非常に重たいテーマだ。この問題については安易には語れないので、飽くまでも体験的に私が見たこと、感じたこととしてお伝えしたい。私の祖母は、私が幼稚園の頃に脳梗塞で倒れ、以降寝たきりになった。祖母の介護するのは、嫁である私の母だ。おばあちゃん子だった私は、当初は祖母の寝ている布団に入ったり、話し相手となっていたが、長引くにつれ、また自分も成長するにつれ、徐々に疎ましく感じるようになってしまった。そんな祖母を、母は十年間文句も言わず、献身的に介護してきた。父は全く我関せずで、祖母の顔さえも見ない有様。やがて祖母はボケてきて、ただ食って出すだけの機械になってしまった。祖母の死後、母は親戚中から、今までの苦労を労われた。言うのは簡単だ。母以外で、祖母の面倒を看たものは、誰もいない。
本作で殺人を犯してしまった、斯波宗典(松山ケンイチ)も、父親の面倒を看ていた。元気なボケ老人ほど、厄介なものはない。徘徊はするし、暴力まで振るう。身を守るには、こちらも暴力を振るうしかないではないか。そういう人を、私は責められない。
対する検事の大友秀美(長澤まさみ)は、殺人を正当化する斯波を許せず追及が始まる。この松山ケンイチと長澤まさみの対決は、圧巻の演技で圧倒される。どちらの言うことも、私には納得できてしまう。斯波は殺したのではない、救ったのだと言う。死んだ人間のことも、残された家族ことも。
実は秀美も、自分の親たちのことを考えなければならない立場であった。斯波に言ったことは、自分自身への問いかけでもある。介護の辛さは、体験した人でないと分からない。何の経験もしたことがない人間に、気楽な立場から意見を言われても、受け入れられる訳がない。それは経験の浅い新人・足立由紀(加藤菜津)と、ベテラン・猪口真理子(峯村リエ)の、見解の相違からも分かるだろう。
由紀は斯波を尊敬していた。斯波の介護は本当に懇切丁寧、誰からも信頼が厚かった。斯波の折った鶴が効果的に使われる。斯波の本当の思いは、その中に託されている。
残された家族の気持ちも様々だ。その後幸せを掴みそうな人もいるが、斯波を“人殺し、父を返せ!”と罵る人もいる。殺人は確かに殺人であり、それを正当化することはできないだろう。自然界では死にゆく運命の命でも、人間界では簡単に死ぬことは許されない。少なくとも私は、そういう状態で生きるくらいなら、死ぬことを許してほしい。それが人間の尊厳というものではないだろうか。
さて、私のエキストラ出演は、斯波が車で移送される時と、プラカードを掲げたデモ隊を取材するテレビの報道陣役です。