D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
「どこから来てどこへ向かうのか?残された時間は?」
21世紀初頭、タイレル社は人造人間"レプリカント"を開発。特に最新型「ネクサス6」は体力で人間を上回り、知力も開発者と同等のスペックを誇った。レプリカントは地球外労働に従事する中で感情が芽生え、人類に反旗を翻す事案が発生。「ネクサス6」には安全装置として4年間の寿命設定がされていたが、それでも地球への脱走を試みるレプリカントは後を絶たないため、警察では専任捜査官"ブレードランナー"が設置された。
2019年11月、酸性雨の降りしきるロサンゼルスで元ブレードランナーのデッカード(演:ハリソン・フォード)が警察に連行される。逮捕かと思いきや地球に侵入したレプリカントの抹殺依頼だったが...。
僕の人生に(悪い意味で)多大なる影響を与えた某ドラマにこんな場面がある。主人公の建築家が「自分が建築家になろうと思ったのはブレードランナーを観たから」というシーンである。何やら歌舞伎町を模した都市の描写や「メトロポリス」にインスピレーションを得た世界観は噂には聞いていたが、例の如くちゃんと観ていなかったので履修。途中までは淡々と話が進むしあまり説明がないまま用語ばかりが飛び交うしで眠くなることもあり、「なんだよ一部の信者がバカ騒ぎしているだけかよ」と思ったが、その見方は最後にひっくり返ることになる。クライマックスまでの展開がやや長く少々くたびれてしまったが、アメリカお得意の単なる勧善懲悪ではなかった。なるほど納得、この展開であれば長きにわたって語られるのも頷ける。もし本作(というか、原案の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」)がリドリー・スコットではなくキューブリックの手に渡り、キューブリックが映像化していたらどんな描き方をしていただろうかと、そんな妄想までしてしまった。
本作の出来については熱心なファンの皆様が既に語り尽くしているので割愛し、個人的に「これどうなのよ?」と感じたことを少々。まず、何を隠そうツッコミどころ満載のタイレル社である。’80年代っぽいバブリーなレイチェルには目を瞑ろう。でもこれだってジョジョ四部のような髪型とケバい化粧を取り払ったら途端にめちゃくちゃ可愛くなったわけで、美的センスを疑う。ここまではほんの冗談だが、しかし当社が人類およびレプリカントに対して冒した罪が全くもって贖われていないのは如何なものか。謂わば自動車メーカーで言えばリコール相当の事故なわけで、これが警察に丸投げされてタイレル社長は豪勢な暮らしを続けているのが全く理解できなかった。そりゃあロイ達だってデッカードに向かって嘆きたくなるわな。なので真の悪(と言っていいのか分からんが)がまるで罪を自覚していない点にはかなり違和感をおぼえた。
面白かったというよりは、最後にホロリとさせられた。まさかSFでこんな感情になろうとは。