朴で野心のないキャラであることからコントロールできると計算したことはそれなりに説得的ではある。
しかし後の、主人公が少年のためにキャンプ場候補地としてダム誘致場とバッティングする展開はうまい。
そして元は正義派の弁護士で主人公の父親と親友だった同郷の上院議員のペインと、当初は尊敬と親愛の対象だった。
しかし実はテイラーの一派で主人公がダム建設に反対となるとテイラーの仕組んだ陰謀に加担することになり、そのショックで主人公は打ちのめされることになる。
主人公が土地を買い占めてキャンプ場にして子供たちの寄付をかすめ取ろうという陰謀なのだからひどい話だ。
絶望した主人公は委員会で議員辞職に追い込まれる。
本会議前に議事堂を去ろうとするが、リンカーンの像の前で秘書の女性に再会し、彼に好感を持っていた彼女は奮起を促す。
そしてここから彼は本会議で議事妨害(規則の範囲内で、演説をし続ける)でテイラー一味の不正を暴露し、自由と民主主義の真価を説き続ける。
ここから彼をでっちあげの記事で糾弾する記事を出し続けるテイラー一派のやり口やボーイスカウトたちの子供新聞の配達を邪魔するような暴挙まで描かれる。
ひいてはそのニュースに騙された地元民の彼を糾弾する電報の山まで議会に出す。
24時間近く頑張った主人公もとうとう疲労で倒れるのだが…。
エンディングは自由と民主主義の勝利というアメリカ的なハッピーエンドだが、皮一枚というギリギリの攻防である。
実際には逆の結果に終わることも暗示される。
だからこそ、自由と民主主義を維持するために不断の努力が必要なことがよくわかるのだ。