映画に限らず、サブカルチャーとしての作品は時間の経過とともに価値を変えてゆくときがある。そして誰かの解説などによって見方も変わる。今回40年ぶりにまともにこの映画を鑑賞して、映画の見方や感じ方の変化を実感することができた。
少し整理すると、
1965年に連載され、1967年に刊行された筒井康隆原作の作品は、その後NHKで1972年放映され、1983年の原田知世版のほか、何度もテレビドラマや映画やアニメとなっている。ちなみにアニメ版などでは敢えて芳山和子を主人公としていなバージョンもある。
この原作の魅力は言うまでもなく時を越える、タイムリープだ。タイムリープものの映画はあまりも多いが、日本ではこの作品が広く知られることになる。理由は様々だが、われわれ(60代)にとっては、NHKの「タイムトラベラー」があまりにも衝撃的で、学校でも大きな話題となっていた。深町一夫(本名ケン・ソゴル)の存在と主人公の芳山和子の関係が淡々と描かれつつも、未来と現在を行き来するという物語に興奮した。
1983年版ではすでに成人していた自分だが、当時この映画に魅力を感じなかった理由として、世代が自分より下の世代だったことと、大林宣彦監督のぎこちない映像。同時上映の「探偵物語」があまりにもスタンダードな作りだっただけに、アヴァンギャルドなこの映画がしっくりこなかった。失礼だが原田知世さんにも魅力を感じなかった。
久しぶりに鑑賞して、色々な解説などを聞いて改めたことは、尾身よしのりさん演じる吾郎のこと。吾郎と和子は幼馴染で想いを寄せている。結果的に深町一夫がここに割り込んだおかげで、醤油づくりの家で育った彼は、尾道にとどまったまま和子との思いを結実させることのないまま終わってゆく。ドラマには見えない吾郎の行く末を、ルーク・スカイウォーカーに重ねる解説もあった。
最後にひとつだけこの映画(あるいは原作)の先見性を付け加えると、2660年から現代にタイムリープした深町一夫曰く、未来でラベンダーが取れない、という環境破壊の問題が取り上げられている部分だ。薬学研究でどうしてもラベンダーが必要で現代に舞い降りた、という部分は現実感がある。