ヴァンドーム広場の円柱(コラム)が見えている。例のホテルリッツの14号の部屋からも見えており、この部屋から見えるということは、この円柱からも14号の部屋が見えてしまうということになる。
この14号の隣の隣は16号であり、その2つの部屋のバルコニーをオードリー・ヘップバーンが演じるアリアンヌの身体が繋ぐ。一方の16号にはルルと呼ばれる仔犬が飼われていて、犬の感性は人間が気づかない存在や音、水を嗅ぎつける。犬のそうした感性が14号を外部と繋いでもいる。
塔は、男性の象徴でもあり、物語の前半ではまだ建設中のようにも見えている。その1年後の後半には塔はどうも完成形をしているが、X氏の婦人という女性がヴェールに包まれていたように、ブラインドで隠されてもしまう。この場合の男性は、主にゲイリー・クーパーが演じるフラナガン氏であり、彼をガンで狙うX氏がいて、フラナガンを望遠レンズで狙うアリアンヌの父シャヴァス氏がいる。3者の男の欲望はそれぞれの方向に向かってはいるものの、フラナガン氏は王者的な欲望を持ち、その分、シャヴァス氏は父という立場もあり枯れているようにもみえる。彼らの妻の存在は示唆されるものの不確かであり、その焦点に恋人であり娘でもあるアリアンヌが結ばれている。
彼女は愛情に溢れるパリの午後4時に埋もれてしまいそうでもある。フラナガン氏が来宅したとき彼女は3週間で17回目の髪を洗っている最中で、首から先の顔が見えていなかった。冒頭の実存主義者の女性も長い髪に顔を閉ざしていた。サウナではX氏がタオルで顔を閉ざして寝転んでいた。北欧を示唆しながら、愛情めいた湯気ばかりの空間にカメラを入れ、4人の無口な楽団のバイオリンの中を水蒸気で満たしながら、その直前のバスタブからの溢れたお湯や、パリの街路で愛し合う二人に散水車が水をぶっかけるショットなどにも通じている。ここに充満する愛情と性欲がアリアンヌをパリに埋没させようとしている。
小魚に例えられたアリアンヌを解き放つようにフラナガン氏に懇請する父の願いをよそに、フラナガン氏は雨模様の駅のラストシーンでアリアンヌをパリから金魚のように掬い取ってしまう。そこに解放やカタルシスの感覚が伴うとすれば、父は娘を閉じ込めていたのだし、パリは彼女を幽閉していたのに違いない。そして彼女はニューヨークのステディとして新たな収監先へと向かう。
ところでこの「A」の物語は、X氏のジョーカー性や終盤までフラナガン氏に匿名性で迫る彼女が何かを示しているようでもある。19人や20人という恋人の数の羅列は、A-Zで整理された探偵でもある父のファイルあるいはライブラリと絡み合う。そして、アルパイン、アペリティフ、数々のAの女性、アンクレット、エア(フランスの飛行機)などの頭文字Aを連発させつつ、ベルギーやビタミンなどの「B」へと移行しかかる。
聞き耳と覗き見、カーネーションとパフューム(香水)、チェロと楽団、オペラグラスと虫眼鏡、録音装置と電話、ペプシコーラとワーグナーなど数々の仕掛けを駆使して、魔力的な映像が紡がれていく。アリアンヌは恋をしてぼうっとして虚言を吐くというよりも、こうしためくるめく映画世界への眩惑が彼女からチェロの奏法などの人智を奪ってしまったのだろう。6月から8月にかけての季節にコートを羽織る狂信は、映画を存在させる周囲の闇からやってきた。そのコートはアーミンと呼ばれ、オコジョの冬毛から奪われた白さを纏っており、観客の目を奪う白さでもある。つまり白痴的とも言える。