サム・メンデス
|Sam Mendes| (監督/製作)
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本名 |
- |
出身地 |
バークシャー州レディング |
生年月日 |
1965/08/01 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【映画界に衝撃を与えたイギリス演劇界出身のカリスマ】イギリス、バークシャー州レディングの生まれ。1987年にケンブリッジ大学を卒業後、チチェスター・フェスティバル・シアターに入り、『桜の園』の演出で批評家協会最優秀新人賞を受賞。舞台演出家として華々しいスタートを切る。90年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに移り、92年から02年までロンドンのドンマー・ウェアハウスの芸術監督をつとめる。『ブルー・ルーム』『ガラスの動物園』『カンパニー』などの話題作を次々と手がけ、ロンドンで初演された『キャバレー』のブロードウェイでのリバイバル公演では、最優秀ミュージカル賞を含む4つのトニー賞のほか数々の賞を総なめにした。その斬新な演出がスティーヴン・スピルバーグらの目に留まり、99年、「アメリカン・ビューティー」の監督に抜擢。郊外の新興住宅地で暮らす現代アメリカの典型的な一家の崩壊を、イギリス人ならではの視線で俯瞰し、各登場人物の内面も深く掘り下げた。本作でアカデミー賞の監督賞・作品賞を含む5部門に輝き、映画界でも一躍その名を馳せる。続く「ロード・トゥ・パーディション」(02)では一転、大恐慌時代のシカゴを舞台にしたギャング映画を渋いトーンにまとめ上げ、アカデミー賞6部門にノミネートされた。05年には、湾岸戦争に志願した海兵隊員の回顧録にもとづく異色戦争映画「ジャーヘッド」を発表し、英国監督協会功労賞を受賞。08年の「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」では、93年の結婚以来、初のコラボレーションとなった妻のケイト・ウィンスレットにゴールデングローブ賞の主演女優賞をもたらした。近年はプロデュース業にも乗り出し、「悲しみが乾くまで」「君のためなら千回でも」(07)などを手がけている。【役者の才能を存分に引き出す手腕】映画監督として鮮烈なデビューを飾る以前に、すでに舞台演出家として確固たる地位を築いていたメンデスは、初監督作の「アメリカン・ビューティー」でも、数週間に及ぶリハーサルを敢行するなど、演劇的なアプローチを導入した。この手法は俳優たちの役作りにも大いに役立ち、同作のケヴィン・スペイシーにアカデミー主演男優賞をもたらしたほか、メンデスたっての希望で出演が実現した「ロード・トゥ・パーディション」のポール・ニューマンや、「レボリューショナリー・ロード」のマイケル・シャノンが助演男優賞候補となるなど、俳優たちのリアルな演技を引き出すことに成功している。これまでの監督作は題材的にはバラバラなようで、登場人物たちはいずれも過酷な運命に抗いつつ、そんな現状をどこか達観している。それはそのまま演劇畑出身のメンデスの映画作りに対するスタンスにも通じ、俳優陣の熱演を一歩退いたところでコントロールするバランス感覚により、演劇界、映画界の双方で才能を認められた数少ない演出家として活躍を続けている。
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