栄華と孤独 ― 二つの時間が交差するマフィア叙事詩
『ゴッドファーザー PART II』は、前作の成功を受けた単なる続編ではなく、
「帝国はいかにして生まれ、いかにして壊れるのか」を、時間軸を二つに割って描いた稀有な映画である。
冒頭のパーティーから、すでに空気は違う。
PART I が、イタリア移民たちの身内だけで祝われる温度のある結婚披露宴だったのに対し、
本作の湖畔のパーティーには、政治家や実業家といった“仕事上の関係者”が並ぶ。
そこにあるのは祝福というより、形式と利害。二代目マイケル・コルレオーネのファミリーには、すでに虚無が漂っている。
長尺の物語の始まりの段階で、観客ははっきりと「崩壊の序章」を感じ取ることになる。
家族を守るために始まったはずの組織は、
やがて家族そのものを蝕み、疑念と恐怖だけが残っていく。
一方で並行して描かれるのが、若き日のビトー・コルレオーネの物語だ。
1917年、移民としてアメリカに渡り、仲間と助け合いながら生き抜くビトーの姿は、マフィア映画でありながら、むしろ「家族と共同体の物語」として胸を打つ。ロバート・デ・ニーロが演じるビトーには、
後年のドン・コルレオーネが持っていた“温度”と“人間的な重さ”が確かに宿っている。
1917年のビトーのイタリー街での台頭、
1941年と思われる兄弟たちが集うビトーの誕生祝い――この頃がファミリーの最盛期。
1945年、コニーの結婚式
1955年、マイケルが家長となり、
1959年のキューバ革命によって時代の読みを誤った瞬間、帝国は音を立てて崩れ始める。
栄華は、わずか半世紀にも満たない。
ビトーが築いた「人の繋がりの帝国」は、
マイケルの時代に「恐怖と支配の帝国」へと変質し、
その代償として、彼自身はすべてを失っていく。
一つの帝国が生まれ、そして崩れるプロセスを、“陽”としてのビトー、“陰”としてのマイケルで対比させた本作は、映画史における続編の理想形であり、同時に、ゴッドファーザー・サーガの最も深い場所に到達した傑作だと言える。