ゴッドファーザーPARTII

ごっどふぁーざーぱーとつー|The Godfather Part II|The Godfather Part II

ゴッドファーザーPARTII

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レビューの数

157

平均評点

85.5(1389人)

観たひと

2143

観たいひと

99

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 任侠・アウトロー / ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1974
公開年月日 1975/4/26
上映時間 202分
製作会社 フランシス・フォード・コッポラ・プロ
配給 パラマウント映画=CIC
レイティング PG-12
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ゴッドファーザー、ビトー・コルレオーネの縄張りを継いだ三男のマイケルが次々に宿敵を倒し、ファミリーを形成していくまでの過程を、若き日のビトーの足跡を挿入しながら描く。製作・監督はフランシス・フォード・コッポラ、脚本はコッポラとマリオ・プーゾ、原作はマリオ・プーゾ、撮影はゴードン・ウィリス、音楽はニーノ・ロータ、音楽指揮はカーマイン・コッポラ、編集はピーター・ツィンナー、バリー・マルキン、リチャード・マークス、衣装はセオドア・ヴァン・ランクルが各々担当。出演はアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ジョン・カザール、タリア・シャイア、モーガナ・キング、リチャード・ブライト、フランチェスカ・デ・サピオ、トロイ・ドナヒュー、マイケル・ヴィンセント・ガッツォー、G・D・スプラドリンなど。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ドン・マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー湖畔に移していた。近くに収入源のラスベガスが控えていたからだ。マイケルは、ことあるごとに父ビトー・コルレオーネの偉大さを思うのだった。---/ビトーはシシリー島で生まれた。ビトーが9才のとき、父と母と兄が土地のマフィアの親分チッチオに殺された。彼は村人にかくまわれ、移民団の群れにまじって単身ニューヨークへ渡った。1901年のことだった。ニューヨークに着いたビトーは天然痘の疑いで3ヵ月間病院に入れられた。---/1958年。タホー湖畔にある教会ではマイケルの一人息子アントニーの聖さん式が行われていた。ビトーが死ぬ直前、一緒に庭で遊んでいた幼児がアントニーである。城のような大邸宅では大パーティが催され、マイケル、妻ケイ(ダイアン・キートン)とアントニー、ママ・コルレオーネ(モーガナ・キング)、マイケルの兄フレドー(ジョン・カザール)、その妻、妹のコニー(タリア・シャイア)とその恋人(トロイ・ドナヒュー)、相談役トム・ヘーゲン(ロバート・デュヴァル)などの顔が見える。パーティが終わり、その夜、マイケルの部屋に何者かが機関銃を乱射した。犯人はマイアミの大ボス、ハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)の腹心ロサト兄弟だった。---/リトル・イタリアで成長したビトー(ロバート・デ・ニーロ)は、あらゆる職業を経て、次第に頭角を現し、移民の信望を集めるようになってきた。彼のもとには弱い人々がさまざまな願いをもって訪れる。その街を牛耳る悪玉ボスのファヌッチを仕とめたのは町をあげてのお祭りの夜だった。---/マイケルはハイマン・ロスと一対一で会い、自分を襲ったロサト兄弟と、その事件に内通したペンタンジェリ(マイケル・ヴィンセント・ガッツォー)を処分することを宣言した。ペンタンジェリはコルレオーネ一家の古参だったが、マイケルのやり方に不満を抱えていた。そんなペンタンジェリにマイケルはロサト兄弟と手打ちをするように指示する。ロサト兄弟のバックにいるのがハイマン・ロスだと見抜いていたマイケルは、彼の油断を誘うべく計画を練っていたのだった。しかし手打ちの場所でペンタンジェリは暗殺されそうになるが、一命を取り留める。更に驚くべきことに、兄のフレドーまでもが、コルレオーネ家の情報をハイマン・ロスに流していた。そんなある日、マイケルは、犯罪調査委員会に呼び出されたが、マフィアについてのあらゆる容疑を完全に否定した。委員会側はそれを偽証だとしてペンタンジェリを証人として呼んだ。ペンタンジェリはマイケルにはめられたと思い込んでいたのだった。マイケルはペンタンジェリの肉親を傍聴席に呼び、彼の証言を封じた。その夜、妻ケイはマイケルに離婚話をもちだした。マフィアの恐ろしさと、子供の将来を想う気持ちからだった。---/ビトーと妻との間には4人の子供が出来た。汽車がシシリー島のコルレオーネ村に着き、多勢の村人が一家を迎えた。ビトーは両親の仇、チッチオを襲って、自分の手でチッチオの腹を十字に刺して殺した。---/ママ・コルレオーネが病気で死んだ。ニューヨークに隠れていたフレドーも呼び戻された。葬儀のあともフレドーはタホー湖畔にとどまって幼いアントニーと遊んだ。フレドーはマイケルに許されていると思ったのだ。だが、船で湖へ釣りに出たところを、マイケルの命令で殺された。初老に達したマイケルは、一人湖畔の椅子に座り、亡き父ビトーの愛情に充ちた偉大な生涯を想い、自分の孤独に胸を痛めるのだった---。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2018年7月下旬特別号

巻頭特集 キネマ旬報創刊100年特別企画 第1弾 1970年代外国映画ベスト・テン:ベスト19グラビア解説

2011年4月下旬号

第二回 午前十時の映画祭:「ゴッドファーザー PARTII」「ディア・ハンター」

1975年5月下旬号

映画批評:ゴッドファーザーPART2

外国映画紹介:ゴッドファーザーPART2

1975年5月上旬号

グラビア:「ゴッドファーザーPART2」

キネ旬試写室:ゴッドファーザーPART2

1975年3月上旬号

グラビア:「ゴッドファーザー2」

2025/02/08

2025/06/05

85点

映画館/群馬県/高崎電気館 
字幕


時代が変わり、ファミリーの意味も変わる

冒頭のイベントパーティのシーンが1作目と良い対比なのかもしれない。
1作目の、身近な人たちが集まっての結婚披露パーティ
今作の、チャリティーイベントパーティ

パーティの中身が、集まる人々の関係性が空疎な感じになっている。
人のつながりが希薄なパーティを開催している2代目(主人公)。
家族の行動が癇に障ってしまう辺りが
初代ゴッドファーザーとは時代が違っている。

初代の頃の持ちつ持たれつという社会ではなくなっているのだろう。
2代目はファミリーを守る為ではなく
ファミリーと言う組織を守るために腐心して
対抗勢力と争いながら
組織の崩壊に繋がりかねない家族を排除する行動をとってしまう。

裏社会からの脱却を願うばかりに
ファミリーの意味を変えて生き残りを図ろうとする2代目の行動が
このファミリーの存在意義を問いかける。

このファミリー(=組織)は必要なのか?と。
観ている側に問いかけられてるような気がするし
無情な決断が決定的な何か(崩壊)を導くのではないかと感じさせます。

2025/02/23

2025/03/01

85点

テレビ/有料放送/WOWOW 
字幕


1作目よりも

現在のコルレオーネ家のトップである三男マイケルと先代の父ビトーの若き日を交互に進行させることで、孤独になっていく悲しみとファミリーの小さいが幸せが対比され、見る者の心をつかんでいく。これほどまでに人が死んでいくにもかかわらず。

2025/02/19

90点

選択しない 


繁栄と没落

マイケルと若きドンの話が交互に描かれることで2人の違いがはっきりしてくる。ヴィトはやはり義理人情の人で、やたらと暴力で解決するわけではないが、仲間や家族を傷つけるのには容赦ないところがあり、マイケルは家族であっても組織に害をなすものには容赦しない冷酷さが際立つ。最終的にマイケルは害あるものを全て排除できたが、本当にマイケルを愛して想ってくれる人は周りいない。ヴィトと違い孤独だ。自分の未来は自分で決めるという決意と共に孤独で幕を閉じるラストがなんとも悲しい。古い映画だから派手なシーンも衝撃的な話の展開もなく割と平坦に進むが、それでも画面に惹きつけれるのは俳優たちの凄みだと思う。ケイとマイケル、トムとフランク、フレドにロス、そして前作で圧倒的な存在感をはなったマーロンブランドに引けを取らないロバートデニーロ。もはや演じてるのではなく、完全に役にはまっている人しか出てこない素晴らしい名作。

2024/09/26

2024/09/26

88点

選択しない 


続編も名作

40年振り位に再鑑賞。3時間超えるが苦にならない面白さ。続編は得てしてトーンダウンするが、本作は一作目と双肩の出来。前作程の暴力的見せ場は少ないが、脚本、美術、撮影、音楽、衣装、出演者等全てが一級品で格調高く、それらをまとめ上げて作品化したコッポラ監督の演出が見事。マイケルの代では兄弟とてファミリーとして一枚岩になれておらず、裏切り者や敵を粛清した後のラストでの更なる孤高感が切ない。アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロの名演に溜息が出る。

2024/03/29

2024/03/30

90点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズららぽーと横浜 


シチリアには、愛のテーマがよく似合う

「ゴッドファーザー」に続けて、PART2を観る。
長丁場になるのだが、全く疲れない。好きな映画とはそういうものだ。
(この2本の後に「オッペンハイマー」を観ようという気もあったのだが。流石に、疲れるかなというのと、「オッペンハイマー」が残念な感じになるのを恐れたのだ)

さて、この映画。PART1よりも好きな人がいるという。

僕も一時期、そう思ったこともあった。

どこが魅力的なのか?

ロバート・デ・ニーロが、ビト・コルレオーネのパートが相当に良いのである。

一方で、マイケルのパートが暗い。あまりに暗い。
彼は、PART1でアポロニアが死んで以来、笑っていないのだ。

(と思っていたが、本作の冒頭の洗礼のシーンで、遠目からですが少し笑った感じもありました)

本作は幸せなビト・コルレオーネと対比させてマイケルの苦悩を描いている。そこが肝である。

けど、どうしてもマイケルの話が主流な訳で、
できれば、ビトのパートをもっと増やす。半々くらいにまで増やしていただけると、PART1に迫る作品になると思っている。

いや、本当、いい作品ですよ。これ

2005/12/20

2023/12/20

90点

購入 
字幕


三部作一気見

ネタバレ

原作を読んだ余韻の冷めぬうちにと、久しぶりに映画版『ゴッドファーザー』三部作を一気観しました。

やっぱり凄い。

一作一作個々の作品として比べると、当然好き嫌いも出来もバラツキがあります。
やっぱり一作目がベスト。
世間の評価も、私が唯一リアルタイムで劇場で観ている『PARTⅢ』なんて、公開当時はこてんぱんに言われてました。ま、比べてしまえばそりゃそうなんですが。

でも三部作通しで、コルレオーネ・ファミリーの歴史、そしてマイケル・コルレオーネの運命としてみると、『PART III』は優れた最終章だと思います。
哀切に満ちていて息苦しい。痛くて痛くて・・・。


果然ミーハーな話になりますが、今回改めて見直して、観る側の己の変化も面白かった。

株が急上昇したのが、ソニー。
昔はこういう粗野で短気なタイプは嫌いでした。・・・若かったなぁ、自分(笑)

今回はもうメロメロ。
酒呑みながら観ていたせいか、旦那に殴られたコニーからの電話で家を飛び出して行くシーンで、「やめてよ。いかないでよ、ソニー」とか泣きながら呟いている己。
ただの酔っぱらいです。

その勢いは『PART III』のヴィンセントへも受け継がれ、彼が顔も知らない父親であるソニーのことを「親父は街のプリンスだった」という場面にはしみじみ。
ヴィンセントを可愛がり、ファミリー内で引き立てようとするコニーの想いがなんとなく分かります。

そのコニーも今回株が急上昇したひとり。
『PART III』でああまで肝が据わるまでの道程に、マイケルに負けず劣らずの宿命というか業を思います。

[2005.11_鑑賞記録より転載]