矢崎滋

|Shigeru Yazaki| (出演)

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本名
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1947/09/02
没年月日

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東京都世田谷区の生まれ。父は元東京教育大学教授で言語学者の矢崎源九郎、叔父に大阪大学名誉教授で法哲学者の矢崎光圀がいる。父の影響で自分も同じ道を目指すが、やがて父との資質の差を悟り、東京大学文学部英文学科に通う傍ら、舞台芸術学院夜間部で演技を学ぶ。1968年、大学在学のまま劇団四季に入団し、学生俳優として活動。70年の『ブラックコメディ』では初主演を果たし、それに伴い大学を中退する。73年に四季を退団。74年の紀伊國屋ホール『表裏源内蛙合戦』を皮切りに、『小林一茶』79、『イーハトーボの劇列車』80など、井上やすし・作、木村光一演出による舞台に主演し続ける。87年に東京芝居倶楽部を設立し、イギリスの喜劇『ノーセックスプリーズ』91、『Noises Off』92などを企画・演出。93年からはオリジナル劇『正しい暇のつぶし方』や“岸田國士勉強会”などを製作・監修した。その間、映像分野では、76年のNHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』にレギュラー出演し、77年の篠田正浩監督「はなれ瞽女おりん」にも助演。同年の藤田敏八監督「横須賀男狩り/少女・悦楽」から日活ロマンポルノにも出演するようになる。大きくステップアップしたのは、82年の市川森一脚本のTBS『淋しいのはお前だけじゃない』で演じた莫大な借金から逃れるためドサ周り劇団の一員になる男の役で、これを機にテレビドラマでの露出が増えていく。映画でも森田芳光監督「ときめきに死す」84での殺し屋役など印象的なものが増え、90年代に入ると、伊丹十三監督「ミンボーの女」92の裁判官役、滝田洋二郎監督「眠らない街・新宿鮫」93の検視官役などで印象を残す。しかし、仕事の比重としては、やはり舞台やバラエティ番組も含めたテレビでの活動が目立ち、ドラマの出演作はほかに、日本テレビ『風の中のあいつ』84、『結婚しないかもしれない症候群』91、NHK『山河燃ゆ』84、『はね駒』86、『かりん』93、フジテレビ『時にはいっしょに』86などがある。また、イギリスの名優マイケル・ケイン著書『映画の演技』を翻訳したほか、福山大学客員教授として演技・演出論を担当している。

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