ほら話ばかりの父親はまさにティム・バートン自身そのもの
世の中にはところかまわず自分のこと、それもかなり誇大妄想的な自慢話で盛り上がる人がいます。初めて聞くぶんには面白いかも知れないけど、身近にいて何度もその話を聞かされる人間にとっては「またか!」という気分です。
この映画に登場する父親は、まさにそのタイプ。けれど息子は父が死の床についた時、彼の「耳にタコ」の話に隠された真実を初めて見い出すのです。
ウィルは子供の頃、父エドワードが話す昔話が大好きでした。村のはずれに隠れ住む大男や未来を見通すことができる魔女、そして沼に住む誰も見たことのない大魚の話にワクワクしたものです。けれど成長しジャーナリストとなった彼にとって、相も変わらず繰り返されるエドワードの話は単なるホラ話にしか聞こえなくなりました。
そんな彼が父の病状悪化の知らせを受け、妻と共に実家に戻ります。映画は病床のエドワードと看病する家族の様子と平行して、彼が口癖のように話していた昔話の世界を映し出すのですが、その映像のなんと美しいこと!
少年だったエドワードがある日突然異常成長を遂げ、奇妙な仲間と出会ったり、不思議な村に迷い込む展開はまるで少年版「不思議の国のアリス」のようです。将来の妻を一目見た瞬間、周りの世界が止まってしまったり、一万本の水仙の中でのプロポーズシーンなど、全てがお伽話のように美しく誇張されています(演じるユアン・マクレガーが好演)。
確かにエドワードの語る物語は魅惑的で居心地の良い世界には違いないのですが、そのまやかしの後には乙姫の玉手箱のような苦い現実が隠されているはず。ウィルは父への反発からかはたまた好奇心からか、玉手箱のふたを開けようとします。
というわけで、終盤いよいよお伽話に隠された真実が明らかになるわけですが、その答えは魔女から預言されたとする「エドワードの臨終シーン」へと繋がってゆきます。それは、夢と現実が見事に調和したこの上もなく美しい光景です。人生の終わりがこんな場所なら「死」というものもそう悪くないかも知れませんね。確かに、生と死の境目は現実とファンタジーの境目でもあるわけで、どちらがホンモノなのかなんて、問題じゃないのかも? 臨終の瞬間、エドワードがある物に変身するシーンでは、思わず目頭が熱くなりました。
(2004/5/18 記)