国籍、言葉、ジェンダー、セクシュアリティ、肌の色、それぞれ異なる人々が集うシェアハウス。みんな違ってみんな良い、のだけれど、それだけに終わらなかったのが良い。重要なのは、誰も何かを代表しているわけではないし、一般化もされ得ない、一人一人がそれぞれ獲得してきたアイデンティティの持ち主であるということ。フラメンコだけがスペインじゃない。周囲の個性と向き合うと同時に、主人公は、自分の中にある多様性にも気付く。過去の自分も自分だし、矛盾するような願いを持つ自分も、あの人に惹かれてしまうのもやっぱり自分。あの人もあの人もみんな自分、と、最後には踏み込んで、出会った人々を自分のこととして引き受け、自分が本当に求めることを認めるところに行き着く。書くこと、読むことは、他者と認め合う一つの手段であり、主人公の場合は、それこそが自分を受け入れることー「過去の自分を悲しませない」生き方ーでもある(この台詞にグッときた:)。二人乗り自転車の乗り方と、ウェンディの浮気の隠し方が可笑しい。尊重というのは、距離を置くことだけじゃない、こうして寄ってたかって他人様の事情に首を突っ込むような助け合いも、微笑ましくて愛おしい。レズビアンのセックス指導も可笑しいけれど、コミュニケーションは学びの連続という教訓がポップに込められている。カラフルな、やや長いけれど、画面隅々どの色も見逃したくない映画。