『アパートの鍵貸します』(The Apartment)1960
「私って馬鹿ね。女房持ちとの恋にマスカラは禁物なのに」
「私には才能があるの。間違った男と間違った場所で間違った時に恋に落ちる才能が」
ビリー・ワイルダーの喜劇では「変装」「嘘を突き通す事」が中心的な役割を果たすことが多い。
「昼下がりの情事」では初心な音大生オードリー・ヘップバーンが「恋多き謎の女」に成りすます。
「あなただけ今晩は」では恋人の娼婦に客を取らせないためにジャック・レモンが大金持ちに成りすます。
「お熱いのがお好き」ではマフィアに追われるトニー・カーティスとジャック・レモンは女装する。
「フロント・ページ」では脱獄囚を匿う。
ワイルダーは「変装」というテーマを好んでるが一生のテーマというほどのことはない。喜劇を作る時に便利だから度々扱っているのだろう。誰かに変装した人物にとっては一挙手一投足が嘘がバレはしないかというハラハラ、観客にとってはゲラゲラのポイントになる。
「アパートの鍵貸します」の「嘘」は保険会社に勤めるジャック・レモンが上司が不倫相手と相引きする為に自分のアパートを貸し出しているという事だ。だがバレたら大変と言うほどの秘密でも無い。映画のストーリーはこの嘘を守る為に主人公があくせくすると言うものでは無い。
だから他のワイルダーの喜劇を観た観客にとってはいつもの嘘を守る為のドタバタが無い事に意外な気持ちになる。男を寄せ付けないヒロイン・シャーリー・マクレーンの本当の姿が現れてからは観客は気楽に笑ってはいられない。彼女に寄り添ってハンカチを手に持ってウルウルして物語の行方を見守ることになる。
なぜ「アパート」はいつもの喜劇ではないのか?
「昼下がりの情事」以下の作品には原作があるが「アパート」には原作がない。ワイルダーが参考にしたのはデビット・リーンの「逢びき」と実際の不倫事件だった。ハリウッドの大物エージェント・ジェニングス・ラングが不倫相手女優のジョーン・ベネットの夫プロデューサー・ウォルター・ワンガーに撃たれた事件。二人が逢引していたのはラングの部下のアパートだった。(IMDB)
ワイルダーと脚本家ダイアモンドは撮影しながら脚本を描き続けていた。ジンラミーの場面もフランの恋愛についての考察もシャーリー・マクレーンのスタジオでの様子から書かれた。そして有名なラストの台詞が決まったのは撮影1分前だった。(IMDB)
原作ありの他の作品がコメディとして纏まっているのに比べて「アパート」が悲喜劇の様相を呈しているのはその様な製作現場だったから。「考えながら撮影」していたからだったのだ。
現場で生まれた俳優たち本人の人生や偶然をワイルダーとダイアモンドが脚本にして撮影していったから予定調和のコメディではなく観ているのが時々ツラい映画になった。
主人公バクスターが出世の為にプライバシー(自宅アパート)を上司に提供する出世欲だけの子供から隣人の医師がいうメンシュ(本当の人間)になるまでの成長の物語。後はフランが捕まえたバクスターが「間違った男」なのかどうか?それはまた別のお話。