シスター達のエピソードがどう関わるのかが分からない。
ネタバレ
映画は「Mr.Lonely」の曲から始まるのですが、
後から思うとこの曲調が
この映画を表していると思いました。
わたしなんか、
図らずもそのオープニングで早くも落涙に及びました。
(なんか、疲れてた?)
コミュニティの住人たちは、
モノマネ芸を演じているというより、
自分そのものを否定し、
その替わりに別人になることで
自分を満たそうとあがいている
としか見えませんでした。
そんな心を病んだ彼らが開催した
「地上最大のショウ」は、
フリークスショウ的な醜悪さしか感じられず、
それが俺を物悲しくさせました。
このことによって
この映画からわたしに伝わってきたものは、
じんわりとした悲しさ、
さみしさでした。
たとえるなら。
冬の晴れた日の午後、
日差しはまぶしいけれど、
体は寒さに震えるって感じ?
それにしても不思議な物語でした。
ものまね芸人達の共同生活風景も
十分奇妙でしたが、
それとは全く無関係な
シスター達のエピソードの挿入が
奇妙で仕方ありません。
信仰の力によって
奇蹟を起こしたシスターたちが
飛行機の墜落で無残に死んでしまうストーリーと、
別人になることで
何とか生きてきたマイケルが
自分に戻るストーリーとを
平行して語るからには、
制作者にとって
その両者に共通するテーマがあるのだと
思ったのだけど、
全く分かりません。
「性同一性障碍」という症名があるが、
マイケルは「自己同一性障碍」とでも言えばいいのだろうか?