10代の時に鑑賞し、初めて岩井俊二の感性の鋭さに圧倒された作品。
今観返してもまったく色褪せることがなかった。
登場人物は中学生ばかりだが、描かれるのはキラキラした青春とは真逆の世界だ。
万引き、恐喝、いじめ、援助交際、レイプ。
バックにはドビュッシーの『アラベスク』や『月光』が流れる。
世界は美しくも残酷だ。
そしてきっかけひとつで簡単に世界は灰色に変わる。
同級生の星野に万引きなどの犯罪行為を強制されている蓮見。
鬱屈とした日々の中で唯一の救いが、カリスマ的な人気を誇る女性歌手リリイ・シュシュの存在だった。
インターネットの掲示板には匿名で彼女を信奉する内容の書き込みが連ねられる。
誰かに傷つけられた者も、誰かを傷つけた者も等しく、彼女の音楽に心を癒される。
蓮見にとって世界は最初から灰色ではなかった。
星野とも最初は友人同士だった。
星野は優等生だが、コンプレックスを抱えた内気な少年だった。
中学の入学式から剣道部への入部、憧れの先輩の引退試合まで、決して美しいことばかりではないが、仲間に囲まれ充実した生活がそこにはあった。
転機となったのは仲間内で出かけた沖縄旅行。
不良グループが恐喝して巻き上げた金を横取りするという犯罪行為によって実現した旅行だ。
西表島のツアー中に星野はダツに襲われ、また溺れて心肺停止状態になり、二度も命を落としかける。
そしてツアー中に付きまとっていた旅人の男が、車に撥ねられ血を流す現場を目撃してしまう。
星野は帰りのクルージング中に、突如札束を海にばら撒く。
夏休みが終わると、星野の性格はまるで変わってしまった。
彼は支配者として君臨し、多くの人間に犯罪行為を強要するようになる。
星野だけでなく、不良女子グループのリーダーの神崎なども、まるで良心など持ち合わせていないかのように非道に振る舞う。
支配される側の人間は、抜け出したくてもどこにも逃げ場がない。
蓮見は星野から売春行為を強要されている津田と心を通わせるようになる。
が、同じ虐げられる側の人間同士。
ただ傷を舐め合うだけの間柄。
いや、それすらもなく、ただ心の隙間を埋めるために一緒にいるだけのようだ。
この映画にもちろん大人は登場するが、彼らは皆とても無力で無関心だ。
もし暴力を振るったり、犯罪行為を強要するようなクズな大人が登場すれば、少しは中学生たちに同情するような余地はあったかもしれない。
が、この映画の中で中学生たちは大人の影響を受けることなく卑劣な行為をし続ける。
もちろんバックボーンには心が歪んでしまったきっかけが必ずあるはずだ。
が、それはこの映画の中では描かれない。
大人たちは中学生の暴走を止めることが出来ない。
誰もが被害者であり、加害者である世界。
唯一、加害者の側に回らなかったのは久野だけだろう。
彼女は僻みによって神崎から攻撃を受けるが、どれだけ傷つけられても毅然とした態度で前を向き続ける。
心が弱いのは彼女を虐める側の人間だ。
久野は孤独だがとても芯が強い。
そして正しい心を持っている。
だからこそ攻撃の対象にされてしまう。
世界はとても残酷だ。
ついにリリイ・シュシュのライブが代々木体育館で開催されることが決まった。
蓮見はチケットを手にし、会場の列に並ぶ。
が、そこには星野の姿が。
蓮見は〈フィリア〉の名前で非公式のリリイ・シュシュのファンサイトを立ち上げていた。
そしてそこで同じくリリイを信奉する〈青猫〉と名乗る人物と交流するようになる。
が、その〈青猫〉は実は星野だった。
星野は蓮見のチケットを破り捨て、会場の中へ消えて行く。
蓮見の中で何かが壊れる。
美しい映像と美しい音楽には似つかわしくない胸糞映画だが、とても胸に響く作品だ。
インターネットの掲示板など時代遅れに感じる部分もあるが、この映画から伝わるヒリヒリした痛みは、おそらくどれだけ時を越えても人々の心に響くのだろう。
岩井俊二監督が徹底的にリアルにこだわったのがよく分かる人物描写が見事だった。
公開当時、久野役の伊藤歩はある程度名前が知られていたと記憶しているが、他のキャストはほとんど無名に近かったと思う。
改めて観ると市原隼人、蒼井優、忍成修吾、勝地涼、細山田隆人、伴杏里、高橋一生と、その後テレビドラマや映画で活躍するスターが勢揃いしていたことが分かる。
脇を固める大沢たかおや田中要次、稲森いずみ、市川実日子などの大人キャストも印象的。
リリイ・シュシュとして歌うSalyuの声も魅力的だった。