エミール・クストリッツァ
|Emir Kusturica| (監督/脚本/出演/製作)
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本名 |
- |
出身地 |
(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)、サラエヴォ |
生年月日 |
1954/11/24 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【三大映画祭グランドスラムを達成した東欧の巨匠】旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)、サラエヴォの生まれ。父は情報省に勤める裕福なセルビア人、母はモスレム人という環境で少年時代を過ごした。18歳の時、息子の素行を心配した両親の勧めでプラハ映画学校に留学し、イジー・メンツェル監督に学ぶ。この時期に撮った短編「Guernica」(78)が、カルロヴィ・ヴァリ学生映画祭でグランプリを受賞。卒業後は母国のテレビ局と契約してテレビ作品を数本制作したのち、長編監督作「ドリー・ベルを憶えている?」(81・日本未公開)を発表した。西側のポップカルチャーに触れた旧ユーゴの青年を描いたこのデビュー作で、ヴェネチア映画祭の新人監督賞を受賞。続く第2作「パパは、出張中!」(85)で、カンヌ映画祭パルムドールを若干31歳で受賞。第3作「ジプシーのとき」(89)では同映画祭の監督賞を、ジョニー・デップらスターを起用しアメリカで撮った「アリゾナ・ドリーム」(92)はベルリン映画祭銀熊賞と快進撃を続ける。それと相前後して人生を大きく変える出来事、ボスニア紛争が勃発。母国の崩壊とそれに続く内戦、そして父の死を経験したクストリッツァは、ユーゴスラビアの半世紀を描いた渾身作「アンダーグラウンド」(95)を完成させ、2度目のカンヌ・パルムドールを受賞。映画監督として頂点を極める。しかしこの受賞によって一部から「セルビア支持者」と攻撃され、引退宣言を表明するも、3年後にヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞作「黒猫・白猫」(98)で復活。世界三大映画祭すべてで監督賞を獲得した。【社会性と寓話性を溶け込ませた作風】ユーゴスラビアの映画作家として登場、母国が解体・消滅してからはヨーロッパ諸国を製作国として活動を続けた。社会的、政治的な題材を扱いながらも、寓話性を強く感じさせる作風で知られる。自作に動物を積極的に登場させる(「アンダーグラウンド」のチンパンジーや「ライフ・イズ・ミラクル」のロバ)ことや、浮遊感あふれる幻想的な映像(「パパは、出張中!」「アンダーグラウンド」の宙に浮く人間など)、またバルカン音楽を背景に高いテンションで繰り広げられる群像シーンなどが、大きな特徴として挙げられる。土着的な生活空間を舞台とするのを好み、とりわけ居住区に住み込み取材した「ジプシーのとき」以来、ジプシーを素材とした作品をたびたび発表。猥雑、狂騒、風刺、詩性、ユーモア、そして社会性が渾然となったパワフルかつ個性的な映画で突出した個性を映画界に刻みこんだ。グランドスラム達成後も劇映画とドキュメンタリーを並行して製作するほか、バルカン音楽をベースにしたバンド“エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ”や、映画のロケ地として使ったセルビアの小村を買い取り映画学校を創設するなど、監督業以外にも精力的な活動を展開している。
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