不倫、セクハラ、パワハラ、ストーカー行為・・・現代ならコンプラ的に一発アウトだ(笑)。コンプラ重視の昨今では、本作のような作品は絶対作られないし、不快に思う観客もいるかもしれない。確かに私も「オイオイ」と、苦笑いしつつツッコミながら観てしまった。これは本作を初めて観た20年以上前では考えられないことだ。映画は時代の変化だけでなく、それを観る人の変化にも左右される。だが、現代の目で観ても最終的に不愉快にさせないのがワイルダー作品だ。脚本とキャラクターの妙、そして演じる俳優の確かな演技力が本作を魅力的な作品にしている。
ジャック・レモン演じるバドは、出世のために複数の上司に自分のアパートの鍵を貸している。密会場所として提供しているのだ。女性を連れ込むだけではなく、酒やつまみなどもバドが自腹を切って補充しているのだ。何となく非常識な客にあたってしまった気の毒な民泊の家主のようだ。民泊なら宿泊費がとれるが、無償どころか、彼らがやりたい放題やった片付けなどの後始末もしなければいけない。たとえ風邪をひいて寝ていてもたたき起こされ、パジャマの上にコートを羽織っただけの姿で公園のベンチで寝る羽目になってしまう。そのうえ、隣人からは絶倫男(死語?)と勘違いされる始末。出世のためにそこまでしなければならないのか?出世に興味なく、仕事より趣味を楽しみたい現代のビジネスマンとなんと違うことか。携帯電話もメールもない時代、上司たちのスケジュール(?)管理や鍵のやりとりなど、内線電話や社内メッセンジャーボーイを利用することにハラハラした(内線電話は秘書が盗み聴きできる)。
お人好しのお調子者を演じさせると天下一品のジャック・レモンにはまり役のバドは、空気を読むのが得意。人事部長が遠回しにアパートの鍵を所望すると、すぐにピンと来てスケジュール調整に走る。そんな彼の片思いの相手が、なんと人事部長のお相手と解った時のショックたるや。セクハラ、パワハラがまかり通るこの時代は、さらに女性軽視の時代でもある。社内不倫が横行しているのも、女性社員が軽視されている証拠だ。女性秘書など格好のターゲットとなっている。だがしかし、その秘書よりもっとお手軽に見られているのがエレベーター・ガールだ。そんな描写はないが、密室のエレベーターではお尻を触られることなど日常茶飯事だろう。シャーリー・マクレーン演じるフランはエレベーター・ガールだ。本当は秘書になりたかったのだが、スペルが苦手でエレベーター・ガールになったのだという。このことからもエレベーター・ガールが秘書より格下ということが窺える。彼女は無邪気にも、既婚男の常套句「妻とは近々離婚する」を信じて、人事部長と結婚できる日を夢見ているのだ、泣きをみることになるとも知らず・・・。
最近の人気ドラマ等の展開は、最後に嫌な奴が退治され、主人公も観客も留飲をさげてメデタシ、メデタシとなるものだが、本作はそうならない。人事部長は元カノである秘書が妻に密告したため離婚するはめになったが、なんとこの人事部長、これ幸いにとフランにプロポーズするのである。いったいどの面さげて・・・と呆れてしまった。ここでフランが人事部長の妻の座におさまり、自分勝手な人事部長にキレたバドが会社を辞めて、1人で寂しく街を去るという悲劇的なラストシーンならそれこそモヤモヤが収まらないが、人事部長やその他の上司たちの悪行も表ざたにならず、彼らに正義の鉄槌をくわすわけにこそいかなかったが、ゲスな人事部長より、バドの誠実さに気がついたフランは、最終的にバドのところにやってくるのだ。おそらく2人は、田舎に引っ込み、バドはそれなりの仕事をみつけ、フランとつつましい家庭を築くであろう。大会社で無理して出世するより、これこそ分不相応の幸福というものだ。フランの愛らしさとバドの小市民ぶりが本作の最大の魅力だ。これこそ本作が名作コメディとして我々小市民に愛されるゆえんなのだ。