1921年山口県に生まれた福島菊次郎。そのキャリアは敗戦後、ヒロシマでの撮影に始まり66年になる。ピカドン、三里塚闘争、安保、東大安田講堂、水俣、ウーマンリブ、祝島―。レンズを向けてきたのは激動の戦後・日本。真実を伝えるためには手段を選ばず、防衛庁を欺き、自衛隊と軍需産業内部に潜入取材して隠し撮り。その写真を発表後、暴漢に襲われ家を放火された。それでもシャッターを切り続けた指はカメラの形に沿うように湾曲している。だが1982年、現場の最前線でシャッターを切り続けてきた菊次郎は保守化する日本に絶望し、瀬戸内海の無人島に渡る。胃がんを患いその生活を諦めるまで自給自足で生活した。「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることは出来ない」と年金は拒否。子からの援助も断り、自らの原稿料だけで生計を立てている。現在は相棒犬ロクとの気ままな二人暮らし。散歩がてらスーパーに買い物に行き、手際よく夕飯をこしらえ、エンジンふかしたバイクを転がし、補聴器の注文へ。飄々と、穏やかに日々の生活を送る。一見すると、そこに居るのは一人の老人。しかしいざカメラを構えた瞬間、鋭く獲物を狙う“報道写真家・福島菊次郎”が姿を見せる。冷静に時代を見つめ、この国に投げかけ続けた「疑問」を、今を生きる我々日本人に「遺言」として伝えはじめた時、東日本大震災が発生。福島県第一原発事故を受け、菊次郎は真実を求め最後の現場に向かう。満身創痍、37キロの痩せた体で地面に這いつくばり、強風に煽られながら、それでも被写体を捉えようとするその姿は、一切の妥協を許さず、貫き通された福島菊次郎の信念の姿そのものである。