撃たせる銃と撃つ人間 悪いのはどっち?(劇場鑑賞時の感想)
						
						
						
						
						
					 
					
						他人(特にこの映画の場合は異民族)に対して日常的に憎悪を抱けば、
時にそれがエスカレートする。
そして、銃を簡単に入手できるアメリカにおいては、
憎悪を晴らすために手元の銃を相手に向ける衝動に襲われる。
ついには発砲してしまった場合、
相手を傷つけるだけでなく、自分の心にも深い傷跡を残す。
しかも、普段はいたって善良の市民でも、
偶然のきっかけで銃を人に向ける状況になったり憎悪に狂ったりすることもあり、
逆に根っからの悪人と思われていた人が突然善意に目覚めることもある。
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これらのことを複数の登場人物たちによって描いて見せた『クラッシュ』という映画は、
一言で言えば常識的に発砲するのが当然な状況であっても、
実は発砲してはいけないのではないか?
人々が安易に発砲する状況がもう少し後退すれば殺伐とした世の中が少しは和らぐのではないか?
ということを訴えているのだろう。
でも、
この中の多くのエピソードが偶然によって運命が左右されるもので、
一方、命の危険にさらされた者が手元に銃を持っているといった状況も描かれているが、
実際のそのような状況になったと想像してみて、
偶然に身を委ねられるかといえば、
やっぱりやられる前に撃つ方を選択せざるをえないのではないかと思えてしまい、
結局メッセージと逆の思いにとらわれてしまうのは作品として失敗しているのではないだろうか?
(以上、劇場公開時に書いた感想に、若干の手直しをした文章)