あのミシェルという男はそれほど魅力的だろうか?
テレビ局で働くミシェルと、リリアーナ、ジュリアンヌという2人の女の色恋劇。男女が逆転すればトリュフォー『突然炎のごとく』のようだが、相変わらず色恋がゲーム、遊びに見えるのはフランス映画ならでは。やはり映画を観ていて率直に思うのは、女2人が共有したり、独占したり、悲喜こもごもの軸である男、ミシェルがそんなイイ男に見えないことである。
当時、アルジェリア戦争の最中で、ミシェルは数ヶ月後に兵役に就く未来が見えている。だからこそ、4人で1台の車を買ってドライブ、ナンパに勤しんだり、家庭にお金を入れずに遊んだり、仕事を簡単に投げ出す気持ちも分からなくもない。どうせ戦線に駆り出されるなら、自由な内に思う存分、遊ばなきゃ、という。ただ、そんな彼の心情が察せれるのは、映画の終盤、車の中で騒がしい2人の女に怒鳴るシーンぐらいで、それまでずっと彼を追いかける2人の女の気持ちが理解できず。そんなに共有したいものなのか?お互いに嫉妬し合って険悪になるのが楽しいのか?そんな遊びが可能だからこそ親友なのか?そして彼は2人のおもちゃのようにされて気分がいいのか?
実はわたし、フランスのヌーヴェルバーグ期の作品が苦手なのだが、この手のフランス気質がその理由で、それを素直に笑っていられない。ルノワールが『ゲームの規則』で暴き茶化したフランスの恋愛体質だとか、それを客観的に滑稽に描写するロメール作品は大好きなのだが、あくまで自由に振る舞うヌーヴェルバーグは奔放すぎて笑うに笑えなかったり。まさに本作はわたしにとって、そんなヌーヴェルバーグの特徴だらけに思えたのだ。どう物語がころがり、どんな結末が待っているのか想像できない自由奔放さに居心地の悪さを感じてしまう。半面、バカンス先になるコルシカ島の喧騒やきらきら輝く水面から感じる陽気さと美しさには目を奪われてしまうところもある。
総じて、これまで苦手だからと大して触れてこなかったヌーヴェルバーグの中でも、いつか観なければと思っていたジャック・ロジエ。彼の代名詞たる『アデュー・フィリピーヌ』を今回、初めて観たが、ヌーヴェルバーグの特色、良さと、わたしの苦手な理由を同時に教えてもらった気がする。