この映画の怖さは、犯人側の凶悪で執拗な加害的な怖さではなく、犯罪に利用された者が精神的なバランスを失って病的な執拗さで結果的に犯人側を追い詰めていくことになる怖さだ。主人公ジェームズ・スチュアートは高所恐怖症という症状を利用されたうえに、図らずも恋愛感情を募らせた挙句に病的になってしまうという合理的な理由づけがなされている。
高所恐怖症の怖さを様々な手法で視覚的に見せてくれる。確かに怖さが伝わってくる。さらに、二役を演じるキム・ノバックも、人妻に扮していた時のほうが魅力的で、主人公が恋していたその姿を蘇らせ追慕しようとする気迫にも一応の理由はあるような気がする。
ただ、何度見ても残念な気持ちが残るのは、事件の真相がキム・ノバックの回想によって早々とわかってしまうことだ。真相を明かすのはもう少し先延ばしすることができたはずで、そのあっさりとした種明かしに意外性を感じたほどだ。
もうひとつ、キム・ノバックには悲劇的な結末が待っている。主犯の友人への追及は当然なされるのだろうが、キム・ノバックも雇われて利用された口だから、主犯へ迫る場面が見たいところだった。