ケン・ローチ監督が、自国の福利厚生のあり方を叱責するために製作した映画だと思います。
福利厚生というのは、基本的に弱者救済のためにある制度のはず。現状の制度は、それに矛盾している。そこがケン・ローチ監督の主張であろう。
日本での失業手当てのような本作の給付金制度は、労働者同士が困った時に支え合うのがスタンスの下に出来た制度だと思う。その為に納税者も税金を払っている。その集めた税金をどのように使うかは国家又は地方自治体次第になる。窓口には、公務員的な立場の人がいる。彼らは国家の内規に乗っ取って、失業者への給付金の有無を裁定するのが仕事である。
本作で腹立たしいのは、その窓口の職員が給付金の申請者の意向を無視していることにある。
主人公のダニエル・ブレイクは、心臓発作で倒れた事実がある。主治医からのドクターストップもあった。
普通に考えれば、日本では傷病手当ての支給が妥当であろう。ダニエルもそのように望んでいる。しかし職員は再就職活動を前提とした日本での失業手当てを勧めるのである。理由は、手当てが出やすいからということ。
職員からのダニエルの身体への労りは皆無である。彼は何もタダで傷病手当てをくれと言ってるわけでない。長年大工として働いてきて失業保険をかけていたのだ。
傷病手当てをもらう権利はあったのだ。
しかし当局の結論は就労可能ということ。傷病手当ては審査のハードルの高さを盾にして、頑として受け付けない。時間がかかるし、失業手当てなら、すぐにお金が出るということだった。生活困窮者は悠長に待ってられない。その弱味につけこんでいることが腹立たしいのだ。
どの手当てを選ぶかは、ダニエルに選べさせるのが筋なのだ。
若いシングルマザーのケーティは、ロンドンの収容所から追い出されて生活保護がもらえずに困窮していた。
将来ある人の支援は手厚くするべきだ。セーフティネットが機能してない国は、先進国ではない。食べることに逼迫している人々は、救えないのは如何なものかと思う。ケイティの場合は風俗にまで身を落とすのだから痛々しすぎる。
本作は英国の福利厚生のシステムを非難しているのは、間違いない。しかし、本当に見るべきところは違う。困っている者同士、それぞれの登場人物たちが良心に従って助け合っているところに心が打たれる。
それに対して給付金窓口の事務的な対応が余計に冷たく感じる。血が通う者と通わない者の対比が見事に描写されてると思います。
それにしても、ケン・ローチ監督の映画作りはぶれない。これも名匠と言われる所以なのでしょう。