ウエスト・サイド物語

うえすとさいどすとーりーうえすとさいどものがたり|West Side Story|West Side Story

ウエスト・サイド物語

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レビューの数

146

平均評点

78.1(750人)

観たひと

1153

観たいひと

68

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ミュージカル
製作国 アメリカ
製作年 1961
公開年月日 1961/12/23
上映時間 152分
製作会社 ユナイテッド・アーチスツ映画
配給 ユナイテッド・アーチスツ映画
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比 70mmワイド(1.2.20)
上映フォーマット 70mm
メディアタイプ フィルム
音声 6chステレオ

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ブロードウェイ・ミュージカルの70ミリによる映画化。「ロミオとジュリエット」を現代化したラブロマンスを縦系にして現代の青春悲劇をリアルに描いた作品。原作は「旅情」の作者アーサー・ローレンツ。脚色をアーネスト・リーマンが担当した。監督は「拳銃の報酬」のロバート・ワイズと振付も兼ねているジェローム・ロビンスの共同。撮影は「5つの銅貨」のダニエル・L・ファップ。画面構成にタイトルをデザインしたソール・バスが一役加わっている。音楽は「踊る大紐育」「波止場」のレナード・バーンスタイン。出演者はナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリンなど。製作はロバート・ワイズ。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ジェット団(白人系)とシャーク団(プエルトリコ系)はニューヨークのウェスト・サイドに巣くう対立する不良少年のグループである。きっかけさえあれば今にも爆発しそうな空気のなかでのダンスパーティーが行われた。そこで一目で愛し合うようになった二人、マリア(ナタリー・ウッド)はシャーク団の首領ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹であり、トニー(リチャード・ベイマー)はジェット団の首領リフ(ラス・タンブリン)の親友だった。しかし、ジェット団とシャーク団はついにぶつかってしまった。マリアの必死の願いにトニーは両者の間に飛びこんで行ったが、血気にはやる彼らはトニーの言葉に耳をかそうとしなかった。そしてリフはベルナルドに刺されて死んだ。親友リフの死に我を忘れたトニーはベルナルドを殺してしまった。ベルナルドの恋人アニタ(リタ・モレノ)に責められてもトニーを忘れられないマリアは、トニーと一緒に逃げることを決意する。シャーク団のひとりチノはベルナルドの仇を打とうとトニーをつけ狙い、警察の手ものびてくる。アニタはマリアの愛の深さを知り、トニーと連絡をとるために街へ出ていくがジェット団に弄ばれた怒りからマリアはチノに殺されたと言ってしまう。絶望して夜の町へ飛び出したトニーの前へ拳銃を構えたチノが現れた。急を聞いて来たマリアの腕の中で、トニーは絶命した。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2012年1月上旬号

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2010年4月上旬号

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2024/11/22

2024/11/22

95点

VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 


生きていくジュリエット

ネタバレ

誰もが知る映画史に燦然と輝く大傑作ミュージカル。音楽に疎い私でも、全ての曲が分かるし、それらに胸が躍る。ただの「線の模様」がマンハッタンの高層ビル群になる冒頭のショットからワクワクする。ミュージカル映画としてあまりにも有名な本作を、ミュージカルに疎い私が今更どうこうも言えないで(笑)、ここでは「物語」に絞ってレビューしていきたい。

本作はマンハッタンのウエスト・サイドで繰り広げられているストリートキッズグループの抗争を描いている。ポーランド系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団だ。この抗争の根底には根強い人種差別と貧困がある。ポーランド系ということはジェット団も移民であることに違いはないが、有色人種であるシャーク団と白人であるジェット団では、ジェット団のほうがなにかと優位だ。警察はあからさまにシャーク団を差別している。しかし、そんな白人であるジェット団の少年たちの生活レベルは、実はシャーク団の少年たちより劣悪であることが見て取れる。白人であっても貧困層家庭で育っているジェット団の少年たちは、ほとんどが家庭に問題を抱えている。両親はたいてい薬物かアルコールの依存症であり、そんな親たちから暴力を受けて育った。親から愛情を得られなかった彼らは、当然のことながら非行に走り、犯罪への道まっしぐらだ。彼らは将来、彼らの両親と同じ道を辿るしかないのだ。

その点、シャーク団は一族の絆が強く団結している。ヒロイン、マリアは両親や兄から愛情深く育てられた。世間知らずの彼女は、「愛さえあればすべてがうまくいく」と純粋に思っている。そんな彼女が運命的に出会い、恋に落ちたのはジェット団のトニーだ。このトニーというキャラクターが興味深い。現役ジェット団の少年たちよりも少し年上の彼は、“ドクの店”で働いており、自立している。鬱憤のたまった少年たちより、少しは将来の展望が開けているのだ。そんな彼がマリアに恋をしたことから、彼もまた「愛さえあればすべてがうまくいく」と能天気に信じ込んでしまった。おそらく彼は、マリアと結婚して愛のある幸福な家庭を築く未来を見ていたであろう。この物語は、世間知らずな少女と能天気な少年の「夢」が、人種差別と貧困という「現実」に打ち砕かれる物語なのだ。

さて、本作を観て一番興味深かったのは、シャーク団の女性たちと男性たちの価値観の差だ。「アメリカ」の楽曲に乗せた屋上でのダンスシーンがそれだ。「アメリカ」では、女性たちが豊かな国アメリカに移住してきて、“アメリカ人としてアメリカ人らしい生活”をしたいと訴えるが、男性たちはアメリカが自分たちにとってどんなに残酷だったかを挙げ、“プエルトリコ人としての誇りを忘れるな”と訴える。いったい彼らにとってはどちらが幸福なのだろう?男性たちの意固地ともとれるプライドは、強い差別を受けて来たからこそであろう。力強いダンスシーンの中には強いメッセージがあるのだ。そんなジェット団の愛情深く絆の強い女性たちに私は強く惹かれる。特に、マリアの兄ベルナルドの恋人アニタに。面倒見のいい彼女は、マリアを本当の妹のように可愛がっている。ベルナルドがトニーに殺され、悲しみのどん底にいるのに、マリアのために憎いトニーへの伝言を届けるため、ジェット団のたまり場へ一人で出向いていく勇気ある女性だ。私は本作の中でこのシーンが一番残酷だと思う。アニタのことを思うと胸が痛む。前述のとおり世間知らずで「愛があればなんとかなる」と信じているマリアは、敵陣の中に女性が一人で乗り込むことの危険性を考えもしなかった。もっと言えば恋にのぼせている彼女は、自分の幸福だけにかまけて、周囲の悲しみや絶望を思いやれなかったのだ。マリアがよりにもよって恋人を殺した男を愛していると知った時のアニタの怒りと絶望をもう少し慮ることができたら、こんな悲劇は起きなかったかもしれない。アニタはジェット団の少年たちにさんざん弄ばれ(あやうくレイプされかけた)、憎しみと絶望によってとっさに「マリアは死んだ」と嘘をついてしまう。私は彼女を責めることはできない。

さて、現代版『ロミオとジュリエット』とされる本作がシェイクスピア作品と一番違うのは、ジュリエットがロミオの後を追って死なないことだ。現代のジュリエットは怒りと悲しみを抱えて、しっかりと生きていく。私はその後のマリアとアニタの関係がどうなったかを感がえる。この一連の事件を経験したマリアはもう、世間知らずのお嬢さんではない。二度と悲劇を繰り返さないように前を向いて行くことだろう。もちろんアニタの心情を推しはかり、アニタもまた愛する人を失った悲しみをマリアと共有するだろう。この女性たちは、悲しみを乗り越えてよりいっそう絆を深めていくのだ。ラストシーン、歩き去るマリアの背中が力強い。

2024/10/22

2024/10/22

72点

テレビ 
吹替


音楽は色褪せていませんが

カメラワークはともかく、ストーリーがなんですよね…
有名な映画なので過度な期待をし過ぎたかも。
ところでベイスターズの三浦監督が出ていたとは。
ミュージカル部分はオリジナルのまま。

2024/06/30

2024/07/01

80点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/テレビ 
字幕


個人的にミュージカル映画と言えばこの作品に尽きる。とにかくオープニングのダンスシークエンスから惹き込まれる。空間を活かした構図や撮影、ダンスシーンの数々。バーンスタインの音楽の素晴らしさ。初めて観た時はリタ・モレノの印象が強かったけど、改めて観るとマリア役=ナタリー・ウッドはやっぱりハズせないなぁと思い直したり。

2024/04/03

92点

VOD/Amazonプライム・ビデオ 
字幕


本物の愛と深い憎しみ

かなり久しぶりの鑑賞だったが、やはり歌やダンスの技術はスピルバーグ監督のリメイクの方が洗練されている。
が、時代の空気感に合っているのは完全にこちらのオリジナルの方だ。
そして圧倒的にマリア役のナタリー・ウッド、ベルナルド役のジョージ・チャキリスを筆頭に、演じる俳優の個性もこちらの方が際立っている。
とはいえ、スピルバーグ版の素晴らしさも改めて感じられたので、個人的にはどちらも甲乙つけがたい。
冒頭のスラム街の俯瞰したショットからのジェッツとシャークスの抗争シーンは、ダンスとの見事な融合もありとても印象に残る。
本当にバーンスタインが生み出すこの作品のナンバーはどれも名曲ぞろいだ。
その中でも今回の鑑賞で一番印象に残ったのが、リフを失ったジェッツが何とか復讐心を抑えようとする『クール』のナンバーだ。
ジェッツもシャークスもどちらも街の厄介者扱いされているが、お互いを憎み合うことでしか彼らは生きる事が出来ない。
言葉ではクールにと唱えながらも、内から沸き起こる衝動を抑えきれない彼らの姿にとても心を打たれた。
何故、そこまで憎しみを募らせてしまうのか。
おそらく彼らにもその本当の理由は分かっていないのだろう。
憎しみという感情を増大させれば、その後に待ち受けているのは悲劇だけである。
そして彼らは悲劇が起こるまで、自分たちの過ちに気づくことが出来ない。
まるで何か大きな力に支配されてしまったかのように。
この映画を観終わった後に、果たして誰にこの悲劇の責任があったのだろうと考えさせられた。
憎み合うジェッツとシャークスだけではない。
正義感面して彼らを抑圧する警察官、そして彼らを厄介者扱いする住民たち。
これは社会全体が起こした悲劇だとも言える。
「どうしてお前達は争いばかり起こす?このままではすべてが壊れてしまう」と嘆くドクに対して、冷ややかに「もう壊れているさ」と呟くジェッツのメンバーの言葉が刺さった。
そんな憎しみだらけの世界で純粋にお互いを愛し合うトニーとマリア。
明らかに二人の世界だけが浮いて見えるのが、これが本物の愛であることを証明しているようでもあった。
確かにアニタの「目的を達成したらトニーは貴方を捨てるわ」というマリアへの説得も正しいのかもしれない。
トニーもマリアもお互いのことをまだ何も知らないのだから。
でも愛に正しいも、間違いもないのかもしれないとも思う。
たとえそれが破滅に終わったとしても。
とても悲しい物語ではあるが、何か大事なものを深く考えさせられる作品でもある。
そして改めてこの作品のベースとなった『ロミオとジュリエット』を生んだシェイクスピアの偉大さも思い知らされた。

2024/03/14

2024/03/15

80点

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字幕


情報の非対称性

いま世界で起きている戦争も、日本が仕掛けたと言われる盧溝橋事件から派生した世界戦も、このドラマの示す「情報の非対称性」を示すものだ。

ヘルズ・キッチンの島争いで対立するふたつのグループは、アメリカの都市にありながら、お互いの民族(血)をかけて対立する。この美しく素晴らしい映画のカラーで「赤」が強調されるのは意味がある。血気盛んな若者が憎しみによる戦いで流す「血」。

いくつかの対決シーンはもちろん見応えがあるが、戦いに至るまでの情報戦が問題となる。そこに第三者の警部がふたり入り込んで情報が捻じ曲げられて複雑化する。

「アメリカ」や「トゥナイト」という名曲をフューチャーし、最後の”赤い”高架下の戦いでお互いのリーダーを失ったジェッツの残されたメンバーが「冷静に」と説得しあうシーンもまた強烈だ。わかっていても戦いをやめられない。戦えばお互いが傷つくのに、憎しみは消えない。これは人間の”業(ごう)”のようなものなのか。

ドラッグストアのドクが最後に「この世界は壊れてばかりだ」というと若者が「もともと壊れているのさ」と応じる。壊れた社会を構築するのは戦いや争いや憎しみではないはず。

現代に置き換えても、善悪だけの二項対立で罵り合うSNSの詭弁社会は、その国を大きな戦争にまで向かわせる毒がある。この映画の本当の意味は、正しいことの価値基準だ。情報が氾濫しすぎて、世の中は何が正しいのか見極めができない状況らしい。

この映画のラストシーンで「KEEP RIGHT」という標識が映されるのは偶然ではない。そしてナタリー・ウッド演じる少女がマリアという名前なのも意図したことだろう。

2024/02/26

2024/02/27

100点

選択しない 


リメイク遠く及ばず

2021年のスピルバーグ版を観て、消化不良を感じて鑑賞しました。ソウル・バスのタイトルと音楽の流れが今まで以上に魅力的に感じ、画面構成カメラワーク、ダンスの躍動感に最後まで目が離せませんでした。今までは悲劇的なラストシーンがあまり好きではありませんでしたが、改めて観るとマリアの赤い服装と濃紺のローブは聖母マリアのものと同じ(赤は慈愛、青は真実を表す)、トニーが担がれていくのは十字架から降下されたキリストを投影しているのかと。昔から続く民族間の争いを象徴する悲劇に今回はより深く考えさせられました。